23 皇后の昼下り
「よろしかったのですか?」
皇后が自室のソファで侍女にお茶を頼み寛いでいると、お茶を持ってきた侍女が皇后に尋ねた。
「謁見のこと?」
サーブされたお茶を一口飲んで皇后は言った。
「はい。ご一緒にお出ましになられなくて良かったのでしょうか」
「私、野暮じゃないのよ」
そう言うと、皇后は笑ってお茶を飲んだ。
「久しぶりの親子の対面に、私が居てもね…」
そう言うと皇后はティーカップをテーブルに置き、テーブルフラワーの白いマーガレットを眺めた。
皇后は、アデライーデに会ったことはない。
正確には、命名式の時に赤子のアデライーデを見た事はあるがそれっきりである。
本来結婚の挨拶には皇帝と皇后が同席するものだか、本日の出席は遠慮した。
「本当に、エルンストは生真面目すぎて融通のきかない人なんだから…」
皇后はベアトリーチェの事を好んでいた。
純粋にエルンストを愛していたベアトリーチェを姉のような気持ちで見守っていた。
皇后はエルンストの事を大事に思っているが、ふたりの間にあるのは男女の情ではなくすでに家族愛に近い。
そのエルンストがどうしてもと望んだ相手が、エルンストの想いを利用するような輩なら「それなりの対処」をしなくてはと思い妃に迎えてしばらくしてからベアトリーチェを二人だけのお茶会に誘い話をしたことがある。
ベアトリーチェは緊張しつつも皇后に礼を尽くし、皇后は思いの外楽しくお茶の時間を過ごしたのだ。
なんの駆け引きもなく社交の話もなく、ただ好きな花や家族の話、領地で流行っているという庶民のお菓子や祭りの事など嬉しそうに話すベアトリーチェにエルンストは良い妃を選んだと安心した。
念の為にグランドールに命じて、自分の判断に間違いがないか裏付けを取るようにも依頼した。
数カ月後の報告にも満足がいくものがあった。
ベアトリーチェの実家のコルファン伯爵家も、ベアトリーチェが妃に望まれた後、縁を持ちたい貴族からの引き合いや妬みがあったらしいが奢ることなく慎ましく過ごしているらしい。
弱小とはいえ堅実な領地経営をしているコルファン伯爵家の領地は治安も安定している。あまりに問題がなさすぎで帝国の会議で一度も俎上に上がらなかったので、国内の貴族を大抵覚えている皇后も思い出すのに苦労した程だ。
娘が妃になれば、これを利用して権力に取りいろうとする貴族社会の中では異質だ。
何度目かの二人だけのお茶会のときにベアトリーチェが皇后に聞いてきたことがある。
「王宮でのお茶会と言うのはよく開かれるものなのでしょうか」
「陛下主催のお茶会?」
「いえ…他の妃の方の主催のものです…」
「そうね。規模を問わなければ割とあるわね」
「そうですか」
「……… 出席は必須じゃないわよ」
ベアトリーチェの顔に驚きが見えた。
「呼びたい方をご招待するけど、いちいち受けていたら毎日お茶会になってしまうわよ。お茶会の場合は公式行事ではないから適当に断って大丈夫よ」
「そうなのですね。でも、私は新参ですので…」
「妃はね、平等なのよ。一通りの妃達のお茶会には呼ばれたの?」
「はい」
「それなら、義理は果たしているわ。何かあったの?」
「いえ! 特には…ただ…」
「ただ?」
「私にはよくわからないお話が多く、お返事に失礼があってはと思いまして」
ベアトリーチェはもじもじと困った様な顔をして答えた。
(洗礼ね…)
これまでの妃は皇后が選定し、会議の選定後内定し打診される。
だが、ベアトリーチェは皇帝自身が強く望み妃になった。対外的には皇后が推薦したことになっているがそうでないことは皆が知っている。
皇后の推薦と言う枷がある以上、妃の身分は平等だ。
しかし陛下の寵愛があれば一歩抜きん出ることができる。だから誰か一人に寵愛が集中しないようにお互い牽制しあっているのだ。
陛下の寵愛がベアトリーチェに固定される前に、お茶会で皆してベアトリーチェにマウントをとっているのであろう。
ベアトリーチェは今年成人したばかり。それに高位貴族と違い社交のマナーは教えられていても実際の社交の経験は無いに等しく、年齢も上の他の妃の中にいてはやられ放題なのは想像に難くない。
「無理に出なくてもいいのよ」
「そう…でしょうか…」
「それに珍しいのは最初だけで、そのうちお誘いも落ち着くと思うわ」
皇后の言葉に少しホッとしたようなベアトリーチェを見て、皇后は微笑んだ。
(この子は社交には向かないわ)
皇后との二人だけのお茶会もベアトリーチェに限ったことでなく、すべての妃と必要に応じて行っている…皇后にとっては仕事の1つだ。
妃達は会話の中に、実家からの要望や他の妃の実家の噂などを織り交ぜてくる。それはそれでいいのだ。彼女達の実家からの使命で帝国にとっても重要な事案の糸口になる事もある。
ただベアトリーチェとのお茶会では何も無い。
会えば、他愛もない話で皇后とのお茶会を過ごす。
社交の中で生きてきた皇后には、ベアトリーチェとのお茶会は人生で初めての経験だった。
エルンストを挟んで本妻と側室ではあるが、姉のような気持ちになるこの奇妙な関係の『友人』とのお茶会を密かに楽しみにしていた。
(エルンストもきっと、こんな気持ちなんでしょうね)
皇后はその日のベアトリーチェとのお茶会を終わらせると、グランドールを呼んでベアトリーチェの側仕えに「気が利く」者をつけさせるように指示を出した。
マルガレーテの選別と付き添いにより、ベアトリーチェへのお茶会の誘いは無くなっていった。
エルンストがベアトリーチェの下に行かなくなっても、友人とのお茶会は細々と続きアデライーデの成長も聞いていた。
アデライーデの成長をエルンストより早く聞くのは、少しおかしいと思いつつ…
いつだったか、エルンストにグランドールの進言も分かるが、ベアトリーチェに会いに行っても良いんじゃないかと話を向けたが「グランドールからの進言だけでなく自分がベアトリーチェと約束したから」と、やんわり断られた時には、生真面目もすぎると呆れ返った…。
お尻を叩いてでもベアトリーチェの下に送り出そうかとも思ったが、1日でも早く帝国に平和をと奔走するエルンストに呆れつつも、平和になれば二人が会えるようになると共に頑張ってきた。
だがベアトリーチェが亡くなったと聞いた時、友人の死に激しいショックを受けていたが、皇帝が執務がとれない今皇后である自分がしっかり政務代行をとらなければならない。
この状況で陛下にショックを与えることはできないと、グランドールの陛下が回復するまではお伝えしませんとの申し出に頷くしかなかった。
病が回復してから、ベアトリーチェの死を知ったエルンストは呆然として数日部屋から出てこなかったがその後はいつもと変わらないように淡々と執務を執り行った。
エルンストは変わらないようにしていたが、心がここに無いことは皇后には分かった。
アデライーデとの再会にエルンストは怯えているように見えたが、皇后はアデライーデがエルンストを憎むような事は無いと信じている。
エルンストとベアトリーチェの娘だ。
ベアトリーチェが大事に大事に育てた娘だ。
きっと今頃、空いた時間を埋めるように過ごしているに違いない。
そこに自分は不要だ。
「ね…ベアトリーチェ。いつかまた貴女とお茶を飲みたいわ」
白いマーガレットが微かに揺れた気がした。