176 名付けとシャンデリア
「え? まぁ!…」
アルヘルムに手を取られ居間に入ると、煌々としたシャンデリアが居間をきらびやかに照らしていた。蠟燭の灯りが揺れるたびに宝飾ガラスがキラキラとその光を反射してゆらめく。
「……なんて素敵なの」
「だろう?」
アルヘルムは、立ちつくしてシャンデリアに見惚れるアデライーデを、ソファに座らせた。
レナードが2人にワインの用意をする。
「君が言っていた鉛入りのガラスを造らせたら、とてもきれいなものができてね。それを宝飾職人に磨かせてシャンデリアを造らせたのだよ」
「……」
「ワイングラスはもう少し待っていてくれないか。今ガラス職人達が頑張っている」
「…あ…ええ、はい」
シャンデリアのあまりの見事さに見惚れてアデライーデは、ぽかんとしていた。確かにアルヘルムにガラスに酸化鉛を入れるとクリスタルガラスになると話したが、あれからそれほど時間は経っていない。
この短期間によくこれだけの物を造ったものだと、シャンデリアにまた目をやった。元々バルクの職人達の技術力が高いのだろう。現代のシャンデリアと比べてもなんの遜色もないほどだ。
「気に入ったかい?」
「ええ、とても。ずっと眺めていたいくらいですわ」
アデライーデがシャンデリアから目が離せない様子を見て、アルヘルムは大いに満足していた。
来客に自慢する為なら玄関を入ってすぐの広間か晩餐をする食堂だが、アデライーデがシャンデリアを長く目にする時間が多い居間にして良かったとアルヘルムは思っていた。
初めてシャンデリアを見た翌日、レナードに使いを出してアデライーデが1日離宮を離れる日をつくれと指示を出した。
こっそりつけてアデライーデを驚かせたかったからである。
日が暮れるまで外出させて、灯りをともしたシャンデリアでアデライーデを迎えて喜ばせたかった。
レナードはアルヘルムの指示を聞いてすぐにアデライーデにアメリーを連れてメーアブルグに出かけてきてはどうかと、進言した。
最近はメニューやそろばんの教科書作りでお忙しかったので、たまにはメーアブルグの海猫亭にでもお出かけになりませんか?と言い出かけさせたのだ。
アデライーデ達の馬車が見えなくなると、すぐに職人達がやってきて居間の古いシャンデリアを外し、宝飾ガラスのシャンデリアを設置した。設置に意外に時間がかかったが、レナードから話を聞いていたマリアの協力もあり日の落ちた時分にアデライーデは離宮に帰ってきたのだ。
「アルヘルム様…こんな素敵な贈り物をありがとうございます。何より嬉しいですわ」
アデライーデが満面の笑みでそう言うと、アルヘルムはアデライーデを抱きしめて、その額にキスをした。
「何を言うんだ。これは貴女が最初にバルクに贈ってくれたものじゃないか」
「私が?」
「あぁ、貴女が教えてくれた宝飾ガラスで造られたものだ。貴女がつくったと言っていいくらいだ」
「そんな事ありませんわ。私はただ酸化鉛を入れると教えただけで…。それだけで作ってくれた職人さんたちが凄いのですわ」
陽子さんは慌てて、アルヘルムの言葉を否定する。現代人でガラス好きなら誰でも知っている知識だ。むしろその言葉だけでこれだけの物をこの短期間で作り上げた職人達の腕を褒めるべきであろう。
「貴女は、どこまでも奥ゆかしいのだな」
−−それは誤解よ。ちょっと詳しく言えないだけなのよ。
「このシャンデリアは…いや宝飾ガラスはバルクを変える」
そう言って、アルヘルムは銀のワイングラスを手に取るとアデライーデに手渡した。
「今日はその記念日だよ」
「え…ええ」
「その記念に、このガラスをアデライーデ・ガラスと名付け…」
「いやー!!」
「え?」
どうしてアルヘルムはすぐにアデライーデの名前をつけたがるのだ。炭酸水も商会の名前の時もすぐにアデライーデと名付けたがる。
しかし、この世界では形に残るものに自分の名前がつくのはこの上ない名誉な事なのだ。
「アデライーデ様、名誉な事ではございませんか。これからこの宝飾ガラスを使った素晴らしいシャンデリアはこの国を始め各国に広がってゆくでしょう。アデライーデ様のお名前と功績は世に広く知れ渡るのですよ」
レナードがアルヘルムに助け舟を出す。その言葉を受けてアルヘルムが頷いているのを見て、陽子さんはガクブルした。
味方はいない…。
しかし、そんな恥ずかしい事は絶対阻止しなければならない。
「このガラスには、もう名前は決めてあります!!」
「ん?」
「私が贈ったと言われるのでしたら、私が名前を決めても良いですわよね?!」
ここで負けてはいけない。
ここで負けたらアデライーデ・ガラスやアデライーデ・グラスなどと今後も名付けられかねない。
アルヘルムの腕を取り、鬼気迫る顔でアルヘルムに迫った。
「あぁ、なんと名付けるのかい?」
「クリスタルガラスですわ! 水晶の様なガラスでクリスタルガラス。それしかありません!わかりやすくて良いですわ。誰が聞いてもわかります」
「水晶ガラス。確かにきれいな名前だ」
「そうでございましょう?それしかないですわ!」
あまりのアデライーデの勢いにアルヘルムは苦笑した。
「わかったよ。そう名付けよう」
どうしてこのお姫様はこのように奥ゆかしいのか…。
愛おしく可愛らしいアデライーデをアルヘルムはそっと抱き寄せる。
「では、名付けを譲る代わりに…」
アルヘルムはアデライーデの頬に手を添えると、結婚式以来の唇へのキスをしてガラスの命名権と引き換えにした。