209 それぞれの月
かさ…かさかさ…かさ
小道から少し離れた茂みに黒い影が4つ。
口を抑える塊達は、感動に打ち震えながらアメリー達を見つめていた。
アメリーが駆け出し、呆然としていたコーエンに最初に声をかけたのはコーエンの腕をとっていたレーアだった。
「兄さん、あの方を追いかけて!」
--兄さん?!
マリア達が目を丸くしてレーアを見る。
「いや、私にアメリー様を追いかける資格は…」
言い淀むコーエンの腕に縋ってレーアは強くコーエンに言い放った。
「コルチカムの花の方なんでしょう?折角ここまで来てくれたのよ。さっき、兄さん私に諦めて後悔しないかって言ったじゃない」
「レーア…」
「早く!絶対何か誤解しているわ!いいの?このまま会えなくなっても…」
「……」
--ええ…私達も今の今まで、まるっと誤解してましたわよ…
マリア達は兄妹のやり取りを息を殺して見つめていた。
「兄さん、ずっと庭のコルチカムを見つめていたじゃない」
「……」
「兄さん…」
レーアはコーエンの服を掴んで願う。
「……」
コーエンは決心したかのように、レーアの額に軽くキスをして黙ってアメリーが消えた暗い小道を向かっていった。
みんなでコーエンがアメリーを追いかけるのを見送ると、エマがレーアに声をかけた。
「あの…レーアさんでしたか。コーエン様の妹さん?」
「あ…はじめまして。コーエンの妹のレーアと申します。兄妹揃って、お恥ずかしい所をお見せしました」
そう言って、挨拶をするレーアは確かにコーエンに似ている。よく見れば成人したばかりだろうか。まだ幼さの残るあどけない笑顔でしっかりとした挨拶をした。
「挨拶をありがとうございます…」
私達は…と続けて挨拶をしようとした時に角を静かに曲がってきた馬車がマリア達の手前で止まった。すぐ後ろに、警備隊の馬が2頭兵士を乗せて付いてきていた。
「レーア」
馬車の扉が開き中からコーエンによく似た男性が降りてきた。長髪を紐で結んでいるコーエンと違いこの男性は髪を短く刈り込みよく日に焼けていた。
「オーティス兄さん、どうして」
駆け寄ったレーアを軽く抱きしめると、オーティスはレーアに侘びた。
「すまない、レーア。遅くなった。すぐに村に入れなかった」
それはそうだ。のんびりしているように見えるが、ここは正妃の住まう離宮がある村である。警備は王宮と同じくらい厳しいのだ。
ましてオーティスは最初に申請していた父の代わりにと村にやってきたので、警備隊は王都のコーエンの実家まで兵士を馬で走らせ父親に確認をとってからオーティスを村に入れた。
それでも、貸馬車の御者を入り口の詰め所に待たせ兵士も一緒に入るという事でやっと通してもらったのだ。
「父さんも落ち込んでいてな。お前を迎えにこれなくて俺が代わりに来たんだ」
「お父さんが?」
「あぁ、ひどい落ち込みようだぞ」
「……」
「コーエンは?それにそちらのお嬢さんがたは?」
オーティスに急に問われ、マリアは慌ててオーティスに挨拶をした。「挨拶が遅れました。私は離宮に務めるマリア・ウェーバーと申します」マリアに続けてミア達も挨拶をした。
「離宮の…。こちらこそ挨拶が遅れました。コーエンとレーアの兄のオーティスと申します。王都の治安部隊に所属しております」オーティスはマリア達に略式の兵士の挨拶をする。
「挨拶をしたばかりですが、今日はこれで失礼します。今日は妹を迎えに来たので。レーア、コーエンは?」
「えっと…」
アメリーとの事を話していいのか迷っているレーアに助け舟を出すようにマリアはオーティスに声をかけた。
「あの…コーエン様は急なお仕事の変更でティオ・ローゼン様と離宮に向かわれました。私達が使いとして参りましたの」
「仕事の?」
「ええ…何か確認だけのようですが」
「あいつも忙しくしているようですね。わざわざありがとうございます」
オーティスはマリア達に礼を言い馬車のドアを開ける。レーアはオーティスに気づかれぬようにマリア達に目で挨拶をするとオーティスと共に馬車に乗り込み村を後にして行った。
馬車を見送ると、皆は顔を見合わせ足早に2人が向かった暗い小道の方へ駆け出した。
小道をしばらく行くと、月明かりに照らされた湖のそばで2人の影が見える。茂みに身を寄せると遠くで声や顔はわからないが影は何事か話している。
少しずつ2つの影の距離が縮まってゆく。
大きな影が小さな影に手を伸ばし顔に触れているようだ。
顔に触れていたその影は、髪を一房手に取り口づけをしている。
月明かりの中、湖面を背景に2人のシルエットだけが浮かび上がっていた。
髪への口づけを終えたあと、少しして大きな影は小さな影を抱き寄せ2つの影は1つになった。
--アメリー様!良かった…。お2人はとうとうお心を通わせられたのですね!
