210 王宮へ
「では、行ってくるわね」
「はい、いってらっしゃいませ」
王宮へと向かう馬車に乗り込んで手を振ると、レナードと使用人の皆がお辞儀をして送り出してくれた。
アデライーデは、いつもメーアブルグに向かう質素な馬車と違い、王宮から遣わされた正妃用の飾り付けが施された豪華な2頭立ての馬車にマリアと乗っている。
自由時間を取らせていた日からマリア達は、時たまぼーっとしていたり少しふわふわとしていてる事が多かったが、流石に今日は少しだけ緊張気味に馬車に乗っていた。
マリア達の様子からコーエン達の間はうまくいっているのだと思い、陽子さんは何も聞かずにそっとしておいた。そのうち何かしら良い話が聞ける事を期待して馬車の外を見ると、王都の道沿いに人々が出てきて手を振ってくれていた。
--これは…テレビで見たお手振りってものをしなくてはいけない?!
ちょっとだけどきどきしながらマリアに尋ねる。
「ねぇ、マリア。手を振った方がいいかしら?」
「えぇ、必ずしなければいけない訳ではありませんが、振っていただけると、みな喜びますわ。お疲れにならない程度で振っていただけますか?」
マリアがそう言ったので、レースの薄いカーテンを開けて、手を振ると「おおーっ!手を振って下さったぞ!」「正妃様ーっ」と歓声が上がる。
そう喜ばれると、手を振るのを止めるタイミングを掴めず結局王宮に入るまで振り続けてしまった…。
--意外に手を振りつづけるって、大変なのね…。右手がぷるぷるするわ…。豊穣祭の為に少し鍛えないとだめかも。
そんな事を思いながら右腕を軽く揉んでいると、馬車は門をくぐって王宮に入った。しばらくして王宮の正門に着くと、侍従や女官を従えナッサウが出迎えに来ていた。
「おかえりなさいませ。アデライーデ様」
「お久しぶりね。ナッサウ侍従長。お変わりなく?」
「ありがとうございます。アデライーデ様も変わりなく、大変嬉しく思います」
ナッサウは初めてバルクに来た時のように、恭しくアデライーデを迎えてくれた。違うのは出迎えの言葉だけだった。
ナッサウの案内で通された部屋には、すでにアルヘルムがいて笑顔でアデライーデを出迎えてくれた。すぐにお茶が用意されて久しぶりのアルヘルムとのお茶の時間が始まった。
新しいメニューの話や島の開発の話に会話が弾んでいると、1人の女官がテレサが挨拶をしたいと先触れに訪れた。快く承諾するとしばらくして、数人の女官を連れたテレサが部屋に入ってきた。
「正妃様、お久しゅうございます。ご健勝そうでお喜び申し上げます」
久しぶりに顔を合わせるテレサは相変わらず美しく、優雅に淑女の挨拶をした。
アデライーデも席を立ち「お久しぶりです。テレサ様もお元気そうで何よりですわ」と淑女の挨拶を返した。
お誕生日席のアルヘルムを挟んで向かい合うようにして座り、時候の挨拶を軽く済ませると手土産に持ってきた琥珀糖をマリアに出してもらった。
テレサの目の前に置かれたクリスタルガラスの小箱に詰められたそれは、グレナデンシロップの赤とカラメルの琥珀色の2色である。
「なんてきれいな…。これは…ルビーとシトリンの原石でしょうか?」
ガラスの小箱の蓋をあけて、首を傾げるテレサにお菓子だと告げると驚いた顔をして箱の中の琥珀糖をしげしげと眺めていた。
--見た目は本当に宝石っぽく見えるから、最初の一口には勇気がいるわよね。最初は私が食べようかしら…。
そんな事を考えているとアルヘルムが小箱から赤い琥珀糖を一粒つまみ、ひょいと口に放り込んだ。
「陛下…」
「アルヘルム様…」
呆気にとられて見ていると、アルヘルムはいたずらっ子の表情で笑って「我慢ができなくてな」と、テレサを見た。
初めて見る琥珀糖に戸惑っているテレサを気遣ったのだろうアルヘルムに、二人は顔を見合わせて笑顔をこぼすとテレサはアルヘルムと同じ赤い琥珀糖を一粒摘んで口にした。
「外はカリッとしていて、中は柔らかいのですね。……不思議な食感ですわ。宝石を食べているような感じですわね…、美味しいですわ」
琥珀糖はどちらかと言えば素朴な味わいで、甘さ一辺倒である。飽食に慣れた前世では見た目の割に味はいまいちと言う人も多いが甘さが貴重なこの世界では、受けが良いようだ。
今後のお茶会にも出す予定の淡雪やミルク寒天の話で盛り上がり、テレサとアルヘルムがプリンの話を興味津々に聞いていると、窓からぴょこんと頭が見えた。
「あら…」
アデライーデの声にテレサが振り返ると、可愛らしい茶色い頭が動いている。
「まぁ…、ご挨拶は夕刻と言っておいたのに」
テレサの声に女官たちがすぐさま動き、ベランダに出ようとした時に茶色い頭は一目散に逃げていった。
「カール様ですか?」
「えぇ、最近やんちゃになってきて、すぐにお付きの女官から逃げてしまうのですよ。なかなか捕まえられなくて」
「まぁ…男の子はそんなものですわ。でも…すぐに捕まりますわよ」
アデライーデは窓のそばに行き、少し大きな声で庭園に向かって声をかけた。
「カール様、お菓子がありますよ〜」
「本当に?!」
植え込みの中から葉っぱをつけて出てきたカールにテレサは呆れ、アルヘルムは何かしら心当たりがあるのか、苦笑いしながらカールを抱えて和やかな茶会を再開した。




