213 晩餐の始まりと真白の制服
かちゃりと、扉を開かれ中に入るとアルヘルム達の姿はなくアデライーデが一番乗りであった。
「アデライーデ様」
「アルト、お願いしていた準備は出来ている?」
「もちろんでございます」
真新しい王宮料理人の制服に身を包んだアルトが返事をした。前世と同じで料理人の正式な制服は真白の服だ。違うのは高いコック帽では無く髪を落とさないように、櫛の筋目もきっちりと蜜蝋ワックスで撫でつけ固めているところだった。
「失礼いたします。テレサ様が間もなくお着きになります」
テレサ付きの女官の先触れから間もなく、フィリップとカールを伴いテレサが晩餐室に入って来た。
フィリップはもちろん正装だが、カールは紺色のちょっとフォーマルな服を着ていた。子供の茶会の服であろうか、膝丈の半ズボン姿がとても可愛らしい。
「アデライーデ様、晩餐にカールまでお招きいただきありがとうございます」
「お受けしていただきありがとうございます」
「しかし、カールはまだ幼く粗相をしてご迷惑をおかけ致すかもしれませんが、どうぞお許しを」
「どうぞ、お気楽に。ただの晩餐ですわ」
少し心配げに挨拶をするテレサの挨拶を受けていると、カールはとことことアデライーデのもとにやって来て満面の笑みで挨拶をした。
「アデライーデ様、ありがとうございます!」
「今日はお招きありがとうございます…だよ」
「あ、そうか!今日はお招きありがとうございます」
フィリップが横で兄らしく、小声でカールに教えているとアルヘルムの入室が告げられ、皆でアルヘルムを出迎えた。
「揃っているようだな」
にこにことして、アルヘルムが自席に着くと各自椅子に案内された。
アルヘルムのお誕生日席の両脇には、アデライーデとテレサ。テレサの横にはカールと介添の侍女。アデライーデの横にはフィリップがそれぞれの席についた。
茶会が終わろうとしていた時に、これからアデライーデ達が揃って晩餐をとると聞いたカールが、僕も僕もと駄々をこねたのだ。
久しぶりに両親と兄と楽しい時間を過ごしたのだ。自分も晩餐に参加したいとカールは泣き出してしまった。テレサが宥めてもカールは泣き止まず、女官がカールを連れ出そうとするのをアデライーデは制してアルヘルムに尋ねた。
「カール様もお招きしてもよろしいですよね?」
「あぁ。良いとも」
「アデライーデ様、カールはまだ幼く晩餐を過ごせる教育も受けておりませんわ」
驚いてアデライーデを止めるテレサだったが、アルヘルムは笑って「良いのではないか。主催するアデライーデが招きたいのであれば。それに私達だけなのだ」とテレサに言った。
「ブランシュ様はお休みの時間が晩餐と重なってしまいますが、カール様は晩餐の時間でも起きていられますよね」
「うん、僕ちゃんと起きていられるよ!母上、僕も一緒に食べるよ。ちゃんとできるよ」
泣いていたカールは、一生懸命テレサにしがみついておねだりをする。アデライーデが招きたいと言ってアルヘルムが良いと言っているのだ。テレサは不安ではあったがもう反対はできなかった。
踏み台を使って足の長い子供用の椅子にカールが着席すると、晩餐が始まった。
今日は特別にアルトが料理の説明をしながらの晩餐である。
最初に出てきたのは、前菜のスモークオイルサーディンと旬の野菜のテリーヌだ。オイルサーディンは色味が地味なので白や赤い蕪やキイロインゲンを賽の目に切って華やかさを出していた。
大人の皿にはテリーヌがひと切れきれいに飾られている。
しかし、カールの皿の上にはマッシュポテトを一筋カトラリーレスト代わりに置いて、子供の口の大きさのスプーンを3つ並べて色よくテリーヌを盛り付けてあった。いわゆるワンスプーンディッシュである。
そして、カールの皿には一面に薄く寒天を引いてもらっている。カトラリーが皿にあたってかちゃかちゃ音を立てないようにだ。
音を立てないのがマナーであるが、これが子供には難しい。カールはともかく、カールが何かすればテレサが気に病むからとアルトに頼んでいたのだ。
給仕から食べ方を教わると、カールはこぼさずきれいに食べてテレサに褒められごきげんだった。
次に出てきたのは、ナプキンに仕切られた皿に乗せられたカップに入ったスープだ。
カップはデミタスカップくらいの大きさで、旬の甘いかぼちゃのポタージュ、濃厚な茸のポタージュと前世のスープ・ド・ポワソンと呼ばれていた魚のスープの3種だ。
