219 マダム・キティとサロン
「お呼びとの事で…」
翌日王宮に呼び出されたヴェルフは、宰相室の扉の前でタクシスに挨拶をした。
昨晩、王宮の使者からペルレ島について相談があるとの手紙を受け取り部下を数人ともなって約束の時間にやってきたのだ。
「先ずは、お前からの報告を聞こうか」
ヴェルフの報告によれば島の開発は当初の予定よりかなり早く進んでいると言う。
アデライーデの言っていた交代制を取り入れてから、過去他の建築現場で起こっていたような大きな事故もなく、職人同士の小さな揉め事も激減した。それは長年メーアブルグの管理者であったヴェルフが驚く程の少なさである。
タクシスはヴェルフの現状報告をうけ、当初の計画を前倒しにして歓楽街と、船員用の宿屋と接待用のホテル建設を進める計画に併せて、アデライーデが言い出した医師の診断を受けてから上陸をさせる話を聞かせた。
ヴェルフは最初こそ驚いた顔をしたが、すぐにタクシスの話を真顔で聞きはじめた。
「良いお話でありますな。前回…14年前の流行り病でメーアブルグの街は甚大な被害を受けました。多くの者が死に浮浪者が街にあふれた事は忘れられません。あれを少しでも防げるのであれば次に作るのは診療所でしょうか。今ある島の診療所は職人達用の小規模なものですからな」
その事だが…と、タクシスが出してきた紙には診療所を併設した大浴場の図面が書かれていた。
「この施設を娼館や歓楽街に入る途中に作るのはどうだろうか」
「なるほど…ここを通らねば歓喜の園には行けぬのですな」
港沿いの倉庫や補給施設の後ろに高い柵をつくり、入り口には診療所を併設した大浴場を建てて、そこを通らねば奥には行けぬようにするのである。
ヴェルフの話では、メーアブルグに寄港する船長達の悩みは同じで船員達の病気には神経をとがらせているという。どのような理由であれ診察を受けさせる事に異論などでるはずがないとヴェルフはタクシスに言った。
そして、風呂に入らせた後に島の中だけで着る着替えを渡し歓楽街へ行かせる話には舌を巻いていた。船員達の喧嘩に刃物はつきもので、取り押さえる警備兵の怪我は日常茶飯事なのだ。
メーアブルグでも刃物の持ち込みは禁止だが、服に隠して持ち込んでいるのが実情なのである。
船員達は上陸に際し無料の風呂に入れ、清潔な服を貸し与えられるのだ。そして診療さえ受ければ歓楽街を楽しめるのである。それであれば船員達からも文句は出るまい。
これに文句を言うのであれば、そいつは上陸せずに船で過ごせばいいのである。
島の治安を任されるヴェルフにとってもこの制度は願ってもない事だった。気性も荒く腕っぷしも強い船員同士の喧嘩を制圧する為に怪我を負う兵士は多い。酷いと命を落とす者もいる。
「この件について、船長達はどう言うだろうか」
「反対などするはずもございません。船長にとっても船員同士の喧嘩は悩みの種ですからな」
ヴェルフがくすりと笑って図面をテーブルに置くと、タクシスはお茶を一口飲んで、こほんと咳払いをした。
「ところで…、以前から要望の出ていた娼館の件だが」
「はい」
ヴェルフもお茶を一口すすると、ティーカップをテーブルに置いた。
「要望通り建てようと思うのだが…娼館の主はどのような人物か?」
「何か問題でも?マダム・キティは代々の娼館の女主人の家系のもので国に非常に協力的でございますが」
マダムはキティ・シュミットといい、メーアブルグが先王の開発に伴い小さな漁村から少し大きくなった頃に先々代が王都から居をメーアブルグに移し、サロン・キティという名の娼館を経営している。
マダム・キティはそこの女主人の名で、先代が数年前に亡くなり娘がキティの名を受け継いだ。娘といっても30過ぎであろう妖艶な美人だ。
サロン・キティとメーアブルグの代官の関係は良好で、船員達が枕辺で漏らす貴重な情報をマダムからもらう代わりに、サロンで揉め事があればヴェルフはすぐに兵士を出してサロンを庇護している。
しかし島の建設で、唯一経済的に被害を被ったのはマダムの経営するサロン・キティだ。
ペルレ島に商船が寄港するようになり、太客である船員達はメーアブルグに来る事が激減した。代わりに職人の男達が増えたが船員に比べるとあまり実入りは良くない。
1度娼館に訪れれば数日滞在し、その間女達を貸し切り朝から酒や料理をふんだんに頼んで散財してくれる船員と、泊まらずに帰る職人達とでは娼館に落ちる金に雲泥の差がある。
対等な関係を保ってきた代官とサロン・キティだが、今回の島の開発で初めてマダム・キティはヴェルフに陳情に訪れていた。
このままメーアブルグにだけ娼館を構えていたら、娼館の女達を食べさせていくことができない。ぜひペルレ島に娼館を出させて欲しいとのマダムの陳情に、ヴェルフも頭を悩ませていたのだ。
娼館の女達からもたらされる情報は、ガセネタもあるが稀に有益な情報もある。ヴェルフは娼館との付き合いは無くしたくないと考えていた。




