237 シャンデリアと夜会
「待たせたな」
そう言って執務室に入ってきたアルヘルムは些か疲れ気味の顔をしていた。どかりとソファに腰を下ろすと既にソファに深く腰掛けていたタクシスを見やった。
「俺も今来たところだ」
タクシスはサイドテーブルにあったポットから少しぬるくなった紅茶をティーカップに注ぐと、ほいとアルヘルムに手渡した。
今は熱い紅茶より少しぬるめの紅茶の方が喉には心地よかった。
行儀が悪いがカップの紅茶を一気に半分ほど喉に流し込んで、ようやく人ごこちついた所でタクシスから声がかかった。
「契約が決まったぞ。ナジーン会頭達は大陸貿易の品に予定通りグラスとサンキャッチャーを購入する。そしてバルク国内ではシャンデリアの予約が入った」
ニヤリと笑ったタクシスの笑顔には薄っすらとクマが浮いていたが、良い笑顔で契約書の紙の山をアルヘルムに差し出した。
受け取った契約書を見ると、破格の金額が並んでいた。どうも炭酸水を輸出し始めた頃から知っている値段の桁が1つ上がったような気がしてならない。
契約書に書かれたグラス1つの値段もアルヘルムが知っている銀のワイングラスの値段の桁違いだ。
豊穣祭の翌日、まだ祝いの気持ちが落ちないうちにと、タクシスの屋敷では国内の主だった貴族を招いて盛大な夜会が催された。
すでに日が落ちるのが早くなっているこの時期、馬車で次々と屋敷に入った貴族達が目にしたのは、広間で煌煌と輝く3基の大きなシャンデリアだ。
暗黙の了解として、夜会では爵位の低い貴族から会場入りをする。馬車から降りて会場に入るまでにとても時間がかかる為のルールなのだ。夜会が始まる時間ギリギリに高位貴族が会場入りするが、この日ばかりは高位貴族は早めにはいるのであったと後悔するほどであった。
1番早く夜会に訪れたのは、今年準男爵になった新参貴族や地方の男爵達である。
彼らは会場で煌めくシャンデリアに驚き、見たこともないデザートが乗ったテーブルを感嘆の声をあげながらじっくりと見てまわっていると、普段は早い時間に顔を出すことがないブルーノとメラニアが揃って男爵達を出迎えたのだ。
普段滅多に会う事のない2人に、男爵達が挨拶をするとメラニアがにこやかに挨拶を返した。
「私一人ではとても今日のお客様全員にご説明できなくって…、ぜひ皆様にお手伝いいただければと思いますのよ」
そう言って、メラニアは食事卓の上に乗った立食用に小ぶりに作られたプリンや淡雪や寒天を使ったデザートの説明を始め、口にするようにと婦人や令嬢に勧めはじめた。
最初は遠慮しがちにしていた婦人たちも、初めて目にする珍しいお菓子をひとくち口にすると、次々と新しい皿に手を伸ばし場は一気に賑やかになった。
「これらはすべて、アデライーデ様がご考案されて作らせたものですのよ」
「まぁ。これらすべてをですか?帝国で流行りのお菓子ではありませんの?」
「いいえ、バルクのものを使って考えられたそうですのよ。これからこのお菓子達は、この大陸でバルクを代表するお菓子になるものですわ」
「爵位を賜ったばかりでこのように素晴らしいものを頂けるなんて…なんと幸せな事でしょう」
「ぜひこの素晴らしいお菓子を皆様にお勧めしてくださる?」
「ええ、ええ、もちろんですわ」
どの婦人や令嬢達も顔を見合わせ、頷いていた。
メラニアは満足げにそれを見て、婦人達に軽く挨拶して高位貴族たちの出迎えの為にタクシスの腕を取りしずしずと広間から消えていった。
その夜会の席にはもちろんナジーン会頭達も招かれ、彼らもシャンデリアの輝きに目を奪われていた。あちこちの国に出入りし珍しいものを見てきたつもりだったナジーン達にとってもシャンデリアの輝きは格別な物と映ったのだ。
豊穣祭に招かれる前、彼らは昼間王都に繰り出して街の様子を見ていた。王宮で催される夜会が趣向を凝らしているのは当たり前だ。
本当のその国の豊かさは、その国の庶民と交わればわかると父親に教わった彼らは必ず商談の前にその国の王都を見て回る。彼ら三人は南の大陸の商売人の家にはよくある異母兄弟で、普段は母親の姓を名乗っている。それは他国で商売敵のふりをして有利に駆け引きをする為にである。
バルクではお互いに関わりのない商会のふりをしているが、その実ナジーン達は1つの商会なのだ。
高価な商品を取り扱うおかげで身の安全の保証がなく、常に危険と隣り合わせの商人たちが商会を守り生き残る為に編み出した他国での商売の方法なのである。
そんな用心深い彼らの目に映ったのは、まだまだ成熟したものではない街だが活気があり人々に笑顔があった事だ。そして彼らが口々にこの国の正妃を褒め称えていたのを聞き耳を立てて聞いていた。
屋台で旅人だが今日は祭りなのかと聞けば、「今日バルクに来れたとは幸運な人だな。今日は豊穣祭で正妃様にお目にかかれる日だ。これをやるぞ」と黄色と青の布を渡され、アデライーデ様がバルクに輿入れされてからの発展を、異口同音に聞かされ酒を奢ってもらった。
道や広場を見ても、祭りによくいる物乞いや浮浪児が一人もいない。所々で小さな喧嘩や揉め事はあるようだが、それも大したものでなく王都全体がお祝いムードに包まれていた。
「随分と慕われている正妃様なのだな…」
ナジーンは自分の見習いをしている年若の異母弟につぶやくと、異母弟は街で仕入れてきたテレサとアデライーデの話をナジーンに耳打ちした。
その話を聞き、念の為にと持っていった血赤珊瑚を献上してよかったと煌煌と輝くシャンデリアを見つめながらナジーンは思った。
昨晩の王宮の夜会で手にとったワイングラスでこれからの母国での商談の腹積もりをしていたのだが、これは考えを改めねばならぬと合図の仕草である顎をなでた。
会頭をしている異母弟達も同じことを考えていたようで、それぞれ話し合いたいという合図の仕草をしていた。
その夜、夜会は大層盛り上がり深夜遅くまでタクシスの屋敷のシャンデリアの灯りは消える事はなかった。




