230 驚きと未来への打診
「なんだ…この数字は」
「間違いはない。各担当者に3度確かめさせた」
タクシスが出してきたのは、アデライーデがこれまで世に送り出したもの達の原価表だった。
一番高価なものは無論クリスタルガラスで作られたシャンデリアやサンキャッチャーやワイングラスだが、それ以外ではフライヤー、貴族向け炭酸水が続く。最近よく売れていると報告を受けたスライサーを始めとした調理器具は元より、オイルシュリンプはちょっと高めだがオイルサーディンは庶民でも手に入りやすい価格で近隣諸国にも盛んに取り引きされるようになっていた。
凝視したのはオイルサーディンの原価率だった。
貴族向けのオイルサーディンの価格の殆どは利益である。もとは塩漬けにして売られていて売価も二束三文の安さであったイワシが、食用油代と瓶代を入れても信じられないくらいの利益を生み出していた。
逆にフライヤーは高価だが材料費が多くを占めていて利益率はそれほどでもない。いや、普通の利益率なのだがオイルサーディンやスライサーに比べると低く感じてしまうのだ。
「次は、この報告書だ」
さらに渡された報告書にはアデライーデが作った菓子達の原価が書かれていたがオイルサーディンより安い原価率で作られていたのは琥珀糖だった。ほぼ砂糖の値段と言っても差し障りがない。砂糖はもちろん高級品だが、それが10倍近くもの価格となっていた。
「これは?琥珀糖の原価が砂糖の分しか書かれていないぞ。あの天草と名付けられた海藻の値段が抜けている」
「抜けているんじゃない。海藻には値段がなかったから付けようがなかったんだ」
そう言うと、タクシスは深くソファに座り直した。
「今まで見向きもされなかったものだからな。まぁ…これから海藻を拾わせるために人を雇うが、それも僅かなものだ。炭酸水もそうだが、アデライーデ様の生み出すものは今まで価値が無い、もしくは手に入りやすいと言われていたものを使って作られている。無価値だったものがアデライーデ様の手の上を過ぎると驚くべき価値を持ちだすのだよ」
昨日の夜会で、ワインと共に振る舞われた琥珀糖に貴族達は驚きを隠せなかった。琥珀や金塊のかけらに似た琥珀糖を手に取り掲げる者、ルビーの原石に似た赤い琥珀糖にキスする貴婦人達と…広間は一時騒然となった。
バルクに限らず、宝石の原石を富を呼ぶ幸運のアイテムとして屋敷に飾る風習を持つ貴族達の関心は、琥珀糖に寄せられた。富の象徴である宝石に見立てた琥珀糖を口にすると、まるで宝石を食む気まぐれな妖精シャナになったようだと、口々に琥珀糖を褒め称えた。
帝国の『瑠璃とクリスタル』では巣蜜が詰められているクリスタルガラスの小箱に琥珀糖を詰めて豊穣祭の振る舞いとして帰りに持たせると、どの貴族も上機嫌になり大事そうに持ち帰ったのだ。
「驚くだろう?」
「あぁ、炭酸水の時以上の驚きだ」
「このひと月で言えば、フライヤーよりオイルサーディンの利益の方が上だ」
「うむ…庶民向けのものは手を出しやすいからな」
「ホケミ粉は、それ自体の利益率は1番低いが貴族向けの菓子にすると桁が違う利益になる。帝国の『瑠璃とクリスタル』ではカフェの売上より、土産に注文される持ち帰りの菓子の売上げの方が何倍にもなっている」
予約がとれなかった友人知人への土産や自身の茶会に出す菓子として『瑠璃とクリスタル』には、日々大量の注文が入るようになっていた。
その為、バルクの王宮から新たに料理人や菓子職人が何人も派遣されていた。王宮の厨房はアデライーデが作り出す新しい菓子や料理を習得しようと活気に満ちている。
同じように去年までどのようにして民草に仕事を与えるかと頭を悩ませていたのが嘘のように、バルク国内は景気に湧いている。
「今年の豊穣祭は、例年になく盛り上がるぞ」
「そうだな」
「ところで、噂はどうなった?」
「なんの噂だ?」
「アデライーデ様とテレサ様の確執って奴だ」
「誰も彼もそんな噂があったのかといった風情だな。まるで姉妹のような仲の良さだと言っているようだ」
アルヘルムは苦笑いをしながらそう答えティーカップに残っていた紅茶を飲み干すと、これでアデライーデを離宮から呼び寄せた悩みの種が潰れたと安堵してポットからお代わりを注ぎたした。
ナッサウに貴族たちの動向を探らせたところ、懸念していた噂は四散したらしく、今は琥珀糖をどのようにしたら手に入れられるかとガラスの街の話が噂になっているという。
目端の効くものは、ガラスの街の話に関われないかとタクシスの元には夜会の誘いの手紙がすでに届き始めていた。
「ガラスの街の事だが…」
「帝国にはもう少ししたら打診しておく。まだ数年先の話だがとな」
「あぁ。頼む」
バルクの中だけですぐに着手を決められるペルレ島の開発と違い、いずれガラスの街を建設するのであれば、国境を接している帝国には事前に皇帝へ話を通しておく必要がある。
アデライーデを正妃に迎え義理の息子となっているとはいえ、国境近くに何かを建てるのであれば国としてのけじめは必要だ。
タクシスがティーカップをサイドテーブルに置き仕事を再開しようとして、目をあげるとアルヘルムは自席に戻らず執務室を出ていこうとしていた。
「おい、どこに行くんだ?」
「ん?今日の仕事は終わったから戻るんだよ」
「なに?」
タクシスがアルヘルムの執務机に目をやると、確かにすべての書類は片付けられていた。
だったら、確認してほしい書類があるとタクシスが急いで振りかえると、そこには閉まった扉の音だけがあった。




