158 思い出と麦茶
「すごく楽しかったです!」
1日遊び終えて、晩餐の席でフィリップは興奮気味に喋っていた。フィリップのご学友も選抜された良い子達なのだろうが同年代の子どもたちと遊ぶ楽しさはあっても、そこに身分差は当然ある。一歩引きフィリップをたてて遊べる子たちが選ばれているのだ。
それが全くないお忍びでの遊びは、フィリップにとって刺激的で楽しかったようだ。
追いかけっこで遠慮なく捕まえられれば当然鬼にされ、知らない事は教えられ間違っていればすぐさま突っ込まれる。女の子達からは構われお世話を焼かれ、それに戸惑っているとダンスィーな男の子がフォローしてくれる。
そんな体験1つ1つが新鮮だったようだ。
「そう。楽しかったのですね」
「はい。それでですね…」
「フィリップ様、沢山のおしゃべりは食後のお茶の時間に…」
レナードも口では注意するが、目は優しくフィリップを見て炭酸水をフィリップのグラスに注いでいた。
フィリップは「はい」と素直に返事をし幾分抑えめに話をするが、その顔からは笑顔が溢れている。
晩餐後のお茶もフィリップには初めての体験だからだ。普段は食後は自室に帰り身支度を整えたらすぐにベッドに入る。食後は大人の社交の時間なのだ。
ドロドロに汗をかき、離宮に帰るやいなや侍女達にお風呂に入れられピカピカにされたフィリップは、いつもの様に正装をし、いつもより少し遅めの晩餐をいつもより多めに食べ、いつもはしない食後のお茶に招かれた。
今日はどの出来事も初めてだらけでわくわくする。
1度客間で正装からかなりゆったりとした室内着に着替えたフィリップがレナードに連れられて居間に向かった。
「フィリップ様、お花を選ばれるようになったのですね」
「ナッサウがそろそろ選んでもいい年になったからと、選ばせてくれたんだ」
「さようでございますか」
「どの花も綺麗で、アデライーデ様に1番喜んでもらえるのはどれかわからなくてナッサウにいくつか選んでもらったんだよ」
「最初はそのようなものです。贈るうちに自然と選べるようになってまいります。そうそう、『この花は私が選びました』だけの方がスマートでよろしいかと…」
「ふぅん…そうなんだ。覚えておくよ」
--紳士教育を始めるお年になられたのですなぁ
もうそんな年になったかと、レナードはフィリップに微笑む。ついこの間お生まれになり、よちよちと歩いていたが時の経つのは早いものだ。ご婦人に花を贈る練習をするお年になられたかと感慨深く思っていた。
主人の代わりに花を贈るのも側仕えの者の仕事だが、幼い未来の主人に花を選ぶセンスを教えるのも側仕えの者の重要な仕事である。
アルヘルムが最初に贈ったのは、時の皇太后様であったが選ぼうとする気力を起こす事から苦労させられた。
やっと花を選び花束にすれば毟って遊びだしたりと、頭の痛かった思い出が走馬灯のように駆け巡る。
アルヘルムはテレサに花を贈るまで殆どレナードに丸投げで、覚えている花の名は薔薇や百合くらい。いくら言っても花の名前を覚えなかった。
剣豪の名前や珍しい武具の名前はすぐに覚えるのだから、その何分の1でも良いから覚えてほしかったとつらつらと考えていたら、アデライーデの居間についた。
レナードがノックをし、居間に入ると同じく正装からゆったりと涼し気な室内着に着替えたアデライーデがフィリップを迎え、窓を開けたベランダの近くに移動させたソファにフィリップを座らせる。
ソファの両端にクッションがたくさん置かれ少し上を向いてお月さまが見られるようにしてもらったのだ。ソファに座ると開け放たれた窓から、真ん丸なお月さまが明るく夜空を照らしていた。
ベランダには虫よけにと、庭師のおじいちゃん達がローズゼラニウムやバジルやローズマリーの鉢植えをたくさん置いてくれている。蚊取り線香の無いこの世界では窓際にハーブの鉢植えを置くらしい。
涼しい風に運ばれて、ハーブの香りがソファの周りを包む中マリアがお茶を持ってきた。寝る前なので紅茶でもハーブティでもなく、陽子さんが大麦から作った麦茶だ。
「…香ばしい匂いですね」
「大麦を、フライパンで焙じて煮出したものよ。冷やしても美味しいけど、夜だから温めの麦茶にしたのよ」
「美味しい…渋みとか無いんですね」
「カフェインもないから、小さい子でも安心して飲めるわよ」
--かふぇいん…??
聞き慣れない単語を疑問に思ったが、それより話したいことのほうが多くフィリップは直ぐにカップを置くと、今日の出来事を喋り始めた。側にはアデライーデもいて一緒に過ごしていたが、話さずにはいられなかった。
すぐに捕まって鬼になって悔しかった事、小さい子が信じられないくらい足が速くてびっくりした事、女の子から「あんた。フィル」と呼び捨てにされた事、食堂で知らない人達と庶民のマナーで食事をして楽しかった事などを楽しげに喋り、アデライーデはうんうんとにこにこ笑いながら話を聞く。
「アデライーデ様…お菓子をお持ちしましょうか?」
後ろからマリアがそっと耳打ちする。
「夜寝る前に甘いものはあまり良くないのよね…。ねぇ王宮では毎晩どうなの?」
「王宮では、寝る前にミルクを1杯召し上がってから口をゆすいでお休みになられます」
控えていた王宮から来たフィリップ付きの侍女が、そっと教えてくれた。
--少し食べて、寝る前に歯を磨けば大丈夫かしら…
「ね、フィリップさ…ま…?」
振り返るとフィリップはクッションに埋もれて、かすかな寝息をたてて眠っていた。
「あら…まぁ…」
マリアと侍女とアデライーデは顔を見合わせて、笑う。
「今日はたくさん遊んだものね。おやすみなさい、フィリップ様」
従僕達にフィリップを寝室まで運んでもらうとアデライーデは、アルトとマリアとフィリップの侍女を呼んで明日の事を相談し始めた。
フィリップの2泊3日のお泊りの最初の夜は、静かに更けてゆく。
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