157 フィルと初めてのお忍び
「ね、フィリップ様。村だけど庶民の服を着て村に行きませんか?私と一緒に」
フィリップは村には行った事がある。アルヘルムに連れられて行かれたこともあるし、アデライーデに連れられて食堂にも行った事もある。王子として。
村の皆は敬意を払い、丁重に接してくれた。
「庶民の服を着て、王子様って事は内緒にして庶民の男の子って事で村に行ってみるのはどうです?いつもとは違うと思いますよ」
「はい…」
古くからいる村の大人は皆フィリップを知っている。
もちろん、食堂の女将さんもだ。しかし、庶民の服を着ているときはフィリップを王子として扱わないように頼むことはできる。それに最近村に来た者はフィリップの絵姿は見たことがあるかもしれないが会ったことはないはずだと陽子さんは考えていた。
「お忍び用の名前を考えましょう」
「お忍び用の名前?」
「ええ…フィリップって王子としての名前ではなく、お忍び用の名前です。私は孤児院の子供たちにはアリシアって呼ばれているんですよ。そうだわ、孤児院の子供たちにも紹介しますね」
「名前…」
「ええ、何がいいかしら。そうね…フィルって名前はどうですか?フィーとかでも呼びやすくて良いかも」
「フィルがいいです!」
「じゃ、フィルに決まりね。用意しましょうか」
フィリップは、今までフィリップ様と呼ばれるか殿下としか呼ばれたことがない。テレサからは「私の王子様」と抱きしめられる事はよくあるが、同じような響きだがフィルと呼ばれるのは新鮮だった。
レナードがフィリップ用の服を持ってきて着替えている間、レナードに村の皆に庶民の服を着ている時は、普通の子として扱ってもらうように伝えて欲しいとお願いをしてアデライーデもお忍び用の服に着替えに行った。
着替えを済ませホールに行くと、すでに半袖の茶色のシャツに膝上丈の紺色のズボンを履いたフィリップとレナードがアデライーデを待っていた。
「アデライーデ様、村の中は安全ですが念の為に護衛として2人兵士をつけます。少し離れた所からの護衛となります」
そう言ってレナードが紹介したのは警備隊から来た2人の兵士だった。お忍びと言うことで普段着に小剣を携えている。護衛がつくのは仕方がない。何しろ正妃に王子なのだから。
村に向かう道をマリアと護衛の兵士2人が少し距離を置きながら付いてくる。
村に入る手前の炭酸水工房は、今日も出荷で大忙しのようで活気よく荷馬車にケースを積み込んでいた。
村に入ると大人達はすでにレナードからのお達しを聞いているのか、2人と目が合えば「こんにちは」と挨拶をするだけだった。
「アデライーデ様、なんだか不思議です」
「アリシアよ…フィル」
「あ…アリシア…。皆僕が居ないかのようにしていて…不思議な感じです」
フィリップは、どこに行ってもお辞儀をされ王子として下にも置かぬ扱いを受けていた。それが村ではただの子供として扱われるのを肌で感じていた。
「あ!アリシアだ!」
ちょうどリトルスクールが終わったのか、村の子どもたちがぞろぞろと一軒の家から出てきた。その中にいたルーディが目ざとくアデライーデを見つけ、走って近づいてきた。
勢いよくアデライーデに飛びかかると、アデライーデはルーディを抱きあげ「久しぶりね」と頬ずりをした。
「アリシア、聞いてよー。デールが意地悪なんだ。遊んでくれないんだ」
「あら…そうなの?」
「ちびとは遊ばないって!大きい奴らと遊んでばかりなんだよ」
「よしよし、ルーディも村の子と遊べばいいじゃない」
同じ年頃の子と遊ぶ楽しさを知ったデールは、ルーディより他の子に目が行くようになったようだ。
「あ…アリシア。いい匂いがする!いつもと違うやつだ」
「あら…わかる?香水を変えてみたの」
アルヘルムから花束以外にも時々香水やクリーム等が届くようになった。この香水はつけた時弾けるようなオレンジの香りの後に徐々にネロリのほんのりとした香りが長く続く爽やかな香水でアデライーデのお気に入りだ。
「あまーいオレンジの匂いだぁ」
そう言って、ルーディはアデライーデの胸に顔を埋めてすりすりしながら「いい匂い」と言った。
「な!!、なにしてる!」
フィリップは真っ赤になって、ルーディに声をかけた。
フィリップの受けている教育では例え子供どうしでも異性とは適度な距離を保つように躾けられている。
こんな、どーん、ぎゅ、すりすりなんてテレサにしてもらうくらいでアデライーデの子供でもないルーディが当たり前のようにアデライーデにしてもらっているのに大きな衝撃を受けていた。
「え?なにって、抱っこだよ」
「抱っこって…」
「ねぇアリシア。こいつ誰?新しい子?孤児院の子なの?」
見慣れないフィリップにルーディは、引越してきた村の子か孤児院に入る子かと思ったのだ。最近村には引越して来る家族が増えリトルスクールに通う子も増えてきていた。
「村に遊びに来たのよ。フィルって言うの」
「ふーん、フィルってどこから来たの?メーアブルグ?」
「お…王都から…」
フィリップがそう答えた時に遅れてリトルスクールに通う子たちがわらわらとやって来てフィリップとアデライーデを取り囲んだ。
「アリシア様 この子どこの子?」
「あんた誰?」
「どこから来たの」
「名前は?」
「いくつなの」
子どもたちは、自分たちと同じ格好のフィリップに次々に問いかける。
フィリップは圧倒されっぱなしだったが、自分はフィルという名で王都から遊びに来たと答えると子どもたちは次々に自分の名前を言って遊ぼうとフィリップの手を引いた。
最初は戸惑っていたフィリップも、ぐいぐいくる子供たちにいつしか慣れて遊びを教わり楽しんでいた。
しばらくするとお昼の鐘が鳴り子どもたちはフィリップを食堂へ連れて行った。アデライーデの発案で村のリトルスクールに通う子たちは食堂で昼食を食べる事になっている。
そう…給食だ。
大抵のリトルスクールはお昼前に終わる。子どもたち達は家に帰ってご飯を食べるのだが、孤児院の子達と仲良くなる機会を増やしたいとアデライーデがお金を出して食堂で食べさせてもらっている。
「ほら、そこの桶の水で手を洗って。トレイを持って自分の好きなものを取るのよ。とったものは残しちゃだめなの」
「そうよ。初めてのものは少しとって、好きだったらお代りするのよ」
「いいじゃん、どれも美味いんだからさ。フィル好きなだけ取れよ」
「う…うん」
女の子達はまめまめしく、新入りのフィルの世話を焼く。
「おっ、見慣れない顔だな。新入りか?」
「王都から遊びに来た子なんだって。かわいい子よね」
炭酸水工房の若者達や荷馬車のおじさん達にも声をかけられ、食堂のお姉さん達に頭を撫でられながらフィリップは初めてお忍びの食事を楽しんでいた。