168 ガーデンテーブルと予約席
リトルスクールでの見学を済ませ、子ども達に手を振って別れを告げると、少し歩いた先にあるコーエンの工房へ足を向けた。
コーエンの工房は小さな門のところに「指物工房 コーエン」と小さな看板がかけてある。
門扉を開けて敷地に入りドアノッカーを鳴らすと、すぐにコーエンが出迎えてくれた。
「この様な所まで、おいで下さりありがとうございます。さぁ、どうぞ…」
「急なお願いでごめんなさいね」
「なにをおっしゃいます。いつでも大歓迎でございますよ」
工房の中に招かれると、明るい工房の中は沢山の木材と出来上がったそろばんが並べられていた。
「こちらは帝国で人気の挿し絵画家のアメリー・ノイラート女史…雅号はティオ・ローゼンよ。そろばんの教科書の挿し絵を描いてもらうためにわざわざ帝国から来てもらったの。アメリー、こちらは指物師のコーエンよ」
「ようこそバルクへ。帝国からとは遥々大変でしたでしょう」
コーエンがにっこりとアメリーに微笑むとアメリーは赤くなってもじもじし「そんなことないですわ」と答えた。
「では、アメリー様はこの村の宿にお泊りに?」
「ええ…」
「それで朝、食堂にいらしたのですね」
「あら、2人はもう顔見知りなの?」
「え?、いえ、たまたま隣のテーブルだったのですわ」
「はい、村では見慣れぬお美しいご婦人だと思っておりました」
「!……」
アメリーは、彼女の髪と同じくらい赤くなっていく。
コーエンに工房の隅にあるまだ新しいソファを勧められ、座るとすぐに一人のおばあさんがアデライーデ達にお茶を出してくれた。
アデライーデは今のそろばんの出荷はどうかとコーエンに尋ねると、中々に忙しいようだ。村の孤児院と王宮に出荷後、アデライーデの依頼でメーアブルグの孤児院にも20丁納めたあとは、アリシア商会を通じて定期的に王宮から注文があると言う。
納品数を増やしてくれと言われてはいるが、自分1人でこれ以上納品数を増やすのは厳しいので、自分の身にはかなり早いが見習いを入れようかと思っていると話してくれた。
ひとしきりコーエンの近況報告を聞いてから、アメリーにそろばんの作り方を教えてほしい、私達は庭を見ているわと言ってアデライーデはマリアを連れて庭に出た。
コーエンの家の前庭は、以前の住人が大工だったらしく広めにとってあり、花壇には沢山の花が植えられていた。指物師職人はモチーフに花を使うことも多いのでコーエンも師匠の庭に習い花をたくさん植えていた。
朝たっぷり水をもらったであろう花達は、艷やかな緑の葉を風に揺らしていた。
木陰のガーデンチェアに腰掛けて庭を眺めているとおばあさんが今度はコーラを持ってきてくれたので、マリアとふたりでそれを飲みながらこそこそと話を始めた。
「アデライーデ様…アメリー様はコーエン殿と何やら良い雰囲気でしたわね」
「そうよね。アメリーはコーエンみたいなタイプが好みなのかしら…」
「そうですわ。アメリー様は雄々しい騎士と言うより優しげな文官タイプの男性がお好みなのですよ。最新作の挿し絵は伯爵令嬢と文官の悲恋物で、ものすごく力が入ったとお手紙に熱く書かれていましたわ」
確かにコーエンは、細身で優しげな顔立ちをしている。
長い栗毛を黒い紐で纏めていて、話を聞く限りアメリーの好みのようだ。
大きな窓からはふたりがそろばんを手にとって話し込んでいる様子が見えるが、中々にいい雰囲気である。
「では、この珠の材木を探しに森の製材所まで行かれましたの?」
「ええ、アデライーデ様のご要望にお応えしたく。遠出は初めてですが製材所まで行ってみました」
「熱心でいらっしゃるのね」
「いえ、職人としては当たり前ですよ」
「製材所は遠いのでしょう?」
「馬車で1日ですので、それほどでは。アメリー様ほどではございませんよ。お召しがあったとはいえ帝国から女性1人でバルクまで来られるのですから。お仕事に誇りを持ってされているのですね」
「いえ、それほどでは…」
人気挿し絵画家とはいえ父の名の庇護があっての事、それも男性名で仕事をしないと帝国でも難しい。小説家の中には自身の著書に女性の名が並ぶのを嫌がる者も多いのだ。挿し絵画家は小説家の指名なので、アメリーはスケッチブックの仕事以外は男性名で仕事をしている。
「コーエン様のお仕事は、ご自身の名前を銘打てる立派なお仕事ですね」
そろばんの隅に彫られた「Coen」の文字を見ながらポツリと言った。
「……」
そう言ったアメリーに、コーエンは何も言わずにアデライーデから最初に渡されたメモを見せ、初めての依頼のときの話を始めた。そして、そろばんの分解図や写本したそろばんの教科書を出し熱心に話し始めたのだ。
しばらくして、コーエンとアメリーは2人して庭のアデライーデ達のもとにやって来た。コーエンはアデライーデ達を待たせた事を詫びると、自分の説明は終わった事を告げ仕事に戻ると丁寧に挨拶をし工房へ戻って行った。
「アメリー、どうだった?」
「ええ、とても丁寧に教えていただきましたわ」
「挿し絵については、今の教科書を元にダボアとコーエンと相談しながら作ってもらってもいいかしら」
「承知しましたわ」
「レシピの方は、とりあえず色々食べてもらってからにしましょうね」
「そうですわね、村の食堂にランチに行きましょうか。アメリー様、アデライーデ様のレシピのほとんどは村の食堂でも頼めますのよ」
「まぁ…」
アメリーは昨晩の晩餐の時に話は聞いていたが、本当に貴族のレシピが庶民の村の食堂に提供されている事に驚きを隠せなかった。
ちょうどお昼の時間だったので、食堂は人があふれていた。非番の兵士たちもチラホラといてお姉さん達に声を掛けながらテーブルを囲んでいるし、子供たちもいる。
まるで帝国の1番賑やかな店のように混んでいたが、女将さんがアデライーデの顔を見ると予約席の札が置かれていた店の1番奥のテーブルに案内してくれ、何も言わずとも次々と料理を持ってきてくれた。
「このお料理全て、アデライーデ様のレシピなのですか?」
「そうよ。でもまだ一部なの」
「まぁ…」
「バルクの伝統料理のレシピも作りたいのよね」
そう言って、アジフライを口にするアデライーデを目を丸くしてアメリーは見ていた。