234 それぞれの夜会と苦いワイン
「ふぅ… 生き返るわ」
「今日は朝から豊穣祭と、祝賀の夜会へと続きましたものね。お疲れでしたでしょう? それでなくても王宮にいらしてから連日昼は茶会やご挨拶がなにかと続きましたから、お疲れも溜まっているのですわ。それにしても昼間のアデライーデ様へのバルクの、民からの歓声。あれはすごかったですわね。足が震えるほどでございましたわ」
「そうね。あれにはびっくりしたわ」
バスルームの中、アデライーデとマリアだけなのでマリアはアデライーデの髪を洗いながら興奮気味に話をしていた。マリアがリラックスの為にお湯に数滴オレンジオイルを垂らすと、すぐにバスルームの中に甘いオレンジの香りが満ちていった。
アデライーデはバスタブに体を沈めてうーんと、伸びをする。1日コルセットに締め付けられているなんて結婚式の時以来だ。身体は正直なもので、コルセットを外した途端に疲れと小腹がすいてきた感じがしてきた。
マリアに髪を洗ってもらう心地よさに身を任せながら、王宮に来てから今日までの事を考えていた。
--離宮でお会いする時の顔とは違ったお顔をしたアルヘルムだったわね。あれこそ王の顔だったわ…
テレサ様も王妃の顔でメラニア様と見事に社交界を取り仕切っているって感じだったし、さすが二人とも現役の為政者よね。
--私が離宮で好きに過ごしている間にも彼らは日々この国を治めているのよね。本当に離宮にいて良かったわ。私は彼らと同じ土俵には立てないわね。
例え、今のバルクの繁栄のきっかけがアデライーデにあったとしてもそれを取り上げ活かし、上手くいくように周りと調整していくのは彼らの力量だ。
それが上手く行っているからこその、今日のアデライーデへの歓声だったのだと今日の市街パレードと夜会を過ごしてみて実感していた。
彼らより長く生きているとはいえ、学生時代からまとめ役などもやったことがない陽子さんにとって、テレサ様のような芸当はできない。
前世と違い、アデライーデの恵まれた容姿とスタイルに少しだけ自信を持ってドレスを着て皆の前に立ってはいるが、本来の自分であれば絶対にありえない姿である。
--私はこのまま離宮にいて、時々王宮に出向く…それが良いわ。私がこの世界で『金の卵を生むガチョウ』なのははっきりとわかったし。滅多に姿を現さない方がアルヘルム様たちにとっても都合がいいはずだしね。
今日の夜会には、例年呼ばれていない特別な招待客達がいた。
特別な招待客とは近隣諸国からのアデライーデが豊穣祭に参加する初年祝いの使者としてバルクに来ている大使達と、タクシスに招待された南の大陸の商会の会頭達だ。
会頭達は、ペルレ島で食べられているフィッシュアンドチップスやとんかつをはじめとした食べ物の話を船長から聞いていてどのようなものか知ってはいたが、夜会で出されたそれらが話よりずっと洗練されたものであるのに驚きを隠せなかった。
会頭達は珍しい食事とデザートに舌鼓を打ちつつ、供されているすべての皿を吟味しながら食べていた。
そして、今回の商談の目玉であるクリスタルガラスのワイングラスは1度も手を離すことなく、一気にワインを飲み干すと空になったグラスを目を輝かせながらしげしげと眺めていたのだ。
時々軽く爪で弾いたり、グラスの薄さを確かめたりして各自、何事かそれぞれの商会の男に耳打ちすると、耳打ちされた男達は広間から消えていった。
大使達はその立場から顔を作っていたものの、結婚式の時とは違う豊穣祭の華やかさと、やはりワイングラスに目が釘付けになっていた。
アデライーデが嫁いですぐに輸出し始めたバルクの炭酸水のことはもちろん知っている。発売と同時にバルク国から自国の王家へと贈られた炭酸水は、最初それほど人気が無かった。
ところが帝国の皇后がお気に入りと言う事が、自国の社交界の耳に入るとたちまち人気が高騰しすぐに入荷待ちとなっていた。
「ただの水が、ワインより高いとはな」
ワインは人手も金も技術も必要なものだ。しかし、水は勝手に湧いてくるのである。その水の方が手間もかかった自国のワインより高価であり、その水を自国のワインよりありがたがって飲んでいる貴族達に大使は眉をひそめていた。
今ではだいぶ落ち着いてはいるが、未だに炭酸水の人気は高い。その後バルクは帝国にサンキャッチャーと言うガラス細工を献上し皇后だけでなく、皇帝の覚えめでたくなったのだ。
この豊穣祭を見れば今春自国とさほど変わらぬ国であったのに、気がつけば国内は活気で溢れ帝国への街道にはバルクからの荷車が連なるように走っていた。
ため息が出るような発展である。
大使としてはどうして自国にアデライーデを迎え入れられなかったのかと喉の奥に苦いものが走っていた。年の釣り合いなら自国の第3王子の方が取れただろうにと思うと余計にワインが苦く感じる。
自国の特産品はバルク国と同じガラスと木材である。海岸は高い崖になってはいるが海はある。領にはバルクと同じく小島もあるのだ。
違うのは皇女を娶れたかだけの違いのように思って、大使はゴクリとワインを口にした。




