130 デルマとラベル張り
ビューローがレナードに人手がほしいと頼み込んで数日後、メーアブルグから1台の荷馬車がビューローのところにやってきた。
荷台からぞろぞろと降りてきたのは、10代半ばの少年少女達だ。その顔はみな緊張で強張っていた。
最後に荷台から降りてきたのは孤児院の院長のクリシェンだ。質素な黒色の司祭服に白い髪と長い髭を持ち深く刻まれた皺から見てかなりの高齢のようだが杖に頼ることなく矍鑠としている。
孤児たちは12才まで孤児院に居られるがすぐに職が決まる者は少ない。
仕事が見つかるまで3年間は独立を猶予されるが、日雇いの仕事は不定期で独立資金は思うように貯まらない。だがもうすぐ15才になる自分達は、孤児院を出ていかねばならない日が近いのだ。
そんな時にメーアブルグの代官から仕事の話が来た。水の瓶詰めの仕事の話で最初は日雇いだが、仕事が上手くいけば住み込みで雇ってもらえるかもしれないと、院長から話を聞いていて皆飛び上がらんばかりに喜んだ。
住み込みの仕事は保証人が居ないと就く事は難しい。孤児院は慈善を施す場所で孤児たちの保証人にはなれない。みんな住み込みで雇ってもらえるかもしれない千載一遇のチャンスに、並々ならぬ決意でここに来ているのだ。
「ビューロー殿でございますか?初めまして、私はメーアブルグの孤児院の院長のクリシェンと申します」
馬車が止まった家から大柄な老人と年配の女性が出てくると、クリシェン院長が今回の雇い主と思われる老人に挨拶をした。
「おお、クリシェン院長ですか。初めまして私はハンス・ビューロー。この泉の管理人です。そしてこちらは瓶詰め職人のデルマ殿です」
白髪交じりの髪をきっちり結わえた背の高いデルマは、紹介されると「デルマと申します」と小さな声で言葉少なに挨拶をした。
「この度は孤児たちに仕事の機会をいただき誠にありがとうございます」
「いや、こちらも急な依頼を受けて下さり助かります。それに孤児院に依頼をするようにお決めになったのは正妃様で私ではありません」
「正妃様が?それはなんと慈悲深い…」
クリシェン院長はこの依頼の本当の主を初めて知って驚いた。先日も孤児院に多額の寄付をしてもらいお礼の手紙を書いたばかりなのだ。
挨拶もそこそこに、ビューローは院長達を瓶詰め場に案内をした。それまで一人でやっていた瓶詰め場はデルマが来て大人数でも仕事がしやすいように整えられていた。
新しい作業机と椅子。それに大型の瓶の煮沸道具やコルク栓機も先日入ったばかりだ。
ビューローは院長と今後の話をするからと子供たちへの仕事の説明はデルマに任せレナードに挨拶をするべく二人で離宮に歩いて向かった。
道すがら、ビューローはクリシェン院長に瓶詰めされた炭酸水が帝国に出荷されると言う話をした。これから帝国への定期的な出荷となれば数人雇いたい事と、もし帝国への出荷がそれほど無くとも、自分の助手に住み込みで一人は確実に雇いたいと話した。
「ありがたい事でございます」
「それと院長。この話はまだ他言無用に願います」
「もちろんでございますとも。皆にも守らせましょう」
「そうしてくれると助かります」
離宮に着き、レナードに目通りを願うと正式な依頼書を渡された。レナードは素行や性格に問題がなければ村の宿屋の下働きや道路の整備の仕事もあると話すと、クリシェン院長は涙を浮かべて感謝の言葉を口にした。それほど孤児達の就職は厳しいのだ。
「感謝される程でもございません。たまたま依頼している村人が、年をとって仕事を辞したいと言ってきた迄です。正式に雇えるかどうかは彼らの働き次第ですから…」
クリシェン院長はヴェルフ代官から、人選には重々気をつけよと釘を刺されていた。正妃様の村で仕事をする以上、不祥事が起これば次はないからだ。
「彼らはきっとご期待にそう働きをしてくれると思います」
クリシェン院長はそう答え、涙を拭ってレナードを見返した。
育てた孤児たちに誇りを持っている。機会さえあれば真っ当な仕事に就け正しく人生を歩めると信じているからだ。
「是非、正妃様に感謝の奏上を致したく思います。お目通りは叶いますでしょうか」
「しばし、お待ちを」
そう言って、レナードがアデライーデに目通りの伺いをたてに行きしばらくして戻ってきた。
「アデライーデ様がお会いになるそうです。外にいらっしゃいますのでご案内しましょう」
離宮を出て庭園を抜け、しばらく歩くと真新しい建物に着いた。隣の広場で子供たちが声を上げて遊んでいるのをクリシェン院長は目を見開いて見ていた。
--ここは?
