192 雀と矜持
その日、アルヘルムは夕方までのんびりと離宮で過ごした。
アデライーデにタクシスから聞いた『瑠璃とクリスタル』の盛況ぶりや、ペルレ島の開発の話でお互いに思う事を語り合っているとあっと言う間に、夕方になっていた。
「ここに来ると時間がすぎるのが早いな」
「ふふっ、たくさんお話をしましたからね。私もバルクに『瑠璃とクリスタル』ができたらお忍びで行ってみたいですわ」
「あぁ、それは良いな。そうだ、メラニアが貴女に会いたがっていたよ。それにミュラー男爵夫人の友人にもね」
「まぁ…タクシス夫人が?ぜひお会いしたいわ」
「今度、会えるように伝えておこう」
「えぇ楽しみですわ」
「またすぐに、会いに来るよ」
アルヘルムは名残り惜しそうに、アデライーデに別れのキスをすると王宮に帰っていった。
いつものようにアルヘルムは、王宮に帰ると執務室に向かう。珍しくタクシスがいない執務室のソファに腰を下ろすと、タクシスが置いていった書類に目を通した。
タクシスはメラニアを連れて、屋敷に取り付けるシャンデリアをヴィドロ達のいる村に見に行っているのだ。
「入れ」
執務室の扉のノックに入室の許可を出すと、侍従長のナッサウが蜂蜜酒とグラスが乗ったワゴンを押して入ってきた。
ナッサウは、音を立てずにワゴンをソファの横に付けると、アルヘルムに一礼した。
「雀達が騒いでいるらしいな」
「賑やかな事でございます。アデライーデ様がお輿入れされた時とは真逆の事を、舌の根も乾かぬうちによく囀っております」
ナッサウはゆっくりと蜂蜜酒をグラスに注いで、アルヘルムに差し出した。
「アデライーデ様が離宮にいて、王宮にいらっしゃらないのはテレサ様と不仲だからではなく、アデライーデ様がお望みになられたと言うのは理解できないようでございます。閣議で皇帝陛下からの手紙を拝見した者たちは、流石に噂を否定しておりますが…」
「不仲も何も、二人は茶を1度飲んだだけなのだがな…」
確かに最初はテレサとアデライーデの友好を深めようと、アデライーデが王宮に来た際には食事や観劇を予定していたが、予想もしていなかった炭酸水の出荷から今まで忙しくアデライーデを1度も誘うことが出来なかったので王宮に来てはいない。
また、アデライーデが王宮に来れば貴族達からの茶会や夜会の誘いの申込みが殺到し、自分との時間もゆっくりとは持てないとアルヘルムが離宮に通うという事にしたのも、噂に拍車をかけたようだ。
王は、アデライーデ様をテレサ様から守る為に離宮にお隠しになった…と。
「豊穣祭が良い機会ではございませんか。豊穣祭の前にアデライーデ様に王宮にお越しいただき、テレサ様やお子様方と仲良くされているお姿をお見せになれば良いのです」
「そうだな。毎回の事だがテレサにもいらぬ苦労をかけているな」
「テレサ様は、仕方のない事とお笑いになっておられました。アデライーデ様がそのような噂をお聞きになられれば、ご気分を害されるのでないかとお気遣いになってらっしゃいます」
テレサも、長年王妃として王宮の雀達と付き合ってきている。婚約者となってからは他の元候補達からの嫉妬の目、王妃となってからは世継ぎを産む重圧…。最初の頃は涙する事も多かったが、今はどこ吹く風と受け流せている。
しかし、王家に波風を立てるような噂には、なにか対処をしなくてはと考えていた。
2人きりの茶会で話したアデライーデは、テレサに良き隣人のように仲良く付き合いたいと言った。会ったばかりの貴族の言葉を言葉通りに受け取るような事をしないテレサではあるが、アデライーデの言葉は本心からと思えたのだ。
「フィリップ様も時々離宮に行ってアデライーデ様とお会いになっていらっしゃるようです」
そう女官から耳打ちされた時には少し心がざわついたが、フィリップにさり気なく聞くと、フィリップは離宮で食べたホットケーキの事や村で魚釣りをした事を楽しげに話し、フィリップ付きのギュンター・マルツァーンは離宮警備隊での剣の稽古で褒められた事で、フィリップ様は稽古により一層熱心になったとテレサに告げた。
フィリップ1人で離宮に遊びに行かせた時も、アデライーデが村の中でお忍びの練習をフィリップにさせ、夏祭りと称して遊んだ事も随行した女官から報告を受けていた。
「とてもフィリップ様を可愛がっておいでで、フィリップ様もアデライーデ様をお慕いになり、まるで本当のご姉弟のようでございました」
どの女官や従僕達からも異口同音に、2人の様子を聞かされアデライーデが「良き隣人のように仲良くしたい」と言うのは本当の事なのだとテレサは確信したのだ。
ただ、それでもアルヘルムやフィリップがアデライーデと仲良くしているという事に、女として母としてじくりとする気持ちが全く無いということはないのだが、テレサはその気持ちを王妃という矜持を持って、紅茶と一緒に飲み下した。