--感動ですわ!
--月明かりの中、湖のそばで思いを打ち明けられるなんて…、なんて素敵なの。
もう少しですれ違い、想い合う2人が別れ別れになったかもしれない。そんな2人が心通わせたのだ。
小説のような感動的な場面が、今マリア達の目の前にあった。心配でここまで来たがこれ以上見てはいけない。
4人は足を忍ばせ、その場を離れた。
村の酒場に戻り、酒場のガーデンテーブルに4人は座りスプリッツァーを頼むと誰も一言も喋らずにうっとりと月を眺めながら、それぞれ空想の世界に浸っていた。
アメリー様はコーエンに今どんな甘い言葉を囁かれているのだろう。自分もいつかできるであろう恋人と、あんな素敵な時を過ごしたい。
女四人でなんにも喋らずにうっとりと飲んでるのを見て、女将さんは何も言わずにスプリッツァーが入ったピッチャーをテーブルに置くが、誰も気が付かない。
やれやれと、裏口から店に入ろうとしてふと湖からの道を見ると大きな影があった。そっと裏口に入りしばらくしてから少し戸を開けると、アメリーが酒場の方に向かって歩き出すところだった。
わざと軋ませて扉を開け、アメリーに手を振る。
「こちらからお入りなさいませ。誰にも会わずに部屋に戻れますよ」
声をかけられ真っ赤になって下向き加減で裏口に入ったアメリーは女将さんに小さな声で礼を言った。
「いいんですよ。私も覚えがありますからね」
女将さんはそう言って、静かに裏口の戸を閉めた。
「レナード、ありがとう」
「いえ、礼を言われることではありません。仕事に響かなければ自由時間に何をしても構いません」
レナードは、居間のソファに座るアデライーデにワインを出しながらそう答えた。
さすがに夜の7時過ぎに寝るのは無理だったアデライーデは、マリア達が外出をした頃合いを見計らって、レナードにワインを持ってきてもらうように頼んでおいたのだ。
ついでに、マリア達が揃って外出しても止めないように根回しもちゃんとしておいた。
「マリア達は一緒に出かけた?」
「はい、先程」
「そう。若いって良いわねぇ」
「………」
--仲直り作戦、みんなで考えているのかしらね。何があったかわからないけど、2人が仲直りできると良いわねぇ。まぁ…夫婦喧嘩は犬も食わないって言うから、すぐに仲直りするんでしょうけど。
とっても見当違いだが、陽子さんの考えた自由時間のお陰でアメリーとコーエンはお互いの気持ちを確かめ合うことができた。
マリア達は空想の世界でだが、幸せな?時間を過ごしている。
--若いって良いわねと言われましても、1番お若いのはアデライーデ様ですが?
気分よくワインに舌鼓を打っているアデライーデを眺め、一人納得のいかないのはレナードだけだった。




