236 豊穣祭の夜と乾杯
アデライーデ達が夜会を過ごしていた頃、バルク王都では庶民たちが賑やかに祭りの夜を楽しんでいた。
例年も賑やかな祭りだが、今年は今までにない華やかさだった。
フライヤーを備えた屋台が広場のあちこちに店を出し、フライドポテトやとんかつだけでなく揚げ鳥や揚げ魚の店も出ていた。それぞれの店が独自にメニューに工夫をこらし屋台で出す品はフライヤーが登場した日から日を追って増えていっている。
夜になるとそれぞれの屋台が灯りを灯し、まるで広場は昼のような明るさであった。
フライヤーは教会から一定のお金を収めれば借りる事ができるようにとのアデライーデの発案で、それまで店を出せなかった者達も少ない元手で屋台を出せるようになったのだ。
最初の頃、揚げ物に使った廃油の処理が面倒だからと海や用水路に捨てる不届き者が出てきて問題になったが、フライヤー返却の時に教会が廃油を引き取る事にしたので、その問題も落ち着いてきた。
教会には、孤児院だけでなく救護院も併設されている。
教会は身寄りがなく高齢で雇ってもらえなくなった者や、怪我や病気で仕事につけなくなった者達に、フライヤーの清掃と廃油の集荷の仕事を与えたのだ。
教会は救護院の近くに倉庫を借り、その中で彼らはゆっくりと貸し出しから返ってきたフライヤーを磨き、集めた廃油を濾してゆく。
汚れのひどい廃油や濾したゴミも、ペルレ島の食堂や大浴場の燃料とする為に使われ、アデライーデの比較的きれいな廃油はハーブを使って臭いを消し庶民用の手頃な石鹸をつくらせれば良いとの言葉で、教会は救護院での石鹸作りに力を入れ始めていたのだ。
寄付だけでカツカツの運営だった教会に安定的な収入が入るようになると、各教会がこれまで手を差し伸べられなかった者達にも手を差し伸べ始めた。これにより王都にスラム街は無くなり、今やバルクで教会のある街では浮浪者や行き倒れの者をほとんど見ることがなくなっていた。
今日は救護院の者たちも仕事を休み、教会から手渡された小遣いを持ち青と黄色の布を振ってアデライーデを讃え、祭りを楽しんでいる。
王都も以前にはなかった活気に満ちていた。
アリシア商会は帝国に炭酸水を運んだ帰りに、空になった荷車いっぱいに帝国の手頃な小物や布や実用品を仕入れて帰ってきて国内の商会に安く卸すと、それはまたたく間に売れていったのだ。
オイルサーディンやアンチョビの工場で働き始めた漁師の夫を亡くした寡婦達や若い女性たちが収入を得てそれらを購入する事によって、バルクの市場が一気に広がっていったのだ。
中にはその小物を仕入れて、小間物の屋台を出す女性も増え始めていた。
そして、今日の豊穣祭である。
実りは例年とそう変わりなかったが、たった季節が2つ過ぎる間に、バルクは見違えたかのように栄え活気に満ち庶民達は肌でそれを感じている。
ワインも小麦も芋も魚も、いつもの年と変わりない。
しかし、フライヤーの登場により商いを始めやすくなり、炭酸水の輸出やペルレ島の開発で働き口が増え、帝国の品も流通し始め生活は確実に良くなっている。
そして、その恩恵の主であるアデライーデは今日、王と一緒にベランダや馬車から自分達に手を振ってくれた。
黄金に輝く髪を煌めかせ優しげな笑顔を惜しみなく見せ、手を振る姿は女神のようだと、皆口々にささやきあい中には涙を流す者さえいた。
それは年を老い働けなくなってスラム街にいた老人達だ。救護院に入り、教会でアデライーデがフライヤーを作り廃油から石鹸をつくれば良いとの言葉があったと聞いた。
その言葉のおかげで自分達はスラムの片隅で死ぬこともなく年老いた体でも無理なく働け屋根の下で寝起きし生きていけるのだ。
教会の者によれば正妃様は、奥ゆかしい方で派手な事は好まず普段は離宮にお住まいになり、民のためにそこで色々な物を作られているという。
教会にも名を伏せるように寄付をされ私的な孤児院を持ち、お忍びで庶民の暮らしを見聞きしていると聞いている。
そんな慈悲深いアデライーデと、アデライーデと縁を結んでくれた神と国王に彼らは深く感謝していた。
そして、その話は教会に通っている者や教会で石鹸を購入した者の口からすぐに広がっていった。
豊穣祭では夜が更けるまでその話題にあふれ、何度もバルク国に祝福をとあちこちで乾杯の声が上がり、人々はこれからのバルクの発展を信じ幸せを噛みしめて、感謝を込めてフライドポテトを口にしていた。




