221 奇妙な条件と内装
「これまでの付き合いもあるし、ペルレ島の娼館にはサロン・キティを据えようと考えている」
「………」
マダムは何も言わずにヴェルフの言葉を待っていた。交渉ごとで失言をしないように相手の出方を用心深く待っているのだ。ただ微笑みだけは忘れずに、ワインを口にしている。
「ここ数ヶ月マダムには心配をかけていたが、それも解消されるだろう」
「ヴェルフ様にはご尽力をいただきましたのね。感謝いたしますわ」
「ただ1つ王宮から条件を出された」
「条件?」
「その条件を呑めるのであれば、こちらで娼館を建てて無料で貸し出すと宰相殿はおっしゃられた」
娼館を建てる費用は莫大だ。この館も先々代が建てて増築と改築を繰り返しながら、やっと自分の代で支払いが終わったのだ。ペルレ島に娼館を建てるために、また1からの借金を背負う事になるが今のままでは蓄財を食い潰しながら先細りしていくしかない。
「魅力的なお話ですが、その条件とは?」
マダムは、心の内を悟られないようにワイングラスをテーブルに置き扇で口元を隠しながらヴェルフに言葉を返した。
美味しい話には必ずそれと同等の枷がある。最初に破格の条件を出してきたのであれば、枷は大きなものであるだろう。どの程度の金を収めればいいのか…、それとも兵士達に女達をあてがえというのだろうか。マダムは冷えた視線でヴェルフの口元を見つめていた。
ヴェルフはワインをごくりと飲むと言いにくそうに、その条件を口にした。
「女達が娼館で働く日数を国が…つまり…こちら側が決めるという事だ」
「なっ!」
思わず手に力が入り持ってきた扇が、きしりと歪む。先程までの穏やかな雰囲気がガラリと変わり、怒気を顕にしたマダムがヴェルフを睨みつけていた。今まで見たこともないマダムの豹変に、荒くれ男たちに恐れられているヴェルフも一瞬たじろいでしまうくらいであった。
外の世界ならいざ知らず、一歩娼館に入ればそこはマダムを頂点にした小さな王国である。娼館の中の事はマダムがすべての決定権を持っている。女達をどのように働かせるかなどその最たるものだ。
「それは私から女達を取り上げると言う事ですか」
低く静かな声とは裏腹に、扇がミシミシと音を立てている。
「いや…違うんだ。今まで通り女達はマダムのものだ。ただ島には限られた者しか入れない。娼館で働けない日とあとはこちらが指定した日に数日酒場や浴場を手伝い助けて欲しいのだ」
ヴェルフは慌てて、宥めるようにマダムの誤解を解こうと話しだした。
「酒場でも浴場でも、それ用の女達を雇えば良いのでは?何故に私の女達を使うのでしょうか」
「……それは、私にもわからんのだよ」
ヴェルフは早々にマダムに白旗をあげ、ワイングラスを掴むとソファに深くもたれかかった。
月のものの予定日の12日から16日前の5日間を中心に前後2日ずつつけて合計9日間は、どの女も例外なく娼館以外の仕事をする事。それがタクシスから聞いたアデライーデが出した条件だった。その奇妙な条件にマダムも意味がわからずヴェルフを問い詰めた。
「それになんの意味がありますの?月のものと合わせて、娼館では今までの半分も働す事ができませんわ」
「わからない。だが、それがペルレ島で娼館を営むには絶対条件なのだよ」
「そのような事…」
「無論酒場で女達を働かせる間、女達にはそれなりの給金を支払う。サロン・キティにもそれ相応の対価を払おう」
島で一軒だけの娼館を経営できる旨味は多い。しかしその地の代官によってそれは大きく違ってくる。独占できるがゆえの大きな利益を掠めとる者もいれば、自分の物のように娼館の女達を扱う代官もいる。
しかし、このメーアブルグの代官であるこの男はこの地の代官に着いてからサロンに1度も賄賂の要求もしなかった珍しい男なのだ。
「呑めないか?宰相殿はこの条件が呑める娼館を据えようと考えておられる。私としては王都から連れてこられた船員達のあしらい方も知らぬ娼館より、長くこの地でやってきて船員達のあしらい方を知りぬき代官所とも良好な付き合いをしているマダムの娼館が…サロン・キティこそペルレ島にはふさわしいと考えているんだが。出された条件はそれだけなのだ。建物の貸出の他には女達に定期的に医者の診断を受けさせようとも言われている」
ヴェルフも長年この地を治めてきて、厄介事の殆どは酒場と娼館で起こる事を身を持って知っている。サロン・キティは先々代が当地にやってきた時より優れた客あしらいと度胸の良さでこの地に根を下ろしてきていた。
当時より船員達が娼館で揉め事を起こしても、娼館が起こす問題事はなく代官所とも協調できていたサロン・キティは代官所にとっても貴重な協力相手なのだ。
どのような人物かわからない相手と今から信頼関係を築くのは、ペルレ島とメーアブルグの2つをこれから治めねばならないヴェルフにとっても大きな負担となる。
ヴェルフの真剣な眼差しに、キティは扇を持つ手の力を緩めた。確かに破格の条件である。建物の貸出に定期的な医者の診断、そして月の半分女達を貸し出す代わりに払われる対価。
他の代官であれば信頼できないが、堅物と言われたヴェルフであればその約束を反故にする事はあるまい。無償の貸出の話も女達の給金も、嘘をついて法外な使用料を要求したりくすねる事もできるのに話してくれたのだ。
普通であれば女達を働かせる決定権を委ねるなど考えられない事だが、今のままメーアブルグで娼館をやっていても先がない。他の娼館が名乗りを上げ発展するであろうペルレ島で娼館経営をするさまを指を咥えてみている訳にはいかなかった。
再び扇を置き、ワイングラスに残っていたワインを口に含んでマダムは優美に微笑んだ。
「内装は私の好みでよろしいのでしょうか」




