150 スプリッツァーとアルトの報告
レナードは冷たいグラスに白ワインと炭酸水を同量で割ったスプリッツァーを二人の前に置いた。シュワシュワとした音が小さく聞こえる。
「レナード、これは?」
「スプリッツァーと申します。白ワインを炭酸水で割ったものでアルトに作らせアデライーデ様が名付けられました。お好みで甘みを添えられますがどうされますか?」
「そのままで…」
「あぁ、俺もだ」
輪切りのレモンが見た目にも涼やかなスプリッツァーを2人は口にする。軽い口当たりは夏の暑い日に良く合う。
「彼女は酒のレシピも持っているのか?」
「そのようでございますな。すでに十数種類ございます。アルヘルム様、いくつかよろしいでしょうか?」
「なんだ」
すでに空にしたグラスをレナードに渡すと、2杯目を作りアルヘルムの前にグラスを置いてレナードがにこりと笑う。
「アデライーデ様は、お年の割にはお酒がお好きなようですな。まぁ、飲み過ぎと言うほどでもございませんが、あの年から愛飲されるのは少々心配になる事がございます」
「強い酒を飲んでいるのか?」
「いえ、ワインや炭酸割です。帝国ではご婦人もお飲みになるとマリア殿にお聞きしましたが…」
「それなら、しばらく様子を見てくれ。他に心配な事は?」
「貴婦人らしからぬ事をされるのが、アデライーデ様ですので…」
「まぁ、そうだな。気をつけてやってくれ」
タクシスは、くっくと笑いながらレナードの話を聞いていた。バルクでもワインは食事にも出されるが寝酒を飲む令嬢はいない。
レナードの中でアデライーデは呑兵衛の烙印を押されているらしいと2人は笑っていた。
「他には?」
「帝国より以前にいらした絵師の方をお招きでございます」
「肖像画家の?」
「いえ、女性の挿絵画家の方の方です。予定ではもうしばらくしたらこちらにいらっしゃるとの事で、村の宿屋をご予約されていました」
「挿絵…何か本でもつくるのか?」
「そろばんの指南書の挿絵とレシピの挿絵と、あとはよくわかりませんが、薄い本がどうのと…」
「薄い本?」
「ホールに置いてあります。お持ちしましょう」
レナードがホールに置いてあったスケッチブックを持ってきて、アルヘルムに手渡した。
「……凄いな。あの場には私とアデライーデ以外はいなかったはずだが…」
「見せてみろ」
「あ、おい!」
タクシスは、スケッチブックを呆然と見ているアルヘルムからスケッチブックをひったくるように取るとページをめくった。
そこには、アルヘルムとアデライーデとの出会いのシーンから、アデライーデがアルヘルムの手を取り二人で見つめあっているシーン、馬に乗ってメーアブルクに出かけるシーン、花畑の二人だけのシーンまであった。
「その挿絵画家は聞き取りのみで、そのような絵を描くそうで帝国ではご婦人方に人気のようでございます。ご結婚や成人の時に家族の記念に依頼されるのだとの事です」
「聞き取りだけで、これほどのものを…確かに人気になるだろうな」
タクシスも奥方のメラニアにこのスケッチブックを見せればなんとしても連れてこいと言われると確信した。
バルクでも政略結婚が当たり前だが、タクシスとメラニアも側室や愛人を持たないおしどり夫婦として知られている。
こんな画家がいると知ればメラニアは、山ほどある二人だけの思い出をきっちり念入りに話し描かせスケッチブックができれば、きっと自慢げに周りに見せるはずだ。恥ずかしくて危険すぎる。
「この画家がこのような絵を描く事は、誰にも漏れないようにしてくれ」
「そうだな…」
男2人は、暗黙で同意した。二人だけの思い出は二人だけが知っていればいい。女より男の方がそういう事には繊細なのだ。
「あとは、アルトがご報告があるとの事です」
レナードは、アルヘルムとタクシスの動揺に気が付かないようにしてさり気なく次の報告をする。
レナードに呼ばれたアルトが、緊張気味に部屋に入ってきて挨拶をしすぐにアデライーデから教わったホケミ粉の話を詳しくし始めた。
ケーキでもクッキーでも普通は小麦粉や膨らまし粉等をきっちり計って作る。
だから、秤がちゃんとある貴族の厨房や菓子店では、レシピをもとに毎回ちゃんと計り同じ品質の菓子が作れる。庶民の家は秤がなく目分量で計るのでまちまちな結果になるのだ。
しかし、最初から小麦粉と膨らまし粉が入っているホケミ粉なら手軽にみんなが作れるわとアデライーデに言われた。
「つまり、ホケミ粉として売ればレシピはわからないと言う事か」
「ホケミ粉で何が作れるんだ」
「離宮で食べたフィリップが作らせて、今カールやブランシュが気に入っているケーキだよ」
「あぁ、あのふわふわとしたケーキか」
フィリップもそうだが、まだ小さいブランシュはホットケーキがいたくお気に入りで毎日のようにおやつに食べているらしい。
「ケーキだけでなく、昼にお召し上がりになったソーセージドッグやドーナツの専用レシピを作りました。アデライーデ様がおっしゃるにはクッキーやビスケットにも流用できるとの事です」
「アルト、中に入っている小麦や膨らまし粉の分量はホケミ粉からわかるのか?」
「いえ、混ぜてしまえば料理人や菓子職人にもわかりません」
「アリシア商会で売り出せるな」
「そうだな…」
「あともう1つ、ご報告が。アデライーデ様が大豆からできたオショウユと言うものがないかと聞かれ、豆からではなく魚から作られた似たようなものに魚醤があると言うとメーアブルグまで行かれて手に入れられました」
「今日食べた唐揚げの1つに使っていた調味料か。私も今日まで知らなかったよ」
「いかがでしたでしょうか」
「美味しかったな。あとを引く味だった、また食べたいと思うよ」
「あれはメーアブルグの近くの漁村で作られているもので、塩とイワシのみで作るものです。イワシはよく網にかかる魚ですが痛みが早く安くしか売れないので、獲っても海に戻してしまう漁師もいます。そして魚醤自体癖のある匂いがしますので食べている者も限られ余り知られていません。しかし唐揚げに使うと匂いがとれ旨味が残り魚が苦手なマリア殿でも美味しく召し上がれる程です」
「つまり、それも売れるだろうと」
「はい。厨房では兵士たちの賄いに出せば、とんかつと人気を二分するだろうと話しています」
「そうか…調べさせよう。アルトご苦労だったな」
「もったいないお言葉です。……そう言えばもう1つよろしいでしょうか」
「なんだ」
「アデライーデ様が、またマデルを呼ぶようにと先程おっしゃってました」
「そうか…ありがとうご苦労だったな」
アルトが礼をして執務室を出ていくと、タクシスは投げ出していた上着から手帳を取り出し、何かを勢いよく書き始めていた。