243 馬車と父の涙
「お久しぶりでございます。お帰りになってすぐのお疲れの時に、お時間をいただきましてありがとうございます」
翌日、レナードからの使い知らせを受けてアメリーはすぐに離宮にやってきた。
「私になにかお話があるみたいだと、子ども達から聞いたんだけど…」
「はい、一度帝国に…父に会いに帰ろうかと思いまして。アデライーデ様にご挨拶をしなければと…」
「え?お父様に何かあったの?」
アデライーデだけでなく、マリアやエマ達も驚いた顔でアメリーを見た。父親に何かあれば自分に挨拶など必要がない。すぐに帰っても数日はかかる距離なのだ。急いで帰さないとと驚いていると、アメリーは慌てて否定した。
「いえ!一番最近の手紙でも父は元気で仕事をしております。あの…1度会って話をじっくり聞きたいと…その…」
アメリーは途端に顔を赤くしてモゴモゴと口籠り始めた。
「??」
「!!」
アデライーデはきょとんとし、マリア達はにんまりと頷いた。
「お父様もアメリー様の春を祝ってくれますわよ」
「春?!あぁ!おめでたなの?」
「そそそそ…そんな…おめでたなんて!とんでもありませんー!」
アメリーは真っ赤になって今にも卒倒しそうになりながら手をぱたぱたと振って全力で否定する。
「アデライーデ様、お気が早いですわ。先ずはお互いのご両親にご挨拶をして交際のお許しを得てから交際、婚約式の準備を整えてご婚約ですわ!」
「そうそう、婚約式をして結婚の準備が整えばご結婚、甘ーい新婚生活を過ごして…それからがおめでたですわ!」
「どれも省けない人生の一大イベントですのよ!いきなりのおめでたは、おめでたいですが甘い時が駆け足ですわ!」
エミリア達の結婚にかける熱い勢いに気圧されながら「は…はい」とアデライーデは返事をした。
陽子さんの若い時にも婚約式を結納と考えればその順番だったが、最近は結納を省く略式が普通でおめでた婚や授かり婚が珍しくなくなって、結婚すると聞けば赤ちゃんができたのねと、思うようになっていた。
「父に手紙でバルクで交際したい方がいると知らせましたら、どんな相手だとすぐに早馬で返事が来まして…、今すぐにでもバルクに行きたいが公爵家の見合いの肖像画が佳境に入っているので、すぐに帰ってこいと…。先日アデライーデ様にご挨拶したら帰ると返事をしましたのに3日と空けず手紙が届くようになりましたの。落ち着いてと書いたのですが、矢の催促で…」
父親のディオボルトにしてみたら、仕事に打込みこのまま結婚せずに独り身で過ごすかもしれぬと思っていた愛娘に降って湧いたように「交際したい方」ができたのである。しかも異国で自分の知らぬ相手である。気にならない方がおかしいであろう。
「挨拶も終わった事だし、すぐにでもお父様にお顔を見せてあげて」
「は、はい」
「そうだわ。レナード。私の馬車をお貸しして。護衛の兵士もお願いね」
「承知しました」
「そんな!アデライーデ様から馬車をお貸しいただくなんて恐れ多いですわ」
「何を言っているの?私がお呼びしたのだから、お帰りに何かあってはいけないわ。ね?」
レナードに同意を求めると、レナードもうんうんと頷き、そばの従僕を呼び寄せた。
「左様でございますな。正妃様のお客人に道中何かありましたらバルク国の威信に関わります。街道が整備されつつあるとはいえ、ご婦人の一人旅はお父上も心配されていることでしょう」
レナードはアメリーの父親のディオボルトと年が近い。
アメリーが1人でバルクを訪れた時も少し驚いていたくらいである。遠慮してなんとか断りの言葉を探そうとしているアメリーに、アデライーデは優しく言葉をかけた。
「帰りに何かあったら、私を始め皆が心配なの。だから私を安心させると思って遠慮なく使ってね」
「そうでございますわ。せっかくアデライーデ様がおっしゃっているんですから、是非に」
「そうですわ。お父様とお話なさって早くバルクにお戻りになって」
「コーエン様もお帰りをお待ちになってらっしゃるわ」
エマ達の援護射撃もあって、アメリーは消え入るような声で「はい」と頷いた。
翌日、用意された馬車はアメリーの希望を聞いて地味めな馬車であったが、バルクの紋章がバッチリ付けられていた。たじろぐアメリーを追い立てるように馬車に乗せると馬車は軽やかに出発していった。
前日、仕事に抜かりのないレナードは先触れを出して国境の警備隊や泊まる先々のホテルに知らせていた。ほとんどノーチェックで国境を越え泊まるホテルでは貴賓扱いを受けて、アメリーはバルクに来た時の半分の日数で帝国についた。
貸し馬車より、数段クッションの良い王族の馬車に乗りホテルでは極上の部屋に泊まっていたはずなのに、アメリーは懐かしい我が家に着いたときにはどっと疲れていた。
護衛の兵士に馬車の扉を開けてもらい、エスコートされて玄関に降り立つとディオボルトが待ち構えていたように、アメリーを抱きしめた。
「アメリー、可愛い私の娘よ。よく帰ってきた」
「お父様?」
「うんうん。よく帰ってきたな」
「ただいま戻りました」
「うん。よく帰ってきた…、よく帰ってきたな」
何を言っても「よく帰ってきた」としか言わず、涙ぐむ父を見て年配の御者も鼻をすすり壮年の兵士も顔を少し横にそらしている。
年は違えど、みな娘のいる父親達だ。
御者も兵士達も離宮や村に住んでいるので、アメリーとコーエンの事は噂で知っている。ひとり娘を遠く離れた他国に嫁に出すのであろうディオボルトに過去の自分や未来の自分を重ねているのだ。
ひとしきりアメリーを抱きしめて、涙を拭ったディオボルトは御者達にも丁寧に礼を言い、執事に彼らを労うように言いつけるとアメリーを抱きかかえるようにして屋敷の中へと入って行った。




