156 お泊まりとクレマチスの花束
「お久しぶりでございます。アデライーデ様」
「よくいらっしゃいましたね。フィリップ様」
久しぶりに会うフィリップは、以前より日に焼けて少し背が高くなっていた。
王宮からのフィリップを離宮に泊まらせてもいいかと言う手紙を携えて来た使者に、いつでもと返事をして実現したお泊りだ。
馬ではなく馬車で侍女と従僕を伴ってやってきたフィリップは、いかにも王子様という風情できちんと挨拶をした。
「アデライーデ様、これを。アデライーデ様のお美しさには敵いませんが…」
そう言ってフィリップが手渡したのは白い小バラをあしらった白と紫のクレマチスの小ぶりな花束だった。夏のこの時期目に涼やかなアレンジだ。
「まぁ!素敵だわ!ありがとうございます」
「庭園で僕が選んでナッサウが花束にしてくれました」
「わざわざ選んでくれたのね。嬉しいわ」
アデライーデがそう言うと、フィリップは嬉しそうに笑った。
--もっと子供だと思っていたけど、こういう事をさせると本当に王子様なのね。褒め言葉もちゃんと習うのかしら。フィリップ様から花束なんてもらったら女の子はイチコロね。
イチコロ……。随分と懐かしい言葉だ。
「さぁ、お入りになって」
玄関ホールから離宮に入ると、フィリップは目を見張った。
「前に来た時と、すごく違う…」
「あら…そうなの?」
「去年の夏ここに来た時より、ずっと明るくなってる気がします」
「アデライーデ様がお住みになる為に改装したからでございます。壁も全て塗り替えました。調度品もシックなものから華やかなものになりましたので…」
レナードがそう言うと、フィリップは離宮の中を見たいと言いだした。食堂や居間は以前と全然違うと目を見張ったが、喫煙室だけは変わらないと海泡石のパイプが飾られた飾り棚の前でアデライーデに教えてくれた。
「このパイプはお祖父様のもので、代々のバルク王が使っているんです。口金のところだけ変えて、もう200年は使われてるって聞きました」
「まぁ、そんなに長く?」
さもありなんと思う。艷やかな飴色は長い年月をかけて丁寧に吸わないと出ない色だと陽子さんも聞いていたからだ。
「詳しいのね。もしかしてフィリップ様はタバコを嗜まれるの?」
「子供は吸っちゃダメなんですよ」
「あら…そうなの?」
--お酒は割と緩いみたいだけど、煙草は違うのね。
「アルヘルム様も嗜まれるのかしら」
「父上は、嗜まれないと聞きました。年をとってからのものだと言われてましたよ」
フィリップの中で煙草を吸うのはお年寄りらしい。
一通り離宮の中を探訪すると最後にアデライーデのキッチンにフィリップを連れてきた。
「わぁ、厨房ってこんな風になってるんですね。これは何ですか?」
王子であるフィリップは、もちろん厨房なんて入った事もない。見るものすべてが珍しく全てに興味を示した。
「これはフライヤーですよね?フライドポテトを作るものですよね!父上がパーティで皆に自慢してました。今王都のどの貴族の街屋敷にも1台はあるってゲルツ先生が言ってましたよ」
すぐにフライヤーを見つけると、満面の笑みでアデライーデに報告をする。
「まぁ、本当に売れてるのね」
「城下の街でも人気だと聞きました」
「城下の街で?フィリップ様は街に行かれるの?お忍び?」
「まだ…行った事は無いです」
ちょっとつまらなそうな顔してフィリップは言った。
「早いって…母上も学院を卒業前に何度か行ったくらいだと言ってましたし、父上も初めては覚えてないが、もう少し大きくなってからだったと言われて…」
でも、学友の中には護衛騎士に連れられてもう何度も城下に行った者もいる。庶民の服を着て屋台で買い食いをしたり、見慣れないおもちゃを買ったり、曲芸小屋に入ったりした話を聞くたびに羨ましくって仕方がなかった。
フィリップは自分は王子だから仕方がないと思っているようだが、アルヘルムはフィリップの年にはタクシスと何度も城を抜け出して遊びに出ていた。
馬丁の見習いの子に厨房からくすねたお菓子を渡して、服を借り荷馬車に隠れて街に繰り出しては、レナードやナッサウを走り回らせたのは隠しているらしい。
「ほぅ…。覚えていらっしゃらないと…」
レナードはにこやかに笑う。目は笑ってないが…
「アデライーデ様は帝国ではお忍びって、行かれてましたか」
「私は…この前メーアブルグに行ったのが初めてかしら」
「そうなんですね…」
アデライーデは14才。あと4年もお預けなのかとフィリップはがっかりした。
見た目にがっかりしているフィリップを見て、陽子さんはかわいそうにと思う。
--王子様だから、気軽にお忍びには行けないわよね。何かあれば大変だし警備とかも大変だろうし…メーアブルグに誘うのは簡単だけど、アルヘルム様の許可が無いと勝手には連れ出せないわよね。
「ねぇ、レナード。村の中ならいいかしら?」
「村の中でございますか?」
「そう…お忍びごっこよ。村の中なら安全だし。屋台はないけどお店も食堂もあるわ」
フィリップは、アデライーデの言い出した事に驚いてレナードを見た。
こほんと咳払いをしてレナードは「……よろしいのでは」と小さく言った。
「え!」
「本当に?ありがとう、レナード!」
離宮は24時間厳重に警備兵に守られている。村人も元宮中勤めの文官やその家族たちだし、村の中は非番の兵士たちもごろごろいる。
不審者が入り込むのもフィリップ達が抜け出すことも難しい。目がしっかり届く場所ならよかろうとレナードは考えたのだ。
「ね、子供達の服が着られるかしら?少し小さいかしら」
「どうでございましょう。ブレンダに聞いて参りましょう」
レナードがブレンダに着替えがあるかと尋ねる為に部屋を出ていった。