180 帝国訪問とメラニア
「大儀であったな」
「お言葉ありがとうございます。さ、どうぞ中へ」
「うむ」
タクシスは、メラニアをエスコートし屋敷の方に進むと給仕達は扉を開けて迎え入れる。
入ってすぐはウェイティングスペースだ。
壁際にはソファが並べられ、反対側の壁にはお土産用の巣蜜やオイルサーディンの瓶詰めが並べられた飾り棚と季節の花が活けられた花瓶が並んでいた。
ウェイティングスペースを抜け、広間に入ると、中央に年代物のグランドピアノが据えられ、ゆったりとした配置でテーブルが並んでいた。
大きな窓から日が入り、真白の新しい壁紙は美しい地紋を浮かばせている。シックな落ち着いた深い赤の絨毯は細やかな花模様に彩られ、真白のテーブルクロスのかかったテーブルを白蓮の花のように浮かび上がらせていた。
「素敵ですわ…」
エスコートするタクシスの腕を離さずに、メラニアはうっとりとしながらそう呟いた。
「公爵夫人のお眼鏡にかなったか」
「ええ、テーブルも詰めすぎず、調度品も和を乱さず良い配置ですわ」
タクシスは、優しい笑顔をメラニアに向けると階段にゆっくりと向かった。2階の部屋を一部屋ごとにゆっくりと見て回った。
赤のルビーの間、白の水晶の間、蒼のサファイアの間、翠のエメラルドの間と巡り、最奥の漆黒のオニキスの間を見たメラニアは、満足げにタクシスに「素晴らしいですわ」と微笑んだ。
ふたりが階段を降りると時に1人の給仕がピアノを奏で始め、2人は用意されたテーブルに着いた。
「いかがでしたでしょうか?」
「素晴らしいな」
「ええ…とても」
「ありがとうございます。この子爵邸の改装と調度品の差配をしたソフィー・ミュラー男爵夫人をご紹介いたします。
そう言って後ろに控えていたソフィーを紹介するとソフィーは一歩前へ進み出た。ソフィーは落ち着いた翡翠色のドレスを纏い、きちんと髪を結い上げていた。
「お初にお目にかかります。ソフィー・ミュラーと申します。タクシス公爵閣下、公爵夫人。ご挨拶できる栄誉を賜り嬉しく思います」
そう挨拶を述べると淑女の挨拶をした。
「ブルーノ・タクシスだ。そして妻のメラニア。ミュラー夫人、この度はこのカフェの為の協力を感謝する」
「もったいないお言葉でございます」
「ミュラー夫人…、こちらの調度品は貴女がご用意を?」
「はい、美術商に依頼して取り揃えました」
「素晴らしいわ。それに給仕達も素敵ね」
居並ぶ給仕達を見渡して、メラニアが声をかけた。
給仕達は揃って礼をする。
「クルーゲ、書類はどこだ」
「あちらにご用意しております」
「メラニア、すまぬが少し席を外す」
「ええ…、こちらでお待ちしておりますわ」
タクシスはそう言うと、メラニアの手を取りキスをしてクルーゲと支配人室に入っていった。
「ミュラー夫人、お掛けになって」
メラニアはソフィーに椅子をすすめると、タクシスが支配人室に入って行ったのを確認してから、笑顔を弾けさせた。
「どうやって、この様に素敵な屋敷をつくれたのかしら?私に教えてくださる?」
支配人室の扉を閉めると、タクシスはクルーゲに話しかけた。
「予算はどれだけ使った?」
「予算内に収めております」
「これでか?」
「ミュラー夫人の腕でしょうな。調度品は夫人の知り合いの美術商から購入しておりますが、どれも妥当な値段でございました」
「お前の趣味で選んだのではないのか?」
「私に調度品の趣味をお求めで?」
クルーゲは、苦笑しながらそう答える。
自分でも調度品の趣味が良くないのはわかっている。自分がわかるのは値段のみ。出されてきた値段を調査し妥当かどうかの判断には自信があるが、1から選定など出来はしないと思っている。
「そうだな…、いや、すまない」
ちょっと失礼な返事をしてタクシスは、机の上の書類に目を通した。
先だってのお披露目会の成功と、その後に招かれた夫人や娘達があちこちでこのカフェの話をしているようで、裕福な商人の間でカフェの話が持ちきりになっているようだ。
特に巣蜜の入っていたガラスケースは、宝石入れとして同じような物を作れないかと美術商からすでに話が来ていると報告を受けた。
「まずまずだな」
「はい。あとはプレオープンの時に貴族たちと顔つなぎをしていただければ…。業者相手のお披露目会なら私達でもなんとでもなりますが、炭酸水を買い上げられた貴族はどの家も高位でございますので」
クルーゲもソフィーも貴族ではあるが、身分は低い。高位貴族を招くには爵位が足らないのだ。
かと言って、アルヘルム達が出迎えるのも舐められる。公爵であり宰相のタクシス夫妻が相応しいと、メラニアを伴いやってきたのだ。
メラニアは初めての帝国訪問に喜んだ。
明日、皇帝に帝国訪問の挨拶をして少し社交してからプレオープンを迎え、数日帝国をメラニアに楽しんでもらう予定になっている。
クルーゲの用意した書類を確認し終わると、タクシスはメラニアのもとに向かった。メラニアはレモネードの炭酸水割りを楽しみながら、ソフィーと打ち解けた様子で話している。
「メラニア、待たせたね」
「いえ、ミュラー夫人のお話が楽しくて、あっという間でしたわ」
「それでは、私はこれにて」
ソフィーが挨拶をして下がると、メラニアはタクシスの手に白い手を重ねた。
それはメラニアがタクシスにおねだりをする時の仕草だ。
「ねぇ、ブルーノ。スケッチブックが帝国で流行っているってご存知?」
「……、何かな…それは」
たらりと冷や汗をかくのを隠しつつ、タクシスはメラニアの手を握り返した。