142 マッシュポテトと研究室
「アデライーデ様、陛下からのお手紙です」
レナードが久しぶりに来たアルヘルムからの手紙を、銀のトレイに載せて差し出してきた。
いつものように、華奢な女持ちのペーパーナイフで封を切ると丁寧な文字でしばらく手紙を書けなかった詫びと、落ち着き次第離宮に行くので待ってて欲しい。離宮でゆっくりと過ごしたいと認められていた。
「アルヘルム様はお忙しいのね」
「そのようでございますな。社交の時期でございますし国外からのお客様もお出でのようでございます」
「そう…」
--マリアも言っていたけど、この時期は本当にお忙しいのね。無理されなくてもいいのに。
アルヘルムに会えるのは確かに楽しみだが、離宮に来る時間を作る為にオーバーワークにならないかと、ちょっと心配になる。
手紙を丁寧に畳むといつもの引き出しに仕舞うようにマリアに渡すと、アデライーデは先日やっと完成した研究室という名の自分のキッチンに向かった。
厨房の隣に作ってもらったキッチンの扉を開けると、12畳ほどの広さの掃除の行き届いたキッチンがアデライーデを迎えてくれた。
キッチンは壁に白いタイルが貼られ、明かり取りの大きな窓から入る光で室内は明るい。床は石畳だが貼られた石も白くピカピカに磨かれている。
小型のフライヤーに竈と流し。アイランド式の調理台と壁には作り付けの棚の1つには調理器具、もう1つの棚には調味料と乾燥ハーブの入っている壺が並んでいた。
陽子さんちのキッチンと違うのは、冷蔵庫や電子レンジが無い代わりに大きな水瓶が流しの横に置かれている。冷蔵庫代わりの氷室は厨房の地下にあるのだ。
調理台の上のエプロンを手に取り、女将さんに約束している新しいレシピの為に厨房に通じる扉を開けると、丁度アルト達の朝食が終わった時間のようで余った賄いを片付けているところだった。
「おはよう、アルト。届いてる?」
「おはようございます、アデライーデ様。お言いつけの魚が届いておりますよ」
「良かったわ」
アルトが地下の貯蔵庫から木箱を取ってきてアデライーデに見せると、中には今朝捕れたばかりの魚…。鯵が10匹入っていた。
メーアブルグでよく捕れる魚は何かと聞けばスズキや舌平目、鯵や鯖、鰯らしい。王宮では鯖や鰯は殆どテーブルに上ることはないが、庶民はよく食べるという。
--そう言えば、メーアブルグに行った時に焼き魚の屋台があったわね。
メーアブルグにも気がつけば、あれから行ってない。
--メーアブルグでサンドイッチや串焼きを買った記憶はあるけど、アベルたちと出会ったバタバタで何を食べたか忘れちゃったわね。今度行かなくちゃ。
そんな事を思いながらピカピカの鯵をザルに取ってキッチンに持っていこうとした時に、大きなボールに入ったマッシュポテトを見つけたアデライーデがアルトに尋ねた。
「ねぇ、アルト。マッシュポテト余ってるの?」
「はい、最近はフライドポテトが人気でマッシュポテトが少し余り気味なんです」
「そう…」
「でも、1度はポタージュやポテトサラダやグラタンなんかに作り変えます」
ポタージュはともかく、夏にグラタンは流石にどうかだろうと思ったが、それでも出せば食べる者はいるらしい。
ちなみに離宮で出る野菜くずは離宮の領地の端っこの畑や庭園の堆肥になり、残飯は村の養豚農家に払い下げられると言う。離宮の村の中でリサイクルがちゃんと出来ているようだ。
「少しもらってもいいかしら?あとベーコンと卵も」
「もちろんですとも。何かお作りですか?」
アルトはアデライーデが何を作るのか興味津々という顔で聞いてきた。
「余っているならコロッケでも作ろうかと思ってるの」
「コロッケ?」
「潰したじゃが芋を揚げたお料理よ。後で試食してね」
そう言うとアルトに食材をキッチンに運んでもらい調理台の上に置くと、マリアにレシピを言うから書いてもらうようにお願いをした。
「私はお手伝いをしなくてよろしいのでしょうか」
「大丈夫よ。作り方を言うからレシピをメモしてもらえる?お料理しながらメモは取れないから」
そう言ってアデライーデは戸棚から小麦粉とパン粉を取り出し、フライヤーに油を入れて温めた。
「じゃ、始めましょうか」