196 貴族録と静かな夜
元の世界のヨーロッパと同じなのか、バルクには鳴く虫がいない。夏は蝉。秋には鈴虫が鳴く日本と違い、しんとした秋のバルクの夜が更けていく。
豊穣祭の7日前くらいから王宮に出向いてほしいと、アルヘルムから知らせがあったのは数日前だ。手紙には豊穣祭の前に王宮でテレサ様と茶会を開き、貴族達の挨拶を受けて欲しいと書かれていた。
挨拶を受けるだけで良いので無理せずにとあったのを見て、茶会とはそんなに大変なのかとレナードに聞けば、着席の茶会は立式でダンスのある夜会と違い、逃げ場がないので大変と言えばそうだと言われたのだ。
茶会の前にこちらをお読みくださいと言われ渡された貴族録は、帝国の貴族録と同じような作りだったが貴族家の数が少ないのか半分程度の厚さだった。
昼間の間にレナードに講義を受けてバルクの高位貴族の事を学んでいると、輿入れ前に皇后陛下から聞いた帝国の貴族たちほどではないが各人の『注意点』を教えてくれた。
まだ14歳のアデライーデ向けにやんわりとした表現であるが、中々に手厳しい各人への『注意点』を漏らさず貴族録にメモをしておいた。
晩餐後のお茶を居間で飲みつつ、貴族録をめくってマリアに尋ねた。
「ねぇ、マリア。マリアはお茶会に呼ばれたことはあるの?」
「帝国で、その時にお仕えしていた皇女様に付いて参加したことはございます」
マリアは以前、侍女として付いて行った茶会の話を詳しくしてくれた。皇女と仲の良い令嬢との茶会は、他愛もないドレスや芝居や婚約者との話で終始する事が多いが、公式な茶会では社交の場として相応しい話題や受け応えが要求されると教えてくれた。
「アデライーデ様は正妃様ですので、無礼な話題にはなりにくいと思いますが、話術で何かを聞き出そうとする輩は少なくないと思いますわ」
「そう…、当たり障りなく誤解を招かないようにしないといけないのね」
−−親戚の集まり…いや、仕事でのお食事会や飲み会って感じかしら。どちらにしろ、曖昧に笑っている方が無難ね。
「テレサ様と同席される初めてのお茶会ですから、お二人の仲を見定める茶会となると思いますわ」
マリアは伏し目勝ちにティーカップをとり一口飲んでからそう言った。
マリアも、レナードからアデライーデに渡された同じバルクの貴族録を持っている。アデライーデには聞かせられないもっと詳細な各人の注意点と、今度開かれる茶会の意味をレナードからマリアは教えられていた。
茶会で何かあれば、アデライーデのすぐ側で力になれるのはマリアだけだ。
「仲を見定める?」
「今までテレサ様おひとりでしたが、アデライーデ様とテレサ様と2人が王妃、正妃として並び立つのですからご興味は高まっているはずです」
「はぁ…そう…。皆さんお暇なのね」
−−要は今度の茶会でテレサ様と仲が悪いと判断されれば、王妃派正妃派と派閥ができる訳ね。そんな事になりたくないから離宮に来たのに。
テレサと張り合う気もなくて仲良くしたいと思っているが、貴族たちにとって自分の家門により有利な方と親睦を深めたいと思っているのは当たり前なのであろう。
−−後から来た正妃と、それまで愛妾もいなかった『ただ一人の王妃』との仲が良い事が珍しいわよね。フィリップ様も最初はそう思って誤解していたのだし、当然と言えば当然よね。
−−以前、テレサ様とお茶をした時は多少ぎこちなくはあったけど和やかに過ごせたと思うし、子供服の贈り物も丁寧なお礼の手紙とお菓子も受け取ったから、テレサ様とはそれなりに大人の付き合いはできそうかな…。あとは周りの貴族達に納得してもらうだけなのね。
「アデライーデ様、大丈夫でございますわ。レナード様からお聞きしてもテレサ様はアデライーデ様に敬意を払っておられるそうですし、ただ仲良くお茶をすると思われて出席されれば良いと思います。貴族達は何があっても勝手に噂をするのですから放っておけばよろしいのですわ」
アデライーデが珍しく口数が少なくなっているのを、不安に感じていると思ったマリアが優しく慰めてくれた。アデライーデが帝国で1度も茶会に出席したことが無いのはマリアも知っているからだ。
「ありがとう。マリア…そうね。仲良くしていればそのうち、わかってくれるわよね」
貴族録を閉じてにっこり笑うアデライーデを「私がお守りしなければ」とマリアは固く誓いながらティーカップを置いた。