149 計画とお好み
「マリア、ご苦労だったな」
「ありがとうございます。それでは、失礼いたします」
そう言ってマリアはアルヘルムに礼をとり、書斎の扉が静かに閉まると、書斎がしんと静まり返った。
書斎の机の上に両肘を立て両手を口元で組んで、ジッと1点を見つめるアルヘルムの額にじわりと汗が滲む。
どのくらいの時が流れただろう。
静寂とも言える空気に、アルヘルムの吐息が混じった。
「で、どうするんだ?」
「……。手に入れる」
「そう言うと思ったよ」
やれやれと言った感じで、タクシスが上着を脱いでソファの背にかけ微動だにしないアルヘルムを見やった。
アルヘルムは、先程マリアからアデライーデの宝石の好みを聞いたのだ。マリアは少し遠慮がちに目を伏せ報告をした。
「どの宝石もお好きだそうです。特にお好きなのは真珠だとおっしゃいました」
「真珠…」
「はい、帝国で宰相のグランドール様のお名前で贈られておりましたが、多分陛下達からの贈り物と思われます真珠のネックレスとイヤリングがございました。思い入れのあるようなご様子でした」
「そ…、うか」
「欲しい物はございますかとお聞きしましたら、ガラスでできた透明で薄い弾くときれいな音のするワイングラスが欲しいともおっしゃっていました」
「きれいな音のするワイングラス…」
「はい、指で弾くとキンっと音がするそうです」
「……」
「無ければ銀のワイングラスが欲しいと…」
「そうか…」
「アデライーデ様は、陛下より贈られたお花をとても喜んでおられました。寝室に飾られ最後は湯船に浮かべられるほどでしたわ」
「うむ…」
「アデライーデ様は、陛下がお忙しいと聞けば体調を気遣われ、メーアブルグへと自ら足をお運びになり陛下がお喜びなれば良いと、レシピも今回沢山お試しになっておられました」
「そうだな。今回とても多かった」
「少し…」
「……少し?」
「……アルヘルム様のお出でが延びたのが、少しお寂しそうでございました」
「そうか…」
「はい」
「マリア、ご苦労だったな」
「ありがとうございます。それでは、失礼いたします」
「で、どうするんだ?」
「……。手に入れる」
「そう言うと思ったよ」
「港を整備する…」
「港を整備って…真珠を手に入れるって話じゃないのか?」
タクシスが呆れたように、アルヘルムを見つめていた。
陽子さんは知らないが、この世界で真珠は別の大陸からの輸入ものなのだ。ルビーやエメラルドはこの大陸でも産出される宝石だが、真珠は西の大国が南にある別の大陸から輸入を一手に取り仕切っている超高級品である。
真珠が好きだと聞いた時、2人は言葉を失ったくらいである。海のあるバルクでも、真珠の話を聞き採れないかと探させた事があるが1粒も見つからなかった。
その南の大陸にバルクは1番近いのだが、地の利が悪い。水深が浅いメーアブルグは大型の船が寄港できないのだ。今も大型船は沖合に停泊し水や食料をメーアブルグで仕入れ、その合間に一部の船員がメーアブルグの歓楽街で束の間の休暇を楽しむくらいである。
船がバルクを素通りしていた当時、先王がメーアブルグを整備し荷運び用の中型船を造船させてから、大型船が定期的に沖合に寄港するようになった。
「整備ったって、船はメーアブルグに寄港できないんだぞ」
「沖合のあの島なら停泊できる」
「あの島か」
メーアブルグの沖合2キロ程のところに、ぽつんと1つの無人島がある。その島の周辺は水深が深く大型船はその島の辺りに停泊しているのだ。
以前から、あの島に灯台をつけて港を造ってもらえないかと打診はされていたが、財政が苦しいバルクにその余力は無かった。先王はその代わりに小さな漁村だったメーアブルグを整備し灯台を建て港町にしたのだ。
「今なら整備費はなんとかなる」
「確かに今年は炭酸水の売上があるからな。でも来年からも同じだけ売り上げるとは限らないぞ。整備には数年莫大な金がかかる。どう捻出するんだ」
「ガラスを研究させようと思うんだ」
「きれいな音のするガラスか?」
「それもあるな…。小瓶を作った工房は、色ガラスを開発していたろう?あそこに資金を入れて依頼しようと思う」
「宝飾品としてか…確かに色はきれいだったが、宝飾品として使える程では無かったぞ」
「だからこそ、研究させるんだよ。宝飾職人達も一緒にな」
以前アデライーデが口にした宝飾品として使えるガラスの話が気になって、王都に戻るとすぐに工房長を呼び出した。彼が持ってきた見本のガラスは瓶としてはきれいだったが輝きが足りない…研究の余地はかなりあるガラスだった。
今のアルヘルムにもイヤリングや指輪を作らせるのなら真珠は買える。しかし、それだけだ。アデライーデに今後も贈りたい。それには潤沢な資金が必要になってくる。
今までは資金がなく出来なかったが幸い税収が上がってきているので、先代からの悲願であった南の大陸と交易ができる港を持てるかもしれない。
--どうしてこうアデライーデ様が絡むと話が大きくなるのだ…。
お好きな宝石を贈る…それだけの話だったはずが国の在り方すら変えそうな勢いの話になるとはと、タクシスは呆れていた。
--それだけ惚れているのか?いや…それだけじゃないな。新しいものを次々に生みだすアデライーデ様自体に夢中になっている感じがする。
通り過ぎる船を悔しそうに見ていた先王をタクシスも知っている。息子であるアルヘルムは自分以上に先王の気持ちがわかっていたはずだ。交易さえできれば国と民を豊かにできるとわかっていてもそれは叶わなかった。
--その機会を安安と作るのだから、アルヘルムが夢中になるのは当たり前か…。
タクシスは、ソファに深く座り直しレナードに何か飲み物を持ってきてもらうように呼び鈴を鳴らした。