189 シュラハトプラッテと魚たち
その日、いつもの訪問時間よりかなり遅くなってアルヘルムは離宮に到着すると、レナードの出迎えを受けた。
すでに、時計の針は真夜中近くなっていた。
「陛下」
「遅くなった。アデライーデは?」
「先程までお待ちになっておりましたが、今は寝室でお休みでございます」
アデライーデは頑張ってアルヘルムの到着を待っていたが、祭りの疲れもありソファで寝入ってしまったアデライーデを護衛騎士とマリアは寝室に運んで寝かせたと言う。
「お夜食をお持ちしましょう」
アルヘルムが湯を使いゆったりした室内着に着替え居間のソファに腰を下ろすと、レナードは茶色い魚を数匹のせた皿とワインをアルヘルムの前に置いた。
「これは?」
「たい焼きと言うアデライーデ様の新作でございます」
「魚を丸ごと揚げたものか?」
「いえ、魚ではございません。小麦を使った料理でございます」
アルヘルムがほんわりと温かいたい焼きを手に取り、じっくり表裏を眺めて頭から齧ると、中にはとろとろに煮込まれた豚肉−シュラハトプラッテ−が良い塩加減で入っていた。
「うまいな」
「アデライーデ様が仰るには、何を挟んでも良いそうです。祭りではベリージャムやカスタードクリームを挟んだものも出されました。兵士にはシュラハトプラッテを挟んだものが…婦女子にはカスタードクリームを挟んだものが人気だったそうです」
「手軽に食べられるな。魚の形であればメーアブルグで作らせれば名物になるだろう」
「皆もそのように申しておりました。コンラディン殿は、何を挟んでもよいのなら行軍の食事にも使えるのではないかと…大きなものであれば1つで済ませられると…」
「コンラディンらしいな」
「形は魚だけでなく、豚やひよこの形をしたものもございます」
「他の形も?なにか意味があるのか?」
「いろんな形がある方が楽しいからと…」
「ふっ」
理由がアデライーデらしいと、アルヘルムは笑いながら2つ目のたい焼きに手を伸ばした。2つ目のたい焼きにはトマト味のミートソースが入ってた。
「アデライーデは変わりないか?」
「お変わりなく、いつものようにお過ごしでございます。また何やら研究室でアルトと作っておいででしたが…私めにはさっぱりわかりません」
そう言って、レナードはグラスにワインを継ぎ足した。
「先日、アルヘルム様と行かれた海岸に散歩に行きたいと仰せられたので護衛騎士達を付けてお出かけになられましたら、海藻をたくさんお持ち帰りになりました」
「貝拾いの者たちに頼んで拾わせたと報告書にあったな」
「はい…今はその海藻を毎日干していらっしゃいます」
「海藻を干す?」
海のあるバルクで海の恵みの言えば、魚や貝、そして塩である。海藻はどちらかと言えば浜辺に打ち上げられるゴミという感覚だ。
「はい。天気の良い日に朝から晩まで。あとは大きな貝殻も干していらっしゃいます」
「……。それを何にするか聞いているか?」
「いえ、出来てからのお楽しみだと教えてはいただけませんでした。しかし、アデライーデ様のことでございますからまたなにか有用なものをお作りになるはずです」
「そうだな」
「王宮ではいかがでしょうか」
「いかがとは?」
「帝国からタクシス殿がお帰りになったとお伺いしております。帝国での事業はお進みでしょうか」
「思った以上の成果だ。バルクの評価はあがっているよ。貴族達にも皇帝陛下達にもな」
「それはよろしゅうござました。先王様がお聞きになればお喜びでしたでしょう」
「そうだな」
「もうすぐ豊穣祭が行われる。村の実りの祭りも大事だが、今年はアデライーデにとっては初めての豊穣祭だ。バルクにとっても記念すべき年の豊穣祭となるだろう。お前からもアデライーデに色々と教えてやってくれ」
「御意」
そう言ってアルヘルムの言葉にレナードは応え、少し考えてからアルヘルムに向き直った。
「テレサ様は、アデライーデ様の事は何と言われておられますでしょうか」
「テレサか? …テレサは何も言わぬな」
「アデライーデ様が正妃になられてから、バルクは短期間で目覚ましい発展を遂げております。宮廷雀共が耳障りなことを喧しく囀っていると聞こえてまいりますが…」
「本当に地獄耳だな」
「お褒めに預かり、光栄にございます」
レナードは、全く嬉しそうでない表情と声で礼を言う。
レナードの役目のひとつにアデライーデと王家を守るという役目がある。
炭酸水を輸出し始めの頃は、帝国から来た忘れられた皇女が王に気に入られようと気を使って、実家である帝国に縋って先王様の水を買ってもらったと言う噂が走った。
しかし、すぐに帝国から直接の取引を求め続々と訪れる帝国の高位貴族の使者達の来訪に噂は止んだ。
フライヤーで作る魅力的な料理に好意的な噂が流れ始め、ペルレ島の開発をアルヘルムが閣議で告げた事をきっかけに、アデライーデの評判はうなぎのぼりにあがっていった。
現金なものである。
自分達の領地から王家が資材を買い始め、懐に利益が入り始めたら、今度は王妃であるテレサが国の為に何をしているのかと囁き始めたのである。
輿入れしてからすぐにバルクに莫大な利益をもたらした帝国皇女アデライーデと、長年王妃として努め次代の王子達を産んだテレサが対立していると、まことしやかに噂をしているらしい。
火のない処に煙は立たぬと言うが、対立も何もテレサとアデライーデは、初見の顔合わせとただ1度お茶をしただけである。フィリップのやらかしで多少ぎこちなかったとはいえ、和やかな時間を過ごしていた。
これでは放火をしているのと同じだ。
テレサの実家は先祖に幾人もの優秀な軍人や将軍を出してきた家門なので、他の貴族とは一線を画して黙っているが気分の良い話ではない。
「いつまでも、宮廷雀を放って置くのはお二人の為にも良くはございません」
「そうだな。面倒な事この上ないがな」
男たちの離宮の夜は、更けていった。