178 執務室と秋の始まり
「アデライーデ様は、お喜びだったか?」
「あぁ、喜んでくれたよ」
「それは何よりだ」
王宮の執務室に帰ると、文官から報告を受けていたタクシスは手にした書類を下ろし側にいた文官にお茶を持ってくるように言った。
「我が家に付けさせるシャンデリアは進めていいか?」
「もちろんだとも、今から作らせるとなるとどのくらいかかる?」
「そうだな。広間に中型のシャンデリアが2台、ウォールブラケット10台といったところか…今より職人を増やせばいいか…。村に守秘契約をした宝飾職人を集めれば来年には輸出が出来るな」
「新年祭までに間に合ってくれればいいか」
「そうだな。直前に我が家で披露をすれば新年祭は盛り上がるはずだ。まぁ…急かさずともヴィドロを始め職人達のあの意気込みなら、間に合うと思うぞ」
シャンデリアの試作を見た夜、アルヘルムは職人達1人1人に労りの言葉をかけた。そして、職人達にこれから頑張って欲しいとシャンデリアに名を刻む事を許したのだ。
職人にとって、これ程栄誉な事はない。
シャンデリアに刻まれた名前は、シャンデリアがある限り永遠に讃えられるのだ。名に恥じぬ物を作りますと言葉をかけられた職人達は涙していた。
「メラニアも喜んでいた。今から夜会の準備を始めると昨日は招待客のリストを作っていたからな。あぁ、離宮の菓子を作れる菓子職人を借りても良いか?」
「ん?良いがどうした?」
「王宮で食べたふわふわとしたケーキが、婦人たちの間で人気らしいのだ。ホケミ粉についているレシピでも作れるらしいが柔らかさが違うらしい。披露の夜会までの間、茶会でそれを披露したいらしい」
アルト以外の離宮の料理人は、1月毎に入れ替わっていた。
当初は全員が変わっていたが、今は半数ずつ入れ替わりとなり離宮でレシピを覚えて帰った料理人が王宮でも離宮の料理を出している。
そして王宮の菓子職人は料理人達からレシピを習い、各自で工夫して新しいケーキを作り出しているのだ。
離宮の料理も人気だが、ご婦人方には他では食べられない王宮の菓子は絶大な人気を博している。もちろんメラニアも王宮で食べるケーキの大ファンである。
「料理長に人選は話しておこう」
「ありがたい。メラニアが喜ぶよ」
王妃が主催する茶会は、年に数回の大規模な茶会以外は高位貴族に限られる。しかし、公爵夫人の茶会であれば名目によって下は男爵夫人まで呼べるのだ。
ホケミ粉は庶民でも買える手頃な値段であるから、茶会で口にすれば欲しいという話になるのは目に見えている。
「それと、島の方だがな…」
タクシスは報告書の山から、1枚の紙を取り出してアルヘルムに話しかけた。
「いつもの商会以外の船からも、寄港したいと申し入れがあったぞ」
「ほぅ…早いな」
「船員達の噂話は早いからな」
「どのくらい島の整備は進んでいる?」
「あれから人夫をかなり増やしたよ。今は第2食堂の建設を始めている。倉庫も2つ程増えているな。食料の買上げが増えるが倉庫は間に合うだろう。あとはオイルサーディンが油樽で欲しいそうだ」
船員達の食事は保存を優先される為に、その殆どが塩漬けにされている。バルクから南の大陸まで順調にいって1週間。バルクから西の大国までも1週間ほどだ。短いようだが海が荒れれば、すぐに旅程は伸びてしまう。
塩漬けでない保存のきく食材は、魅力があったのだろう。手土産にオイルサーディンを渡した船からはすぐに買付けの話が来た。
塩漬けではなく油も使えるから無駄のない保存食として、船の料理人からも船員からも渇望されたらしい。
「安い魚がこれ程の値が付いて、売れるとはな」
今まで塩漬けで売られていた値段と見比べて、アルヘルムは唸っていた。
食用油代と人件費を除いても、かなり良い値段である。
輸出用の瓶詰めオイルサーディンはまだ売り出していないが、少し形の崩れた物を島の食堂で出し、樽詰めにして商船に売れば相当の利益になる。
「あぁ、帝国では高級食材として売り出すつもりだ」
タクシスはにんまりと笑っていた。
タクシスの中でどれほどの試算ができているかわからないが、樽入りのオイルサーディンよりはるかに高額なのであろう…笑顔が怖いくらいであった。
「帝国のカフェの方はどうなんだ?」
「男爵未亡人の助言で買い取った子爵の屋敷の改修は済んだらしい。良い屋敷だったらしく、厨房とレストルームの改修以外は壁紙と絨毯の張替えで済んだと報告があった。今はカーテンやテーブル等の調度品を揃えているようだな。それが済んだら顔の良い給仕を雇うようだ」
「食堂は別にするのか?」
「いや、この子爵邸は夜会もできる規模のようだから、昼はカフェで夜は食堂としようと思っている。それだけの金は注ぎ込んでいるからな」
「ふむ…夜は食堂か…」
「あぁ、いずれあのシャンデリアを飾るならそれなりの屋敷が必要だが、聞けばそうそう貴族の屋敷の売出しはないらしいからな。このスケッチブックを見る限り、子爵邸はあのシャンデリアを飾るに相応しいと思うぞ」
タクシスは手元にあるスケッチブックを広げてそう言った。
子爵邸のスケッチブックは2冊あり、1冊はアメリーを通してアデライーデに。もう1冊はクルーゲを通してアルヘルムの元に送られていた。そのスケッチブックを見てアルヘルム達は、帝国での子爵邸の購入に満足を得ていた。
「じゃ、シャンデリアの打ち合わせに行ってくる」
そう言ってタクシスは執務室の扉に手をかけると、振り向いてアルヘルムにボソリといった。
「自制心は…持てよ」
「なっ!」
アルヘルムが扉を見ると扉はかちゃりと閉まった。