「みんなー!お客様よ。手を洗ってご挨拶しますよー」
声の主を見れば、質素なワンピースを着ているが夏の陽に輝く黄金の髪の少女がいた。
--あのお方が正妃様であろうか。姿絵と同じ金の髪だが…
町娘のような姿をした貴族女性を見たことが無かったクリシェン院長の脇をレナードが早足で離れていく。
「アデライーデ様、淑女は大声を出したりしません」
「はぁい…」
「返事は短く…でございますよ」
「はい…」
レナードに何か言われたのか、しゅんとした顔を一瞬したが、すぐに笑顔になってこちらに向かってきた。
クリシェン院長は正式な挨拶をし、孤児たちに仕事の機会を与えて下さった感謝を伝えると正妃様は「できる事をしたまでです。少しでもお役に立てば嬉しいですわ」と恥ずかしそうにお応えになった。
手を洗って戻って来た子供たちがクリシェン院長の前に並ぶと、アデルから1人ずつ挨拶を始めた。最近リトルスクールで教わった王宮でも通じる挨拶だ。アンジーはスカートを持ってちょこんと膝を曲げて子供用のカーテシィをした。
「なんとお行儀の良い。この子達は将来の従僕か女官でしょうか」
「いえ、離宮の孤児院の子供たちです。将来は子供たちがなりたいものになれれば良いと思っていますわ」
正妃専用の使用人の養成所かと思っていたクリシェン院長は、アデライーデの言葉に驚いた。バルクでは貴族が直接孤児院を持つことはないからだ。
「良ければ、昼食をご一緒にしませんか?」
「ありがとうございます。しかし連れてきた子供たちがおりますゆえ…」
「クリシェン院長、彼らには村の食堂で昼食を取るようにデルマ殿に伝えております」
「なんと…」
「賄い付きの仕事ですので…。うちではろくな物が出せないので賄いは食堂に依頼をしております。今頃はきっとデルマ殿に連れられて食事を取っているはずです」
ビューローの言葉に今日は見学だけのつもりで来たクリシェン院長は、アデライーデとビューローに丁寧に感謝すると、子供たちと一緒に食事を共にした。
驚いた事に正妃であるアデライーデも、子供たちと同じテーブルに付き食事をしている。
王族が庶民、それも孤児たちと共にテーブルを囲む等見たことがない。この世界では食事は同格の者同士がするのが常識なのだ。
レナードも最初は反対していたのだが、アデライーデの根気強い説得に「離宮の孤児院限定。外では絶対にしない」と目を瞑っている。
クリシェン院長も帰りしなに、「離宮で見た事は口外無用」とレナードに念を押され頷いた。
食後に孤児院を案内されている時に、クリシェン院長はアデライーデに声をかけられた。
「クリシェン院長、もしメーアブルグの孤児院で引き受けられない子どもが出たら、こちらに相談してくださいね」
「お言葉感謝致します。しかし願ってもないお申し出でございますが…よろしいのでしょうか」
教会への寄付もだが、孤児たちの就職の機会ももらった。更に溢れる子供たちを引き取ってくださるとは…
「もちろんよ。この孤児院にはまだ空きがあるし、それにあの子達はメーアブルグの路上で暮していた子たちなのよ」
「感謝申し上げます。なんと慈悲深きお方なのでしょうか。女神の様な正妃様を戴けるとは…」
「お辞めください。恥ずかしいので…それ以上は言わないで…」
アデライーデは真っ赤になって、クリシェン院長を止めた。
クリシェン院長がビューローと共に暇の挨拶をし瓶詰め場に戻ると、村内に卸している透明な瓶を練習台にラベル張りを黙々と練習していた。
慣れぬ作業に、何枚も剥がされたラベルがゴミ箱に溜まっていた。結局どの子もすべてのラベルを剥がされその日の作業が終わると、作業場を掃除して荷馬車に暗い顔をして乗り込んだ。
「デルマ殿、どうであった?」
ビューローが作業机を拭いていたデルマに今日の作業について聞くとデルマは少し笑ってどの子も良いと答えた。
「しかし、1枚もちゃんと貼れていなかったようだが」
「ラベル張りは慣れるまで時間がかかります。初日ですのであんなものだと思います。しばらくは練習用のラベルを貼らせ煮沸作業や瓶詰め作業をしてもらおうと思います。ところで出荷用の木箱の発注はお済みですか?」
「ややっ!すっかり忘れておった」
「それでは、私の方で知り合いの木箱工房に依頼をしてもよろしいのでしょうか」
「すまん、頼むよ。支払いはアリシア商会の名前で頼む」
「承知しました」
そう言うとデルマはバケツを持って、外の洗い場に向かっていった。
「ビューロー殿、それではあの子達は…」
「明日から、全員お願いしたい。デルマ殿がみな良いと言っておったからな」
「ありがたい事です。ビューロー殿」
クリシェン院長がビューローに礼を言い、荷馬車に戻ると荷馬車の中の雰囲気はどんよりと暗かった。
全員すべてのラベルを剥がされたので、雇ってはもらえないと涙ぐんでる子もいた。クリシェン院長はビューローの言葉を伝え、明日から仕事に励みなさいと1人1人抱きしめて励ました。
帰りの荷馬車は、最初のどんよりとした雰囲気は吹き飛び、今日の賄いのおいしさの話でたいそう盛り上がったという。