17 鴇羽(ときは)色のドレス
「決まっているのでしたら仕方ないですわね。できるだけ質素にお願いします」
「……。承知いたしました。努力いたします」
(努力しますか。この世界でもビジネストークは一緒なのね)
努力はしたができなかったって言うつもりだと、陽子さんはお茶に口をつけながら思った。
グランドールはお茶を飲んで落ち着こうとする。祝賀の席の縮小を望まれた事など初めてだった。
やはりと思うところがあるが、まだ告げねばならないことがある。
「明日、陛下へお別れのご挨拶をしていただきたく…」
「祝賀の席でお会いするのでは? お忙しい陛下にわざわざお時間をとっていただかなくとも…」
(パーティで会うじゃない?その時にちゃちゃっと挨拶で良いと思うのよ?)
「アデライーデ様。輿入れの際の陛下へのご挨拶は儀式でございます」
絶対に引けないグランドールは静かに強く告げる。
「本来、輿入れされる皇女様とお相手の方とご一緒に御挨拶されますが、お相手のバルク王は国元にいらっしゃいますので、その際はご生母様となりますが、ベアトリーチェ様はお亡くなりになっていらっしゃいますので僭越ながら私がベアトリーチェ様の代わりにご一緒にご挨拶となります」
(儀式って…何するのかしら。面倒だわ…)
「承知しました。明日ですのね」
「はい。後ほどご挨拶用のドレスをお届けいたします」
「…… ご配慮感謝いたしますわ」
アデライーデがそう言うと、グランドールは丁寧にお辞儀をし帰っていった。
(王侯貴族って、面倒くさいのね。でもちょっと前まで日本でも嫁入り前は花嫁衣裳で仏壇やお墓にお参りしてご先祖にご挨拶ってあったからね)
陽子さんは雅人さんとの結婚の時を思い出す。
ちょうどバブルと言われている時期だったので周りはゴンドラやスモークを使った派手な結婚式をやっていた。
社内の飲み会すら億劫になる雅人さんと示し合わせて海外ウェディングとごまかし、婚姻届提出と溜まっていた有給休暇をぶち込んでの3週間の貧乏ヨーロッパ旅行が今となってはいい思い出だ。
グランドールを送り出して、マリアに入れ直してもらったお茶を飲んでいるとグランドールからドレスが届けられた。
(やけに早いわね)
届けられたドレスは、鴇羽色のドレスだった。
やや紫に近い淡いピンク。ドールに着付けられたドレスは少し濃い同色のレースと白のレースで品良く飾られている。
マリアの目が輝いている。
それだけこのドレスは素晴らしいものなんだろう。
届けてくれた年配の婦人が「お初にお目にかかります。グランドール様付きのマルガレーテと申します。本日はグランドール様より陛下へのご挨拶のお祝いのドレスをお持ちいたしました」そう言うと、優雅な淑女の挨拶をした。
「お祝いありがとう存じます。このような素晴らしいドレス。身に余ります。どうぞグランドール様によしなにお伝えください」
アデライーデも淑女の挨拶し、返礼をする。
マルガレーテは「本日は、お祝いの品のお届けと共に明日の陛下へのご挨拶の時の所作をお伝えに参りました」と、にっこり笑った。
(マナー教師…なのね)
心の中で少しヒクつきながら「よろしくお願いします…」と応じる。
マルガレーテは当日の説明を始めた。
グランドールがエスコートし小謁見の間で陛下にご挨拶をする。その際の入場の仕方、挨拶のタイミング、口上等を説明しマルガレーテがグランドールの代わりとなり何度か練習をした。
細かいところを教えられ、指南が一段落したあとマルガレーテとお茶を飲んでいると、アデライーデ様はベアトリーチェ様にそっくりなのですねと言われた。
「マルガレーテ様は母をご存知なのですか?」
「どうぞマルガレーテと、お呼びください」
「では…マルガレーテ夫人と…」
「…では、そのように。ベアトリーチェ様が御前に上がられた時にほんの短い間でございましたが侍女としてお仕えしました。離宮に移られるときに別の侍女になりましたが、ベアトリーチェ様にお仕えしたことは幸せなことでございました」
ベアトリーチェは家族で参加した新年の王宮主催のパーティで、陛下に見初められた事、伯爵令嬢で陛下の妃になるのは異例とも言えることであったが陛下の強い希望で側に上がったことを話してくれた。
お二人でいるときは、いつも笑いあい本を読んだり東屋で庭を眺めたりと幸せそうであった事を話してくれた。
(ベアトリーチェは愛されていたのね。でも、その割に私が、アデライーデになってから一度も会ったこともないし手紙もないんだけど…)
