195 睡蓮とワイングラス
「もう…少しお話をさせて…」
「話?なんの話だ…」
シャンデリアがよく見える場所に置かれたソファに座り、膝の上に座らせたメラニアから唇を離すと、ブルーノは優しく聞き返す。
「いつの間にこんな物を造らせていたの?」
「以前からだが、このクリスタルガラスを職人が造れるようになったのは少し前だ」
本当はアデライーデのひと言からなのだが、知識の出処を言いたくないアデライーデからの強い願いで、それはアルヘルムとブルーノとアデライーデの3人の秘密となっている。
いくら愛するメラニアとは言え、それを宰相として話す事はできない。
世に出たばかりのクリスタルガラスは、これからシャンデリアやサンキャッチャーだけでなく色々なものになってゆくだろう。どんな物になってゆくかは、それらを造らせる人物のセンスにかかっている。
つまり、それはメラニアの肩にかかっているのだ。
どの国もファッションリーダーは王妃なのだが、王妃自身が流行を生み出しているわけではない。実際は王妃の周りの者が王妃に新しい物を勧め、王妃が気に入りそれを王妃が身につけたり使ったりする事で国内に流行が生まれる。
テレサとメラニアも王妃と宰相夫人として、今までもそうやってドレスや絵画の流行をバルクに創り出してきた。
豊穣祭に合わせてブルーノの屋敷で夜会を開き、貴族達にクリスタルガラスのシャンデリアを披露し王族がそれを寵愛する。
そうなれば、貴族達は先を争って買い求めるだろう。その莫大な利益がさらなるクリスタルガラスの製品の開発費となり質が高められていく。
また、どんなにシャンデリアを求められても、今いる職人で殺到するであろう注文に応えるのは難しい。
王が直接庇護しているとなれば、王の立場としてそれに無理にでも応えなければならない時もあるが、臣下であるタクシス公爵の抱える職人であればのらりくらりと時を稼げる。
その為に、タクシス公爵家からクリスタルガラスを披露するのだ。
「シャンデリア以外の試作があるのだが…」
「まぁ…本当に?」
目を輝かせるメラニアの顎の縁を、ブルーノの指がゆっくりとなぞる。
「見たいかい?」
「もう…意地悪ね。見たいに決まっているじゃない!」
拗ねたようにブルーノを見上げるメラニアは、出会った頃と変わらぬ可憐さだ…。いや…年を重ねる毎に艶やかさも加わってきた。その瞳が自分だけを見つめる事に満足したのかブルーノはサイドテーブルの上の呼び鈴を鳴らした。
かちゃりと扉があきヴィドロと息子のヴィダが入ってくる。ヴィダは銀の大きめのトレイを手にし、上にはアデライーデが望んだ薄く造られたワイングラスが2脚と、そしてクリスタルガラスで出来た花がいくつも並んでいる。
ヴィドロはヴィダが持つトレイから1つ1つテーブルに置くと一歩下がり、ブルーノからの声がけを待った。
メラニアを膝から下ろすとブルーノは、メラニアの握りこぶしより少し小さめの持ち重りのするクリスタルガラスの蓮の花を手に取り、メラニアに手渡した。
「綺麗だわ…」
「ペーパーウエイトだよ。椿や薔薇を模した物も 作らせたが、睡蓮が1番美しかったんだ」
シャンデリアからの光を反射して所々虹色の光彩を見せながら、クリスタルガラスの睡蓮はメラニアの手の中で煌めいていた。
「綺麗だろう?」
「それだけ?」
メラニアは綻ぶように笑うと、ブルーノは頬を少し赤くして目をそらした。
「ん?」
「睡蓮は、貴方と結婚して初めての領地へ行った時の思い出の花よね。シャンデリアにもだけど、貴方から贈られた花がつけられているわ」
「……。そうだったかな」
「ええ、そうよ」
プロポーズの時の薔薇はもちろん、初めて渡されたブルースターや、マーガレット、ガーベラ、スターチス…2人が出会ってから今日までの記念日にブルーノから渡された花をメラニアが忘れるはずがない。
そう言ってうっとりと手の中の睡蓮をみつめたあと、丁寧にテーブルに戻すと恐る恐るワイングラスを手にとった。
薄く透き通るワイングラスは、それまでの肉厚のグラスと違い初冬の池に張る薄氷のようだった。足も小枝のように細く底だけが分厚く安定が良いように作られている。
「こんなグラス…見たことないわ」
「だろう?見ててごらん」
そう言ってブルーノはメラニアからグラスを受け取ると、指でグラスを弾いた。
キィン…と、高く澄んだ音がする。
これがワイングラスがなかなか出来なかった理由だ。
納得のいく形にするのにもヴィドロは苦労したが、形ができた後「指で弾いた時に高く澄んだ音がする」グラスができなかったのだ。
ヴィドロとヴィダは何度も作り直し、やっと納得がいくものができるのに今日までかかった。
「綺麗な音…」
メラニアはこのワイングラスをひと目で気に入っていた。美しいだけでなくこのような綺麗な音を持つグラスで飲むワインはきっと極上の味になるに違いないと見つめていた。
「アデライーデ様が、このような音がするワイングラスを望まれてな。今度、王が贈られるのだよ。その最終確認を今からしようか」
ブルーノがヴィドロに目をやると、ヴィドロは一本のワインを持って戻ってきた。とくとくと赤いワインがグラスに注がれる。
「ワインって、本当はこのような色なのですね」
「あぁ、このグラスに入れてみると本当の色がわかるな」
いつもは掲げて乾杯をするが、グラスの脚を持ち軽くグラスを合わせた。
キィ…ンという音を楽しみ、ワインを口にする2人をヴィドロとヴィダは満足げに見守っていた。