13 マリアとローズ
今日もアデライーデ様は王宮大書庫に通い、大書庫長のグリフォン様からお借りした紀行本と貸し出しをした東方領地配置図をお部屋へお持ち帰りになった。
帰り際、アデライーデ様はあまりに自然に本を手にとってお帰りになろうとするので慌ててしまった。
笑顔で「いいのよ」と言われても侍女としてそういうわけにはいかない。
結局は騎士様の「どうぞ、私にアデライーデ様のお手伝いをさせてください」という言葉で本は騎士様が運んでくださることとなってホッとしたわ。
お部屋の前でもアデライーデ様は騎士様に微笑みながら運んでくれたお礼を言われていたわ。他のご姉妹の皇女様は当たり前って感じでお礼を言うところなんて見たことないのに。
侍女の私が何かする度に感謝されるし労られる。
アデライーデ様は、本当にお優しい。
マリアは、以前のわがままなぶりっ子第6皇女様のところから移動を願って心底良かったと思った。
マリアは、今年21才。
王宮に勤めて5年目の貧乏子爵の長女だ。下は4人も弟妹がいる。
大抵の下級貴族の娘は行儀見習いで数年王宮勤めをして、同じような下級貴族か、もしくは裕福な商人に嫁ぐことが多い。
痩せた狭い領地の名ばかり貴族のマリアの実家は、領地からだけの収益では貴族としての体面を維持できず、小さな商会を運営している。
それでも苦しい家計に弟たちの高等学院の授業料の足しになればと、マリアは成人後王宮に勤めだした。
あわよくば王宮出入りの御用達商人と縁を繋げればという両親の期待も背負っての王宮勤めであったが、残念ながらそれは無理そうだ。
皇女様付きで出会える商人は既婚高齢者のみである。
初年は王宮の事など訳もわからず枕を濡らすことも多かったが、1、2年…長くて3年で寿退社するこの職場で、勤めて5年目となればかなりのベテランである。
現皇帝のオシメを替えたというこの道何十年の大先輩方もいらっしゃるが、流石にそこまでは…望んでいない。
適齢期もやや過ぎ、無理に嫁がずともこのままこの王宮でずっと過ごしてもいいかなと思っている。
アデライーデ様付きなら。
どの職場の主も外面はいいが侍女たちだけになると、途端にその外面をあっさりかなぐり捨てる。
誰それより見劣りのするドレスは嫌だとか、ヘアスタイルが気に入らないだとか、お茶会で周りの令嬢が自分を立ててくれないだとか、マリアにとってはどうでもいいとるに足らない理由で主たちは、ヒステリーを起こし侍女達に当たり散らす。
侍女たちは日々振り回されていた。
特に前職場の第6皇女様の時は、本当に酷かった。
気に入らない侍女やメイドはイビリ抜く。
口だけでなく手も出すのだ。
熱いお茶が入れられたティーカップごと投げつけられて火傷したメイドもいた。
1年は我慢したがもう限界!こんな職場辞めてやる!となっていた時に新人時代から面倒を見てくれた仲の良い先輩から久しぶりにご飯を食べようと声がかかった。
先輩のローズはマリアが新人の時の同僚だ。
同僚と言っても5つ年上のローズは、仕事にも王宮の慣習や人間関係にも慣れないマリアに手を差し伸べて色々教えてくれたり励ましてくれたりしたのだ。
長女で母親代わりに弟妹を甘やかす事はあっても、甘えることができなかったマリアは、すぐにローズを姉のように慕って仲良くなった。
その後お互い職場は変わっても、暇を見つけてローズとお茶を飲んだり呼ばれればローズの部屋に遊びに行っていた。侍女やメイドは6人部屋が基本の寮だかローズは仕事ができるので鍵付きの小さい個室をもらっていた。
