201 朝食と午後の風
「おはようございます」
「おはようございます。今日も良いお天気ですわね」
いつもの様に、村の食堂で隣り合わせの席に座ったアメリーとコーエンはいつもの様に挨拶を交わした。
村に再訪してからしばらくは離宮で朝食をとっていたアメリーも、一通りのメニューを食べたので最近は時々仕事の進捗報告がてら離宮に訪れる際に、ランチをアデライーデ達と取る程度になっていた。
相変わらず食堂は、炭酸水の工房の若者と荷運び人達で賑わっている。
コーエンは男性にしては少食なのか、アメリーと変わらない量のスクランブルエッグと薄いトーストを半分と少し多めのサラダをいつも頼む。
食事中はお互いに静かに賑やかな食堂の様子を眺め、食後に一言二言言葉を交わすのが、毎朝の2人の習慣になっていた。
「あの…本日工房にお邪魔してもよろしいでしょうか」
「ええ、もちろんですとも。なにか見学されたいのですか」
「そろばんの教科書とカタログができましたので、アデライーデ様にお見せする前にコーエン様に見ていただこうかと」
アメリーは、少し緊張しながらコーエンに微笑んだ。
--おかしなこと聞いてないわよね。自然な感じで聞けているわよね。
そろばんの教科書は、村のリトルスクールのダボア先生に見てもらって子供向けに挿絵がいっぱい描かれた可愛らしいものが出来ている。
コーエンには、これからそろばんを使うものが目をするそろばんのカタログを、作り手として見てもらいたいと思っていた。
今までも何度かコーエンの工房を訪ね、貴族向けと文官向け、それと庶民やリトルスクールに通う子供達が使う普及用のそろばんを紹介するカタログの下絵を見てもらっている。
「とうとうできたのですね」
「ええ、コーエン様のご協力で」
アメリーの言葉に、コーエンも笑顔で返すと午後からであればいつでも良いですよと返事をして、お茶を飲み干して先に席を立った。
2人で何度かカタログづくりのために話したが、コーエンはその穏やかな人柄でアメリーに接して、カタログづくりの時間はアメリーにとって、とても楽しい時間であった。
帝国で有名な挿し絵画家とはいえ、女性というだけで見下したような態度を取る作家も多い中、コーエンの態度は新鮮だった。
午後になり身支度を整え、スケッチブックと絵道具が入った大きなバックを手に取りコーエンの工房に向かうと、工房から出てきた数人の職人とすれ違った。
ドアをノックすると、扉のすぐ近くにいたのか間を置かずにコーエンが扉を開けアメリーを出迎えた。
「少し散らかっているので、お待ちいただいても?」
「ごめんなさい、早く来すぎましたか?」
「いえ、そんな事はないです。少し話が長引いてしまって」
いつもの様に柔らかい笑顔でコーエンは答え、工房の隅にあるテーブルの上のカップを片付けた。
「アリシア商会に頼んでいた職人との顔合わせだったんです」
奥のキッチンから、コーエン自らティーセットをテーブルに運んで来たところをみると、今日はいつもいる下働きのおばあさんはいないようだ。
--え…じゃあ、2人きり?
アメリーの僅かな緊張を見て取ったのかコーエンは少し空気を入れ替えるからと、運び出しもできる庭に向いた大きな窓を開けた。
未婚の男女が密室にいるのは、仕事とはいえ外聞が良くない。貴族女性にとっては特にだ。アメリーは父親が帝国の宮廷画家の男爵でアメリーは男爵令嬢なのだ。
午後の暖かい日差しで、窓から入る風は冷たくはなかった。
「職人が増えるのですよ。ここも少しにぎやかになります」
今のそろばんの注文は、コーエン一人でこなしてきた。カタログができれば、王宮の文官とリトルスクール向けのそろばんだけでなくバルク国中から大量の発注が来る。それに珍し物好きの貴族からもだ。
コーエン1人では仕事の依頼をこなせなくなるので、いずれ各地でそろばん作りを指導できる職人を育てるために数人雇うのだと話してくれた。
「お忙しくなるのですね」
「職人は技を習得すれば、それを伝えねばなりませんからね。まだ若輩者の自分にとっては身に余る事なのですが…」
コーエンは自分用のカップにお茶を注いで、椅子に腰を掛けた。
そうなれば、コーエンはいずれ各地にできるであろう工房の指導に回り、この村でなかなか会えなくなるのか…。いや、元々自分は客分でこの村に滞在しているだけだ。
アデライーデ様の依頼が済めば、いずれ帝国に帰る。
そんな事を考えながら、差し出されたお茶を口にしているとコーエンはテーブルの上に置かれていたカタログの下書きに目をやり、拝見しても良いかと尋ねてきた。
--いけないわね。仕事に集中しないと。
「良いですね。わかりやすい。貴族向けのものは高級感がある…。デザインは帝国の流行りなのですか」
「ええ、最近この草花をモチーフに取り入れたものは帝国の流行りなのです」
それからひとしきりカタログの話がはずんだ後、少し間が空いた。アメリーはお茶に手を伸ばしコーエンはカタログを見つめたままだった。
「アデライーデ様のご依頼が済めば、帝国にお戻りになるのですか?」
コーエンはカタログに目を落としたまま、小さな声で呟いた。




