232 希望と王
「明るい未来?」
「そうだよ」
優しいキスが終わると、アルヘルムはアデライーデの細く柔らかな髪を撫でながらそう言った。
「貴女がこの国に来るまで、この国はそれなりにまとまってはいたが貧しい国だった。主な産業は板ガラスと木材の輸出でこれと言ったものはなく、港はあれど開発する力も資金も無かった」
アルヘルムは片手でアデライーデを抱くと、四阿の外に目線を向けた。その目線の先はここから見える庭園ではなくどこか遠いところを見つめていた。
「先王が見つけた炭酸水も価値を見いだせず、野に埋まりかけていたのを貴女がその価値を掘り起こして世に出してバルクに活気をもたらした。そして、次々にこの国の人間ですら気づかなかった宝に光を当てたんだ」
「無価値だと思われていた炭酸水や魚や海藻。バルクの唯一の持ち物であったガラスに付加価値をつけてクリスタルガラスとして世に生み出したのはアデライーデ、貴女なのだよ」
それは違うと陽子さんは思ったが、それを説明する術はない。
「貴女がこの国に来てからどのくらいだ」
「春に嫁ぎましたから半年と少しでしょうか」
「その半年の間にバルクはいつもの2年分の利益を出しているんだよ。たった半年でだ。来年はその何倍もの収益を見込んでいる。国内は未だかつてない賑わいだ。いつも民草にどのようにして温かい食事を与えるか、飢えさせないようにと悩んでいたのが嘘のように人手が足りずに困っているほどだ。このような悩みが出るとは思っていなかった。今までにも少しだがバルクの国内が賑わったことがある。それは先王が板ガラスを奨励した時と港を整備した時だ。しかし、その時に恩恵に与れたのははガラスの産業に携わる者たちと、一部の貴族達だけであった」
アルヘルムは、前を見据えたまま言葉を続けた。
「だが、今回は違う」
「ホケミ粉とフライドポテトでは農家が。ガラスとフライヤーでは職人が。オイルサーディンでは漁師が。そして島の開発では、国内で職にあぶれた者達が…ほぼすべての民草に今までより多くの仕事を与えられ豊かに暮らせているのだ」
「貴族達もそうだ。彼らもこの国の中だけに目を向けていた。しかしクリスタルガラスのグラスを見てそれぞれの領地でなにができるかを思案し始めた。その時にガラスの街の話だ。彼らがどれ程貴女の話に心惹かれたかがわかるかい?無論私もだ。いずれ必ず作ろうと思っている」
前を見据えていた目線をゆっくりとアデライーデに落とすとアルヘルムは優しくアデライーデに微笑む。
「………」
「人には…民草には生きてゆく為に希望が必要だ。今日より明日が今までより良い暮らしができると信じて眠りにつける希望だ。
民草にそれを指し示すのが王族の務めなのだ。そして希望だけでなく、一人でも多くの民草により良い暮らしをさせる事が王の責務でもある」
見上げるアルヘルムの横顔はいつもの優しいアルヘルムではなく、そこには王の顔をした男がいた。
「私は今まで未熟な王で、先王の功績を保つ事しかできなかった。しかし貴女を娶る事で、それは大きく変わった」
「貴女は私に…この国の民草に、どれほどの希望と恵みともたらしたことか…」
「か……買いかぶり過ぎですわ。私はただ…」
アルヘルムが言うそれらすべてが前世の記憶と経験からなのだとは、言えない。
そしてその記憶と経験があっても、今のバルクの発展をアデライーデ一人だけで成し遂げることはできない。アデライーデの言葉やする事にアルヘルムが価値を認め、拾い上げたからこその発展である。
それこそ、王としてのアルヘルムの判断が今のバルクの発展を生み出しているのだ。
「…私はただ、私がやりたい事をやっているだけです。今のバルクの発展はアルヘルム様のご判断ですわ」
「その貴女が言うそのやりたい事が、どれ程民草を豊かにしているか豊穣祭でわかると思うよ」
「豊穣祭で?」
「あぁ、今年の恵みを神に感謝し祝う日だが、王が民草から1年間の政の評価をもらう日でもあるんだ」
「評価をもらう日?」
「そうだよ。豊穣祭で民草の前に立つと今年1年彼らが幸せであったか、来年に希望を持っているのかわかるよ」
豊穣祭で民草の前に立てば、自ずと分かる事だと謙遜するアデライーデをアルヘルムは否定しなかった。今そうでないよと言っても、アデライーデは違うと言い張るだろう。
「ところで、贈ったドレスは気に入って貰えたかな?」
「えぇ、とても」
贈ったドレスの話からアルヘルムは豊穣祭についての話を始めた。建国と同じくらい長い歴史のある豊穣祭は、新年の祭りと並んでバルクに大事な祭りである。
豊穣祭の話をアデライーデに聞かせながら、目まぐるしく駆け抜けた2つの季節の間に起きた事を思い出していた。