朝から晩まで他人と一緒の生活は気が抜けない。娯楽はおしゃべりと厨房から時々もらうお菓子くらいしか楽しみはない。そのおしゃべりも侍女同士の派閥のせいで滅多なことは言えないのだがローズならば他では言えない愚痴も聞いてもらえた。
公休日前夜、厨房から黒パンとハムの塊とお菓子をもらいローズの部屋を訪ねて愚痴を聞いてもらっていたら、噂より酷いわねぇと慰められその気があるならアデライーデの所に変わらないかと誘われた。
「忘れられた皇女様の?」
「そうよ」
ローズが言うには、つい最近お母様のベアトリーチェ様が若くして亡くなられて一人になったアデライーデだけ離宮で暮らすわけにはいかなくなり王宮に引き取られる事になったのだが、今まで仕えていた使用人も高齢でこれを機に退職するらしい。
なので新しい侍女を内々で探しているらしいのだ。
お給料も今のところとあまり変わらないが当面アデライーデに仕えるのは1人だけになるので、身の回りの事は全て担当になる。
業務は増えるが1人なら気が楽だし何より職場環境は良いのよと笑ってローズはハムを頬張った。
「え〜。じゃローズが勤めればいいのに」
「私もいいなと思うんだけど、上司にお前はあちこち行って足らない人手を賄えって言われているのよね」
ローズはマリアが知っているだけで殆どの皇女や側室の所に行っている。
お掃除から給仕、ドレスの管理。
侍女として機転がきいてオールマイティに仕事ができるローズは、欠員が出たところにあてがわれたり、側室や皇女の外出要員としてあちこちに仕え固定の主を持たない。
長く王宮に勤めているマリアも忘れられた皇女の噂は聞いていた。
母親の身分が低く、他の皇子皇女より見劣りがして性格も暗いから表に出てこれない。僻みっぽい性格だから年寄しか使用人が居着かない。
それにあんな引きこもりのような主を持ったら良い出会いなんてないじゃないかと王宮の使用人たちは敬遠していた。
侍女やメイドは、仕える主の周りにいる使用人達と結婚することも多い。
主の序列が高ければ、それだけで生活は安泰だ。
社交もしない主を持てば、それだけ縁遠くなる。
そんな職場なんて願い下げよ。
これがマリアが聞いていたアデライーデの噂だ。
王宮内であちこち勤めているローズがその噂を知らないはずはない。
そのローズがいいなと言うのだ。
「ローズは、そこに行ったことあるの?」
マリアはローズが出してきた上司からくすねたと言う赤ワインをちびちび飲みつつ聞いてみた。
「新人の頃にちょっとだけ厨房のお手伝いをしていたわ。アデライーデ様はまだ5つくらいだったかな…よく一緒に遊ぼうとせがまれたわ」
ローズはワインをグラスに注ぐとグラスをくるくると回し始めた。
「そうなんだ…」
マリアはハムの塊をペティナイフで削りつつ考えた。
今の所にいたって、ストレスしか貯まらない。あの主が明日から性格が良くなるなんて天地がひっくり返ったってありえない。
それなら噂はどうであれ、ローズが薦めてくれるのなら悪い職場じゃないはずだ。
削ったハムを黒パンに乗っけて蜂蜜をかけてパクリとかぶりつく。ハムの強い塩味と蜂蜜の甘さが口の中で絶妙に混ざりあう。
美味しいわぁ。
マリアは噛みしめながら思い出す。
そう言えば、ここ最近食事を美味しいって思ったことなかったわ。
賄いとは言え王宮の食事だから不味いはずはない。寧ろ今までの食事より良いものが出ているはずなのに、ここ一年美味しいと思った食事はなかった事を思い出す。
うん!きっと今よりずっと良いはず!
マリアはワインで、ハムと蜂蜜と黒パンを飲み込むとローズに告げた。
「私、そこに行きたい!」
マリアの申し出にローズは優しく微笑えむと、「良かったわ」と言ってマリアのグラスにグランドールの侍従からくすねたワインをたっぷり注いだ。