そんなアデライーデの表情を読んだのか、自分が忘れられた皇女と呼ばれているのを知っているのだろうと思ったのか、マルガレーテは少し声を低くして続きを話しだした。
眩しいほどのご寵愛であったが、離宮に移る頃から隣国との戦争が始まり陛下は国政に忙殺されていったこと。帝国とはいえ莫大な戦費、兵力を賄うには有力貴族たちの協力は欠かせなかったことをオブラートに包んで話してくれた。
貴族たちの協力を仰ぐには、その娘である妃たちとの仲にも気を配らなければならない。大事に思っていてもしがない伯爵令嬢の娘でしかないベアトリーチェのもとには足繁くは通えないのである。
ベアトリーチェの兄や父は進んで戦に参加したが、有力貴族は参加しないような分の悪い戦に参加させられ相次いで亡くなってしまった。
後ろ盾も無くなってしまったベアトリーチェの下には、だんだんと通えなくなっていったのだ。
一見、権力者に見える皇帝に自由はそれほどないのである。
(王様も気楽じゃやっていけないのね)
「アデライーデ様がお生まれになった時は殊の外お喜びになられておりましたよ」マルガレーテは当時を思い出しながらそう言った。
「陛下は、アデライーデ様に頂いた刺繍のハンカチを今もお持ちですわよ」
「え?」
爆弾発言だ。刺繍ができる年にアデライーデに会っているのなら明日陛下に会った時にうまく取り繕えるか自信がない。
くすくすと笑いながらマルガレーテは教えてくれた。
「アデライーデが初めて刺繍したハンカチだとそれは自慢されましてね。まだ4才のアデライーデ様がベアトリーチェ様に手伝ってもらいながらさされた葉っぱが1枚刺繍されておりました」
「葉っぱですか?」
「ええ、私達には説明していただけなければ、そうとはわかりませんでしたが。頂いた後で戦地を回られるときもベアトリーチェ様の刺繍されたハンカチと一緒にお持ちでしたわ」
「…知りませんでした」
「お渡ししてからは陛下とはお会いできていませんでしたから…」
「そうですか」
(4才のとき会ったのが最後なんだ)
少しの間が静寂が流れた。
「アデライーデ様」
ティーカップをそっと置き、マルガレーテはアデライーデの目を見つめる。
「ベアトリーチェ様がお亡くなりになり、本当にお悔やみ申し上げます。ベアトリーチェ様がお亡くなりになった時、陛下も同じく酷いお風邪を召して床から起きることもできませんでした。
ですので…周りの者の判断で陛下が回復されるまでベアトリーチェ様の事は伏せられておりました。陛下がお知りになったのはベアトリーチェ様の葬儀が済んだ後でございます。
アデライーデ様。陛下は決してベアトリーチェ様の事もアデライーデ様の事もお忘れになっていたわけではありません。ただ…陛下は陛下としての責務がございましたので…」
マルガレーテは持っていたハンカチを握りしめていた。
ああ…
私が、挨拶はしなくてもいいと言ったからなのね。
10年近くも放置してベアトリーチェが亡くなっても娘に会いにも来ない。
一周忌も過ぎないうちに辺境の地に追い出されるのに、体面だけ取り繕うような盛大なパーティも必要ないし、ましてや会いたくもない。
そんな風に思ったのね。
陛下にベアトリーチェの訃報を知らせなかったのはグランドールなのだろう。だから、アデライーデに何事を告げるにしろ本人が来ていたのか。
周りの事情は、今のマルガレーテの話で大体よくわかった。
それはそれで、この世界では仕方のない事なのかもしれないと思う。
どんな人もそれぞれの立場ではどうしようもない事も陽子さんにも理解できる。
でも、グランドールもマルガレーテ夫人も陛下の側に立って話をしているのよね。
陽子さんは、アデライーデはどう思っていたのだろうと考えた。
父親を慕っていたのか、恨んでいたのか。会いたいのか、会いたくないのか。
唯一アデライーデの側に立てるベアトリーチェはもう居ないのだ。
今この場で判断はできないわ…陽子さんは小さく息を吐いた。
「マルガレーテ夫人」
アデライーデは口を開く。その口元をマルガレーテは見つめた。
「王族とはそういうものですわ。国の為に全てを捧げていらっしゃるのだと理解してます。私も私の役目を果たします。明日陛下にお会いできる事を光栄に思いますわ」
そう言うと、アデライーデはマルガレーテ夫人に微笑んだ。
マルガレーテ夫人はほっとしたような少し悲しそうな目をして、しばらくすると下がっていった。




