185 お茶会と商談
「『瑠璃とクリスタル』にはもう行かれました?」
この言葉が翌日からの帝国のお茶会で合言葉のように交わされるようになった。
「えぇ、もう素敵でしたわ!なにもかも!」
『瑠璃とクリスタル』では、週替りで歌や演奏が供される。元々給仕達は声楽家や演奏家のたまごだ。そのレベルは十分に貴族達の鑑賞に耐えうる実力がある。
そして、役者達は帝国で人気の詩集の朗読や、短い芝居をする。
芝居は1人の令嬢を巡り、2人の騎士が我こそは令嬢の護衛騎士となるというものや、2人の貴族子息が令嬢を巡って恋敵として対決すると言う筋書きである。
芝居の中で彼らは「あのお方」「吸い込まれそうな澄んだ瞳」や「風に揺れる柔らかな髪」「たおやかで慈愛に満ちた微笑み」と、どの令嬢にも当てはまりそうな言葉しか使わない。
劇場と違いすぐ近くで演じるのだから、彼らの細かい表情や吐息までわかる臨場感に、令嬢方は芝居の中で囁かれる令嬢に自分を重ね大人気になったのだ。
「でも、なかなか予約が取れませんのよ」
「本当に…帰りに予約をしても次はほぼ1月後でしょう?次が待ち遠しいわ」
「スーベニアスペースもご覧になりました?」
「えぇ、ガラスケース入りの巣蜜を従姉妹たちに買いましたわ」
「今、皇帝陛下にご献上されたサンキャッチャーの小さなものやガラスの小箱も置くようになったのですよ」
「まぁ…あのサンキャッチャーも?」
「ええ、リズベット様がお求めになって見せていただいたのですが、それはそれはきれいで、見ていて飽きないものでしたわ」
「そう言えば…私についた給仕が、今度クリスタルガラスの髪飾りもできると教えてくれたわ」
「まぁ!本当ですの?それはいつ?」
「まだわからないけど、そのうちにって…」
「次に『瑠璃とクリスタル』に行った時に何があったか教えて下さいね」
「もちろんですわ!」
「はぁ…お買い物も催し物も素晴らしいけど、お食事やお飲み物も珍しいものばかりで、それもよろしいですわよね」
「ええ、あのケーキをつくるホケミ粉を取り寄せて我が家でも菓子職人に作らせているのですよ。今度我が家のお茶会で披露しますわ」
「まぁ…、今度ぜひ」
「でも、バルク国って少し前までは辺境の目立たない小国って聞いておりましたけど、こんなに素敵な事をしたり素晴らしいものがあるなんて知らなかったですわ」
「本当に。皇女様をご降嫁させるくらいですから陛下達はご存知でしたのね」
「ずっと秘せられていたアデライーデ様をお輿入れされるくらいですもの」
「アデライーデ様がお輿入れされてからですわ。バルク国が話題にのぼらない日はなかったですもの…」
ご令嬢方の話は尽きない。
『瑠璃とクリスタル』に行ったご令嬢方の催す茶会の話題は、給仕達の話題は当然の事であるが週替りの芝居や料理、お土産に至るまで事細かに、あっという間に社交界に共有されていく。
社交界だけでなく、裕福な庶民の間にも『瑠璃とクリスタル』の話題は広がっていった。
『瑠璃とクリスタル』には、月に2日だけ裕福な庶民が利用できる日がある。
元々バルクの商品を帝国に広めるための店であるので、最初は主にバルクと付き合いのあった商会のご夫人やお嬢さん方が招待された。
その日に『瑠璃とクリスタル』を利用した夫人やお嬢さん方は、どんなに素晴らしかったかを夫や父親に切々と語り、次回もぜひ訪れたいとねだった。
父親達は、妻や娘が土産に買ってきた巣蜜のガラスケースや小型のサンキャッチャーやオイルサーディンの小瓶を確かめると、すぐにアリシア商会に使いを出して取り扱いの為の商談の場を持って欲しいと申し込んできた。
目端の利く商会長達だ。
商機があると踏んだ彼らの行動は早い。
次々に結ばれる商談に、クルーゲもバルクから文官を呼び寄せ、増える商談の仕事をこなしていくと夏の炭酸水の売上げをはるかに超える取引となってきた。
ちなみに『瑠璃とクリスタル』には貴族の習慣に則って当日お会計と言う習慣はない。メニュー表にも価格は書かれていない。
どのお客様も身元がわかっているので、『瑠璃とクリスタル』での飲食費やお土産の購入費は、後日屋敷に請求書が回される。
陽子さんが聞いたら「そんな店には絶対に入らないわ!」と拒否するような習慣だ。価格も陽子さんが知る事はないが、前世のそれぞれの価格に1桁足して、2倍3倍するような貴族価格である。
貴族価格…恐るべし。