218 困惑の後始末
「そうか…医者に診せてからの上陸か。それはいい考えかもしれないな」
アルヘルムはアデライーデが部屋に帰った後タクシスを執務室に呼び、先程の話を聞かせてどう思うかと問うてみた。
アルヘルム達の医学では、伝染性の病気はある日突然発生する災禍である。それが人を介して広がるので、一度発生すればその土地への出入りを禁止して収まるまで封鎖するのだ。
封鎖されたその土地に入るのは、介護と神の御許へ安らかに導く為の教会関係者だけになる。
アデライーデは、先ずはペルレ島に病気を持ち込ませないのが大事だと話していた。
少しでも病気の徴候があるのであれば、上陸を断るだけでなく、その罹患者をバルクで預かって治療をさせても良いのではないか。どうせ商船は西の国への定期船なのだから戻って来るのだし、その間どこかに離村にでも隔離して元気になれば船が戻って来るまでの間、なにか仕事をさせられないだろうかと話していた。
アルヘルムは、正直他国の者にそこまで手厚くする必要があるかとアデライーデに尋ねた。
病気の疑いで上陸させないと言えば、体調不良を隠したり受診を拒否してしまうはずであるとアデライーデは答えた。
上陸のための診察はバルク人を病気から守るためであるが、そこまで大事にされると聞けば、船員達も気持ちよく協力してくれ商談面でも有利になるはずだとのアデライーデの言葉をタクシスはアルヘルムから聞いて黙って考えていた。
「そう言えば船乗り病の事でも、言われたことがある」
船乗り病とは船乗りを苦しめている職業病だ。船乗りがなりやすい病気でベテランの船乗りの多くがかかる病気である。
皮膚や粘膜・歯ぐきからの出血に始まり、歯が抜けてきたり酷い貧血をおこす。また病気にもかかりやすくなり事故で死ぬのと同じくらい船乗りの命を奪う職業病と言われている。
「ほう…なんて言っていたんだ?」
「船員たちに流行る船乗り病の話になって症状を詳しく聞かせたら、島で出す食堂のメニューを少し変更したいと言い出したんだ」
「メニューを?」
「レモンやオレンジをたくさん使ったものに変えたいと相談されたんだ」
「……そうか。なんでメニューの変更なのだ」
「わからない。ただ変更したいとだけ言っていた」
「ふむ」
「あとは…」
「まだあるのか?」
「あぁ、その…島の娼館の女達の働く日にちを自分に決めさせて欲しいと言われてな」
「娼館の?アデライーデ様は島に娼館をつくる事を知っていたのか?」
「地図を見せたら、アデライーデが気がついたんだ」
アルヘルムは、少し気まずそうに目線をそらせてワイングラスを弄んだ。タクシスもそんな事まで話したのかと少し呆れ気味になっていたが気を取り直して話を進めはじめた。
「娼婦たちの働く日にちを決めるとは?」
「具体的には、月の半分をダンスホールや酒場の給仕として働かせたいと言われた」
「それに何か意味があるのか」
「わからない。ただ手伝ってもらえたら人手が少なくて済むと言っていたが、それだけでは無いような気がするが理由は言わなかった」
「わからないな…」
「あぁ」
壊血病が発症する理由は極度なビタミンC不足であるし、妊娠のしくみも中学生が学校で習う一般常識レベルである。陽子さんは医者でもなく、ただ子供を二人産んだ経験しか持ち合わせていない。
そんな陽子さんはなぜかと聞かれてもアルヘルムだけでなく、この世界の人間を誰一人納得させることはできない。それにその知識はどこからと言われて「前世の知識で」と言えるわけもなかったので、ただのお願いとしてでしか言えなかったのである。
「お前はどうしようと思ってるんだ」
「……叶えてやりたいと思う。アデライーデが何かを望む事は少ないからな。しかし、大きな損失が無ければの話だが」
アデライーデが何かを強く願う事は、ほとんどない。
むしろ望まなすぎるくらいである。そしてアデライーデがこのバルクにもたらした多くの富に比べたら、今回の望みを叶えるのは容易いことである。
上陸のための診察は明確に病気を持ち込ませない為とわかるが、なぜメニュー変更をしたり娼婦達の働く日を決めたいかの理由がわからないのだ。
しばらく沈黙が続いたあとにタクシスが、グラスにワインを注ぎながら話し始めた。
「わかった。浴場や診療にかかる経費は算出してみよう。それなりの経費になるがアデライーデ様の言うように食堂や酒場の売上でなんとかなるだろう。病気でも持ち込まれたら、その方の被害が大きいからな」
「すまんが、そうしてくれないか」
「新妻の色気のないお願いを叶えたいっていうんだから、しょうがないさ」
タクシスはグラスを揺らしながら、アルヘルムをからかっていたがタクシスもアデライーデの願いの真意を図りかねていた。
しかし、娼婦達の労働日にしてもメニュー変更にしても反対するにはどれも微妙ものばかりである。そう金がかかるわけでもない事なので反対の理由がないのだ。
--まぁ…良いだろう。アデライーデ様が望む事でバルクにとって不利益はあるまい。しかし…賛成している診察と入浴の義務化には金がかかるな。
ヴェルフをすぐに呼び出して計算させなければと、執務室を出たタクシスはすぐに使いの者をメーアブルグに走らせた。




