193 二人の出会いと黒い馬車
初秋の早くなった日の入りからしばらく経った頃、飾りも何もない1台の黒い地味な馬車が公爵邸から静かに出てきた。
タクシスがヴィドロ達の村へメラニアを連れて行くために用意させたお忍び用の馬車だ。御者も護衛騎士達もいつもの公爵家の装束ではなく特徴のない黒い服に着替えている。
「どちらに行かれますの?」
「行く場所は秘密なのだ。カーテンも閉めてくれるかい」
タクシスは分厚い黒色のカーテンを少し開けて外を見ていたメラニアに少し困ったような顔をして願った。
「ずいぶんと秘密の場所なのですね」
「あぁ、すまない」
「ええ、許して差し上げますわ。この前の帝国への旅より楽しい事なら」
そう言ってメラニアは、向いの席からタクシスの横に移ってタクシスにもたれかかった。
「メラニア……近いぞ」
「良いではありませんか…帝国への道中はずっとこうしていたのに」
「あの時は旅行用の馬車だったではないか…」
愛妻に動揺するタクシスを無視し、メラニアは腕を絡めてより一層タクシスにもたれかかった。
メラニアとタクシスは政略結婚だが、社交界に初めて出たメラニアに一目惚れしたタクシスが、父親に強く願ってすぐに結婚を申し出してもらったのだ。
明るく社交的な性格だったが幼少の頃から体が弱く華奢で小柄なメラニアは、父母や兄達の溢れるばかりの愛情と過保護さに包まれ育った。
デビュタントを迎える前にはすっかり健康になったのだが、末っ子で一人娘で華奢で小柄なメラニアが少し咳でもしようものなら大事をとって貴族学院を休ませる過保護ぶりだった。
家から出られない分、メラニアが好む綺麗なもの…美術品や宝石やドレスに囲まれて過ごし、少女になってからは家に出入りする芸術家や宝飾職人達との交流を深めていた。
デビュタントでは、その出入りの宝飾職人達に作らせた繊細な銀細工のネックレスと蕾の白薔薇の髪飾り、淡く裾に向かうにつれ華やかなローズ色になるグラデーションのドレスを着たメラニアは、今だけこの世に出てきた初々しい薔薇の妖精のようであった。
生徒会にいたタクシスは、大抵の同年の高位貴族の子女の顔を覚えていたが、休みがちでほぼ令嬢同士の交流しかなかったメラニアを知らなかった。まぁ…意図して父親と兄達が「男の風にも当てぬ」ようにさせたのだが…。
タクシスはそこで人生で初めての恋に落ちた。目を離そうと思ってもメラニアから離れず、足元がふわふわとしているのだ。
今すぐ、あの薔薇の妖精にダンスを申し込みたい。いや、名前を聞くだけでも…
しかし、自分は主賓で呼ばれているアルヘルム王子の随行員だ。アルヘルムのそばを離れる訳には行かない…。
ギリギリとした気持ちで見ていると、妖精はあっという間にどこぞの子息達に取り囲まれた。子息達に向かってふわりと笑う笑顔に胸を撃ち抜かれるが、あれは別の男に向かっている笑顔だと思うと眉間にシワが寄った。
しばらくして3人長身で美形の男達が現れると、周りの男たちを二言三言話して体よく追い払い、妖精と順番にダンスを踊りだした。
−−確かアイツらは、ロシュフォール侯爵家の3兄弟。兄弟で一人の令嬢を争っているのか…。なんとふしだらな!
どの男もダンスが終わると、額や頬に遠慮なくキスをしていた。ぐぐぐ……。今日俺はなぜ随行員なのだ…。
「……ブルーノ、落ち着け」
「な…にがだ…。俺はただ立っているだけだが…」
「……お前…殺気が駄々漏れなんだよ。見ろ…周りを」
見渡すと、同じ随行員の者は言うに及ばず、アルヘルムの護衛騎士達までビクビクと目線を外す始末だ。強面のブルーノが眉間にシワを寄せて前を睨んでいるのだ。怖くないはずがない。しかも尋常ではない殺気を帯びた目をして手を握りしめているのだ。
「あれは、ロシュフォール侯爵家の3兄弟だろう?挨拶に行こうか」
アルヘルムはそう言うと、ブルーノの返事を待たずにスタスタと4人のところに向かった。ブルーノもアルヘルムに付き従う。
「やぁ、久しぶりだね」
「アルヘルム王子、お久しぶりでございます」
3兄弟はアルヘルムに臣下の礼をとり、妖精も淑女の礼をとった。
「珍しいな。君たちが今日ここに来るとは思ってなかった」
「私達の妹が今日デビュタントですので、エスコートと見守りをしております。メラニア、アルヘルム王子にご挨拶を」
「初めてお目にかかります。ロシュフォール侯爵が娘。メラニアにございます」
可憐な笑顔でアルヘルムに挨拶をするメラニアを、ブルーノは黙って見ていた。
「君たちの妹か、可愛らしいね」
アルヘルムが兄弟達と話している間、ブルーノは後ろに控えていた。アルヘルムが挨拶を受け談笑していると、次々と他の貴族も娘や妹を連れ挨拶に訪れる。
アルヘルムが挨拶を受けている間、ブルーノは抜かりなくアルヘルムのそばに控えていた。
気がつくと、3兄弟はメラニアを連れ家族でいつの間にか退出してしまったようだった。バルクのデビュタントの宴は普段の夜会と違い、三々五々に会場に訪れ好きなだけダンスを踊ると三々五々に帰ってゆく。
メラニアは兄弟とだけダンスを踊って帰っていったようだ。
帰りの馬車の中でアルヘルムはにやにや笑いながら「なぜメラニアをダンスに誘わなかった?」とブルーノに聞いた。
「今日はお前の随行員だからな。お前から離れるわけにはいかない」
「ふーん」
気のない返事をしたアルヘルムを王宮に送り届けると、ブルーノはその足で宰相室にいた父親の元に向かい、眉間にシワを寄せたまま、ロシュフォール家に結婚の申込みをしてほしいと願った。
タクシス宰相は、堅物の息子の思いもよらぬ願いに持っていた羽根ペンからボタボタとインクを垂らしながら確認した。
「結婚の申し込み…?決闘の申込みではなく?」