235 たまご焼きと珊瑚
「さぁ、お夜食をご用意いたしましたわ」
「ありがとう! 少しお腹が空いていたのよ」
気の利くマリアはお風呂上がりに夜食を厨房に頼んでくれていた。夜会の主役ともなると挨拶やダンスの誘いを受ける事が多く、飲み物ばかりを口にしがちである。
コルセットに締め付けられている間は気がつかなかったが、外したあとに感じていた空腹はかなりなものになっていた。
--そう言えば、最後に口にしたのは夜会のフライドポテト一本だったわね。
夜着の上からツルンとしたガウンを羽織ってソファに座ると、マリアはティーワゴンから熱いコンソメスープがはいったカップをテーブルに置いた。
「美味しいわ…」
空っぽになっていた胃袋に優しいコンソメスープが染みわたる。
「お夜食なので軽くですが」
そう言ってオイルサーディンと小エビのカナッペとサイコロ状に切ったたまご焼きを出してきた。
「あら…たまご焼きだわ」
--アルヘルム様にはあまり好評ではなかったから、王宮で食べられてはいないと思っていたのに。
四角く切られたたまご焼きを口にすると、ふわふわと柔らかくコンソメの味がした。だし巻き玉子のコンソメ版といったところだろうか。陽子さんが教えたのはマヨネーズを入れたものだが王宮の料理人達も教えられたレシピの習得だけでなく、アレンジしていくのだろう…。これからの発展が楽しみだとにんまりとしながらコンソメ味のたまご焼きを味わっていた。
「ええ、今やたまご焼きは夜会での貴婦人方に欠かせないものらしいですわ。出しても出してもすぐに無くなると評判ですのよ。そうそう、南の大陸の商会の会頭達もいたく気に入ったようですわ」
マリアはにっこり笑いながらコンソメスープのおかわりを出してきた。今晩はお酒は飲ませてくれない気らしい。確かに夜会ではワインと蜂蜜酒しか口にしていない。
「会頭達といえば、ご挨拶の貢ぎ物がまた凄かったですわね。あれ程の物は帝国でもそうそうお目にかかりませんでしたわ」
「そうね…」
夜会の中盤になり、タクシスから今日の招待客として告げられた3人の会頭達はそれぞれバルクへの祝いの品として、手の込んだ織物の絨毯と、珍しい布。そして大粒のオパールを披露したのだ。
それらはバルクでは披露された事のない品である。
彼らはそれらを手土産にバルクでつくられたクリスタルガラスの品々を独占的に商える契約を結ぶために、先程手の者にとっておきの土産を取りに行かせていた。
彼らは商人である。
この夜会でバルク国が自分達の商会にどれほどの利益を産むか見定めるためにいくつかのランクの土産を持ってきていた。
いかにペルレ島で船員達に受けの良い待遇をもたらしても、商会が利益を産むものでなければ意味がない。
しかし、先程クリスタルガラスのワイングラスを見て十二分に利益があると踏んで持ってきた最高級の品を祝いの品に出しても利益が出ると判断したのだ。
「偉大なるバルクの王に、ささやかながら祝いの品を献上致します。そして、我らのような者をこのような晴れやかな席にお招きいただいた事に感謝いたします」
恭しく頭を下げる会頭達の挨拶にアルヘルムは満足げな笑みを浮かべ、返答した。
「うむ…。素晴らしい品々であるな。我が国とこれからも良き付き合いを望むぞ」
「是非ともに…。そしてこちらはテレサ王妃とアデライーデ正妃様へ」
そう言って差し出された宝石箱の中には、ルビーのような丸い紅い宝石が2つ収められていた。
「……血赤珊瑚?」
「おお…これをご存知とは…。流石バルクの正妃様でございますな。贈る冥利に尽きるというものです」
ぽろりとこぼしたアデライーデの言葉を聞き逃さなかった会頭は破顔して周りにわかるように大げさに喜んでみせた。
血赤珊瑚は、珊瑚の中でも貴重で滅多に取れるものではない。会頭にとってもとっておきの血赤珊瑚を貢物に出すかどうかは賭けであったが、すぐにアデライーデが言い当てた事に芝居ではなく心が沸き立つものがあった。
「アデライーデ、この宝石を知っているのか?」
「……ええ、真珠と並ぶ海の宝石である珊瑚の最高級品ですわ。本の知識でしか知りませんが」
実は陽子さんは母親から譲り受けた血赤珊瑚のネックレスを持っていた。贈られた品の何十分の1の大きさだが、生前母親が大切にしていた大事なネックレスだった。小さい頃から母親が祝い事に出向くたびにとっておきのネックレスを大事そうにしているのを見てきたのだ。
--いずれ、薫に渡そうと思っていたけど、直接は渡せなかったわね。
少ししんみりしながら眺めていると、アルヘルムがにこりと笑った。
「二人で揃いの宝飾品をつくれば良い。海の至宝がバルクの至宝を彩るのだ。華やかになるな。そなた、名は?」
「ユシュナ商会の会頭、ナジーンと申します」
「うむ…。気の利く貢物だ。今宵は大いに夜会を楽しんでくれ」
「もったいないお言葉でございます」
更に深く頭を下げナジーンは、血赤珊瑚を2つ持っていた幸運に胸を撫でおろしていた。




