15 夜中の茶会
「ローズかい?」
アデライーデやマリアがベッドに入った頃、アデライーデの離宮の厨房に入ってきたローズに、厨房の年かさの老女…イリーヌが声をかけた。
「どうでした?」ローズは入ってくるなりそう尋ねる。
「あまい子だねぇ」そうイリーヌは言う。
「そうさなぁ、甘すぎて紐もつけられない。まぁついてもないようだしな」
目の悪いジャックがお茶をすすりながら言う。
「真っ当に王宮勤めを始めた貧乏貴族のお嬢さんらしいのぅ。珍しく躾はしっかりされているし腹も白そうじゃ」
足の悪いハインツは動かない足をソファでさすりながら言う。
「侍女としてはまぁまぁだよ。でもありゃ閨房術どころか男も知らないんじゃないかねぇ」
ソフィアはワインを木のコップに注ぎながら言った。
「運動神経はさっぱりだぞ?暗器の扱いどころか見た事もなさそうだ。包丁捌きは良かったがな」
片腕のないアレンがパイプを咥えながら言う。
老人たちは、それぞれにマリアの批評を口にした。
彼らは影たちの教官だ。
影たちの寿命は短い。その殆どが任務の途中で命を落とす。
老人と言われる年まで生き延びられるのは、それだけ用心深く手練なのだ。
手足や色香を失い現役を続けられなくなった彼らは貴重な経験と知識で新人教育にあたる。浮浪児だったローズが上司に拾われ影として育てられ、ここで彼らにいろはを叩き込まれた。
そんなローズだから、彼らの批評にマリアの事を気にいったのをみてとった。
「合格だよ。アデライーデ様に害はなさそうだからね」
イリーヌがにやりと笑ってローズにお茶を渡す。
「あの娘の異動は3日後じゃ。今王宮のアデライーデ様の部屋の『点検』をさせてるからな」
ジャックがそう言うと、お茶のおかわりをイリーヌに頼んだ。
「相変わらず仕事が早いんですね」
「当たり前じゃ、昔とった杵柄だからな… それに暫くとはいえ、儂らの姫様が魑魅魍魎が棲む王宮で暮らすのだからな」
苦々しそうにジャックはお茶を受け取りながら言う。
ベアトリーチェが亡くなってもアデライーデ一人でこの離宮で静かに暮らすはずであった。
ベアトリーチェの想い出のある離宮を離れなければいけなくなったのは、あの第6皇女にバルク国王への輿入れの話が持ち上がったからだった。
第5皇女まではすでに近隣の大国や国内の有力貴族に嫁ぎ、順番から言えば次は未婚の第6皇女の番だった。
しかしその話を内々に受けた第6皇女が、他の皇女は有力貴族や大国に嫁いでいるのに、どうして自分はそんな辺境の小国に嫁がなければならないのか。輿入れは嫌だとの言いごね出したのだ。
皇女の務めだと周りが説得したが、どうしても嫁げと言うなら修道院に入ると母親の実家のダランベール侯爵に泣きついた。
ダランベール侯爵家にとって第6皇女はかわいい孫であるが、侯爵家の繁栄の為の大事な手駒。
国内の有力貴族への降嫁であれば派閥の強化。大国に嫁げばその国との有力なパイプができるが辺境の小国に嫁がれてもなんの役にも立たない。
なんとしても阻止しなければとなっていた時に、ベアトリーチェの訃報が入ったのだ。ダランベール侯爵は天の采配とばかりにほくそ笑んだ。
後ろ盾のない忘れられた皇女1人侯爵家の力でどうとでもなる。
帝国の為、侯爵家の為に役に立ってもらおう。
そう呟くとダランベール侯爵は、万が一でも逃げられないようにアデライーデを王宮に引き取るように根回しを始め、アデライーデは王宮の要人用の客室に引き取られることが決まったのだ。
「儂らは王宮にはついて行けんからの。自分たちができることをするまでだ」
アレンは、パイプを燻らせながら目を閉じる。
自分たちは影である。
元は野良犬のように石を投げられ、薄汚れて道端で死んでいるはずだったのが拾われて影となった。影となってからは命じられれば躊躇なくいくつもの命を奪いもした。
人並みの幸せなど望むべくもなくまともに死ぬことも無い。自分たちは人ではなく影なのだからと思っていたが、なんの因果かこの年まで生き延びた。
任務は果たしたが、腕を失った自分はとうとう年貢の納め時が来たかと覚悟を決めていた。仕事ができない影は始末されるのが習いだった。せめて楽に死にたいと思っていたら、今の上司はお前たちには金をかけているんだ元を取るまで勝手に死ぬな。せめて元を取るまで働けと不具者になった自分を新人教官としてここに送り込んだ。
まだ死なせてはもらえないらしい。
そんな思いでこの離宮に来たが、ベアトリーチェに会って驚いた。
決して恵まれた妃ではない。寧ろ他の妃に妬みやそねみを持っていてもおかしくない様な境遇なのに使用人たちにも心を砕き、穏やかに日々を過ごす貴族などはじめて見たのだった。
新人教育には手を抜かなかったが、人として初めて扱われる穏やかな日々に長生きはしてみるもんだと思っていたらベアトリーチェはアデライーデや年寄りの自分たちを残して逝ってしまった。
母親が突然亡くなって誰より悲しんでいるはずのアデライーデは、葬儀のあとみんなを慰めていた。そんな母親にそっくりなアデライーデを、老人たちは不敬だが孫のように大切に思っている。
「アレンの言うとおりさね。あたし達はあたし達にできる事しかできないからね」
ソフィアがそう言いローズの手をとった。
「あんたの選んだ子だ。間違いないさ」