194 溺愛と薫り
目的の村に着くと御者は到着の合図のベルを鳴らし、ゆっくりと御者台から降りて身支度を整えてからコンコンと軽くノックをし、中からの合図を静かに待った。
普通は目的地に到着するとノックをし馬車の扉を開けるのだが、公爵が夫人を伴って出かける際はベルとノックで到着を告げるだけで中から合図があるのを待つ。
しばらくするとコンコンと合図があったので、できるだけゆっくりと扉を開ける。
「到着でございます」
どこについたかも告げずに到着だけを知らせると、いつもより少しだけ上機嫌に見える主が、夫人に手を携えて降りてきた。
ヴィドロと息子のヴィダが、手にランプを持ち恭しくブルーノとメラニアを迎え明かりの消えた家に招き入れた。薄暗い廊下の突き当りのドアの前に来るとブルーノは足を止め、開けろとヴィドロに命じた。
ブルーノは、メラニアを抱きかかえるようにして少し長めのキスをする。
キスが終わって、メラニアが目を開けると目の前の扉は開かれ眩いばかりの大きなシャンデリアが2基、煌々と室内を明るく照らしていた。
シャンデリアの上部には幼子の金色の天使3人がクリスタルガラスで出来た花束を抱えながら舞い、クリスタルガラスの間には様々な四季の花のモチーフが刻まれていた。
シャンデリアの四隅には香炉が据えられ、今1番メラニアが気に入っている香が焚かれていた。
その微かな香りが、天井のシャンデリアから落ちてきてメラニアの鼻孔をくすぐるまでの間メラニアは目を見開き、声もなくシャンデリアを見入っていた。揺れる蝋燭の焔を煌めかせシャンデリアは光の珠を室内に満たしていた。
−−なんて美しいの。
香を嗅ぎ、我に返ってブルーノの方を振り向こうとすると後ろからふわりと抱きしめられた。
「気に入ったか?」
耳元で囁く甘い声に頬を寄せた。
「ブルーノ…これ…皇帝陛下に献上されたクリスタルガラスで作られているシャンデリアよね」
「あぁ、献上されたクリスタルガラスで出来たシャンデリアだ。アデライーデ様の離宮と、これから我が屋敷に取り付ける2基しかない貴重なシャンデリアだ」
「え…なぜ、我が家なのです?」
国で1番のものを持つのは、王族だ。
王が正妃に贈るのはわかるが、次がなぜ我が屋敷なのか。王族の流れをくむとはいえ、臣下の我が家に賜るのであればテレサ様や王弟殿下の宮に贈られるべきである。
「最高級品のシャンデリアが王宮を飾るのは、再来年だよ」
そんなメラニアの考えを読んだかのように、タクシスがメラニアの目尻にキスをした。
「国内での公表をそれまで待っていられない。帝国ではサンキャッチャーが名を馳せ始めているし、国内でも耳の早い者や勘の鋭い者は、王がまた何かを企んでいると気がついているしな」
バルク国にも帝国に縁がある者がいる。血縁であったり、商会絡みであったりと様々だが、注目が多くなる分以前より多くの情報が入ってくるようになった。
バルク国内でも然りだ。
仕事や物流が増え往来が激しくなれば、その分噂の足も早くなる。王都で名のあるガラス職人と宝飾職人達が次々と連絡が取れにくくなっているという噂が出てきている。
このクリスタルガラスの村に囲われているからだ。
「企む?」
「王からこのシャンデリアとサンキャッチャーを賜った。これからバルクではこのクリスタルガラスを特産にするんだ。これからもクリスタルガラスで作られる品の披露は、我が家で行う」
「………」
「君のお抱えの芸術家達がいるだろう?彼らを思う存分使うと良い。バルクの『瑠璃とクリスタル』も任せたい。王には許可をもらっている。好きにしてくれ」
「あぁ、ブルーノ… なんて素晴らしいの…」
美しいものが大好きで、ずっと美しいものに囲まれ集めてきた。帝国に献上されたサンキャッチャーにも心が奪われていた。きらきらと輝くあれを手に入れられたら何を造らせようかと思い巡らせていた。
帝国の『瑠璃とクリスタル』にしてもそうだ。
バルクの名を冠しているのに…、あんなに素敵な場所が帝国にあってバルクに無いのなら私財をなげうってでもつくりたいと思っていた。
それがこのような形で現実になるとは思ってもみなかったのだ。
「きっと、王にもブルーノにも満足してもらえるようにするわ」
メラニアが手を広げてブルーノに抱擁を求めると、少し不機嫌になったブルーノが、片手でメラニアを掬うように抱きかかえメラニアの唇をなぞる。
「王の事なぞ考えなくていい。君の思うようにすればいいんだ。どう他国や貴族達に交渉するかは私の仕事だ。君が満足すればそれでいい」
「職権乱用ではありませんの?」
「妻を満足させるのに、使えるものを使うのの何が悪いんだ。それになんのやましい事もない。君の才能を使う事で十二分にバルクにも恩恵を返す」
そう言って、くすくすと笑う艷やかなメラニアの唇を食むようにブルーノは深いキスをした。他の誰にも見せないブルーノのメラニアに対する溺愛は、尋常ではないほど深い。
シャンデリアの香の薫りがより一層と甘く、二人を包んだ。