どれも美味しかったが、陽子さんは茸のスープが一番気に入った。こんなに濃厚な美味しい茸のスープは初めてだ。どのスープも大人の口には1口程度で収まる量で、カールにも無理なく飲める量に調節してもらった。
見るとカールも美味しそうにスープを飲んでいた。
こぼしたりしないようにスプーンを使わずとも飲めるカップにして、皿の音を立てないように飾り折りのナプキンを使ってもらうようにして正解だったと陽子さんは見ていた。
「魚のスープが絶品だな」
「ええ、本当に美味しいですわ」
アルヘルムとテレサにはスープ・ド・ポワソンが好評のようである。カールはかぼちゃのスープが一番好きと笑いフィリップも僕もと言いかけて、僕は茸かなと言い直した。
ちょっと背伸びをしたいお年頃だと、陽子さんはくすりと笑って私もですよと言うと、フィリップはちょっと照れながら残りのスープを口にしていた。
「魚の料理はエビフライのタルタルソース添えと、エビクリームコロッケでございます。エビフライはその名の通りエビを一匹油で揚げており、エビクリームコロッケは小エビをクリームで固めたものをワイン樽の形に揚げてシャトーソースを添えております」
給仕が皿を並べ終わると、アルトがコホンと咳払いをして説明を始めた。
エビフライもエビクリームコロッケも、初めてのお披露目でアルヘルムも口にしたことがない。いつもの様にアルヘルムは興味津々でカトラリーをとった。
アルヘルムとフィリップには大きめのエビフライが2本と俵型のクリームコロッケ。テレサとアデライーデには、少し小さめのものが出された。
サクサクのエビフライに、たっぷりのタルタルソースがかけられナイフを入れると海老の良い香りがふわりと広がる。
「美味しいですわ…しっとりとした海老とサクサクの衣…タルタルソースによく合いますわ」
大人にはピクルス多めで、フィリップ達にはピクルス抜きで黄身を多めに作ってもらった。酸味のあるピクルスは甘くなりがちなタルタルソースを丁度よく引き締めている。
エビクリームコロッケも大人は揚げたてでクリーム多めだ。ナイフを入れると、ベシャメルソースがとろりと溢れ出す。
添えてあるシャトーソースは深みのある赤色で、白のベシャメルソースに映えている。
シャトーソースは元々シャトーブリアン・ステーキのソースである。デミグラスソースに白ワインとエシャロットを香りつけの為に加えて作るシャトーソースは「ドミグラスソースよりも口当たりが軽く魚介類によく合うからクリームコロッケにはぴったりのソースです」と、アルトが自信をもって添えていた。
晩餐で初めてナイフを使って食べるカールが心配で、テレサはちらちらとカールを見ながらワインを口にする。
そんなテレサの心配も知らず、カールはぶすりとエビフライを刺し少し大きめに切ると、すかさず給仕がカールが切ったエビフライに、具のないタルタルソースを少しだけスプーンでかける。
あーんと、大きな口をあけてエビフライを口にしたカールをアルヘルムもテレサもフィリップもじっと見ていた。
テレサはこぼしたり上手く切れなくて粗相をしないかとハラハラしていたが、無事エビフライが口に入ったのを見てホッとしていた。
「おいしーい!母上、これとてもおいしいです」
「本当ね。でも大きな声はだめよ」
「はい!」
カールはテレサに注意されても臆することなく、返事も大声でエビフライを平らげていく。
「カールはエビフライが気に入ったか?」
「はい!とっても美味しいです」
「そうか、良かったな」
カールに声をかけたあと、アルヘルムはテレサに小声で囁いた。
「テレサ、カールは今日の晩餐を楽しめているようだな」
「ええ、アデライーデ様のおかげですわ」
壁に控えている使用人たちは、カールが思いの外上手に食事できると思っているようだが、テレサとアルヘルムは至るところにされているアデライーデの工夫に感心していた。
カール用のエビクリームコロッケは一口大に小さく丸く揚げたものを少し冷まして持ってきてもらっている。
クリームコロッケは揚げたてが美味しいが、子供に揚げたてクリームコロッケは危なすぎる。少し温かいくらいが丁度よいのだ。
カールはフォークをコロッケに刺すと、あっという間に皿を空にしていた。




