229 菓子と報告書
コツコツと気忙しいノックが扉で鳴ると、室内からの返事を待たずに扉が「がちゃり」と開き、いつものようにタクシスが、書類を小脇に抱えて執務室に入ってきた。
明日は前夜祭なので、実質的な執務ができるのは今日までとなる。次にまともに執務ができるのは3日後だ。その間の仕事を今日中に済ませないといけない。
どかりと、ソファに座り書類に目を通し始めるとナッサウが午後のお茶を持ってくるまでの間、無言でアルヘルムとタクシスは仕事を続けた。
紅茶の良い香りが執務室を満たした頃に、やっとペンを置いてしばしのお茶の時間となった。テレサやアデライーデとするお茶と違い、このお茶の時間は固くなった思考を解きほぐし、これからの仕事への鋭気を養うための物である。
濃いめのお茶にいつもは甘い蜂蜜をたっぷりと入れるが、今日も二人の前にはクレープシュゼットを敷いた少し大きめのプリンがそっとおかれた。
ゴツい男二人の前に置かれたオレンジの香り漂うクレープを纏ったプリンが、ふるりと揺れる様は少しだけシュールである。
「旨いな」
生クリームを少しかけアルヘルムがそう言うと、意外にも甘党のタクシスは、黙って頷きながらきれいに平らげてゆく。
これからメラニアの元に派遣される王宮の菓子職人の特訓に付き合って、アデライーデの晩餐の夜からずっと午後のお茶の時間の菓子は淡雪やミルク寒天、プリンとクレープシュゼットと続いていた。
「ところで昨日のガラスの街の話だが、実のところはどうなんだ?」
「やってやれなくはない…。しかし、予算的には厳しいな。ペルレ島が利益を出し始めているとは言えどもな」
「そうか、やはりな」
プリンを食べ終えたアルヘルムはスプーンを皿に置くと、添えられたナフキンで口を拭き、濃いめのお茶を口に含んだ。
美に対して完璧主義のメラニアが参加するのであれば、ガラスの街に注ぎ込む金も跳ね上がるはずだ。メラニアの満足と造ればバルクの威信になるであろうガラスの街の予算は膨大になるのは目に見えている。
ペルレ島とガラスの街。
今までのバルクでは考えられないような国家予算が必要になる。しかし、アルヘルムはアデライーデの話に心を強く揺さぶられた。
この2つの事業は、これからのバルクの産業の礎となるはずだと。
造り始めたばかりのペルレ島にも数年金がかかると思っていたのだが、ペルレ島では3交代による働かせ方で予想外に建築は進み島は利益を出し始めていた。
なぜならば、メーアブルグに寄港せずにいたいくつかの商会がペルレ島にぜひ船を寄港したいと打診を寄越したのだ。船員達の噂話もよく走るようで、何度かペルレ島に寄った船の船員達は、南の大陸と西の大国の港の酒場でペルレ島で今まで食べたことが無いうまいものを食っていると他の船の船員に自慢話をしていた。
噂は噂を呼び、彼らの自慢話に興味を持った他の商会の会頭が、ものは試しとばかりに今までメーアブルグに寄港している商会の会頭に話を取り持ってもらってヴェルフに話を持ってきたのである。
そして、1度ペルレ島に寄港した船は次からも寄るからと約束をして旅立って行った。
定期的に寄港する船が増えれば、それだけ収益があがる。3交代の人足の数を増やせるだけ増やして倉庫、酒場に食堂と検疫所を兼ねた大浴場の建設を急ぐようにとアルヘルムからの指示が飛んだのは数日前だった。
バルクでも収穫が終われば農閑期の農民は、春の種まきの時期まで国や領主の行う街道の工事や大工の所で日雇いの仕事をして日銭を稼ぐ。ペルレ島の開発の人足を集める為アルヘルムは急いで指示を出したのだ。
時を同じくして、タクシスはヴェルフにクリスタルガラスのワイングラスとサンキャッチャーを、以前よりペルレ島に寄港している船の商会の会頭に見せる為に呼び寄せていた。
名目は、アデライーデを迎える最初の豊穣祭への招待だ。
軽く嵩張らず高価なグラスとサンキャッチャーは彼らにとっても良い商品になるはずだ。まだ生産が追いつかず少量しか出せないが、それはクリスタルガラスの価値を高め、より高値で外国で取引されるとタクシスは考えていた。
「いつもいつも、アデライーデ様には驚かさせられるな。炭酸水の時もそうだが、カフェの話も最初は正直無理なのではないかと思っていた。しかし蓋を開けてみれば大成功だ」
最後のプリンのひとかけを口に放り込んで、タクシスはボソリとつぶやいた。
「全くだ。ガラスの街の話にも驚いた。今はまだ夢物語だがな」
アルヘルムはおかしそうに応える。
「ふん。夢物語で終わらせるつもりなどないくせに。 まぁ…それでいてアデライーデ様ご本人は、大した事をしていないと思っているフシがあるがな」
「あぁ、それが彼女の良さだな」
「見るか?この報告書」
そう言ってタクシスがアルヘルムに渡した書類をぱらりと捲って凝視した。




