245 アンチョビポテトと新製品
「まぁ…そうなの?」
「はい。クローゼットの中のものは母と姉達に全て一新されてしまいました。残っているのは帽子くらいなものです」
--まぁ、確かに半分くらいになっているわよね。
1/2になったグスタフを改めて見ると、華美ではないが身体に合わせて仕立てられた服がよく似合っていた。マリアも微笑ましげに見ている。
「今日来てもらったのは、他でもないわ。アンチョビと匂いの控えめな魚醤の事なの」
「はい」
「1ヶ月待っててと言っておいて、3ヶ月近く放っておいてごめんなさいね」
「いえ!お気になさらずに。むしろ、このくらいのお時間をいただけたので鶏が丁度良いくらいに増えてきて魚醤の発表には良いくらいかと」
「あ…そうだったわね」
確かに前回トンカツのメニューを出した時に豚肉が一時高騰したと、アルヘルムが言っていた。魚醤を使った唐揚げのレシピをアデライーデが公開すれば鶏肉が高騰するはずだから増産を奨励しなければと言っていたなと今更ながら思い出したのである。
「それと私の方からご報告というか、お詫びしなければならない事がございます」
そう言うとグスタフは少し顔を暗くして頭を下げた。
「え?お詫び?」
「はい。オイルサーディンの加工を始めた時、瓶の生産が間に合わず魚も人手もあるのに作業ができない時がございました。その時に私の独断で魚醤の工房からレシピを教えてもらって加工場でアンチョビをしばらく作らせておりました。正妃様の加工場を始めてすぐに仕事が無いなど噂が立ってはと思い……。勝手な事をして申し訳ございません」
そう言うと、小さくなってグスタフはさらに頭を下げた。加工場だけでなくこの世界で働く者の給金は日当である。仕事がなければ給金は支払われない。鳴り物入りで正妃がつくらせた加工場で、始業後すぐに仕事ができないなど醜聞でしかないのだろう。
「私の調整不足でございます。申し訳ございません」
「いいのよ。急に決まった仕事で何もかも手探りで始めたんだもの。初めてのことが予定通りに上手くいかないのは当たり前よ。むしろ機転を効かせて皆に上手く仕事を振ってくれて良かったわ。流石ね。グスタフ。ありがとう」
マニュアルや先例があればいいが、何もないところで手探りで1から仕事をしていく辛さはちょっとだけだが陽子さんも知っている。この子が半分になったのは、この3ヶ月程度の間に寝食を忘れて仕事に没頭したからであろう。そしてそれをさせたのは自分だと申し訳なくなった。
「も…もったいないお言葉です…」
以前の部署では、全て上司や先輩達の指示が絶対だった。自分が判断した事は、それが結果的に正しくともすべて否定され差し戻されていた。
だから、レシピを勝手に使ったことを咎められるかもしれないとグスタフは内心びくびくしていたのだ。
瓶の納品がオイルサーディンの生産に追いつかないとわかった時に、上司である部長に指示を仰ぎに行ったら、自分の言葉でなにか不始末があったら困ると思った部長は「君の判断で良いのではないか」と言って逃げたのだ。しかし、自分の判断でと言われたグスタフは途方に暮れるしかなかった。
父と祖父に相談したら、まずはなにかできることが無いか現場の職人に教えを請うて声を聞けと言われて魚醤の工房の親方に相談に行った。
親方はグスタフの話を聞くと、アデライーデ様のとこの料理人から教わったのだとレシピを大事そうに手渡した。
もらっていいのかと聞くと親方は「料理人からもこのレシピは秘密じゃなくて、いずれ世に出すものと言ってたぞ。本来は1年ほど寝かすものだと言っていたから仕込むなら早いほうがいいんじゃないか?他の役人になら渡さねぇが、グスタフ様になら渡してもいいぜ。魚醤の事を馬鹿にせずに通ってくれたのはグスタフ様だけだしな。何なら魚の捌き方を教えに行ってもいいぜ」そう言ってくれた親方は本当に次の日に加工場に来て、皆に魚の捌き方のコツを教えてくれたのだ。
しかも、漬け込み用の樽の依頼先も親方の口利きで用意してくれていた。
親方に礼を言うと、「いいってことよ。このアンチョビからできる魚醤が広まれば俺の工房の魚醤も売れるかもしれねぇからなぁ。あ、樽代は回しとくから払ってやってくれよ」と豪快に笑って帰っていった。
それからも時々瓶の納品が間に合わなかったことがあった。炭酸水の瓶の需要が爆発的に伸びてそちらに人手が取られていたからである。
その度にグスタフはアンチョビをつくらせ、アンチョビを仕込んだ樽たちは、加工場の近くの少しひんやりする地下室がある倉庫に預けておいた。
アデライーデはグスタフをキッチンに招き、アルトに預けておいたアンチョビのバットの油紙を慎重にとって確認をすると半分塩が溶けかけた薄いオレンジ色の魚醤の中に浸かっていたイワシを取り出しキッチンタオルで丁寧に拭った。
煮沸消毒した広口瓶にイワシが顔を出さないようにオリーブオイルを注ぎ月桂樹の葉を一枚入れてコルクでぎゅーと蓋をした。
「これを一月ほど寝かせれば、アンチョビは完成よ。そして、こっちが魚醤なの」小皿にとったアンチョビ魚醤を皆に渡すと口々にあの独特な香りは控えめだと言い始めた。
「これは、ブルーチーズと同じくらいかな…」
「ええ、そのくらいかと」
「これであれば、料理人達も使いやすいですね!」
--ブルーチーズの匂いより、ぐっと柔らかく感じるんだけど…。やっぱり魚の匂いは慣れないから同じくらいに感じるのかしら?文化の差を感じるわね。
わいわいしている三人の会話を聞きながら、アデライーデは溶け残った塩を別皿によそった。
「アデライーデ様、その塩はどうなさるのですか?」
「これも乾煎りすれば、魚醤風味の塩として使えるのよ」
「それも売り出せるのでございますね。アンチョビ、魚醤、魚醤風味の塩と3種類も新製品が…。調味料課を増員させないといけないですね」
「じゃ、アンチョビの1番簡単なお料理をだすわね」
厨房に用意してもらった一口大の蒸しじゃがいもをオリーブオイルで軽く炒め、刻んだアンチョビ少々とすりおろしにんにくを追加するとすぐにキッチンは、食欲をそそるいい匂いでいっぱいになる。そして、蒸したじゃがいもの一部は軽く潰して刻んだアンチョビを混ぜ込んだ。
「はい、アンチョビポテトの出来上がりよ。炒めたものと蒸したものの2種類。これなら誰にでも簡単に作れるわ。召し上がってみて。今アンチョビ魚醤の唐揚げも厨房に作ってもらうわ」
ほかほかと湯気を上げていい匂いをさせるアンチョビポテトに、アデライーデは「これはワインより炭酸水のお酒があうわ」と、レモン酎ハイをアルトに用意させた。
「とても、美味しいです」
グスタフは幸せを噛みしめてアンチョビポテトを口にする。思っていたとおりアデライーデ様の作るものは素晴らしく美味しい。調味料課の課長になって良かったとアンチョビポテトを堪能していた。
このあと、売り出されたアンチョビも魚醤も国内外で人気を博するようになった。特に唐揚げのレシピのおかげで鶏の需要が増え、痩せたじゃがいもも育たない地では出荷の早い養鶏が盛んに行われるようになる。
あの親方の工房に「禁断の魚醤」として国内外から濃い魚醤の注文が舞い込むようになるのは、少し先の話である。
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