12 調査報告書
「こちらがアデライーデ様の調査報告書でございます」
侍従が出してきた報告書をグランドールは受け取ると、それに目を通す。
グランドールの部下達には調査、場合によっては実力行使を専門に行う者たちがいる。いわゆる陛下の影と言われる者たちだ。
国内外の動向はもちろんの事、国内特に有力貴族や王妃や妃たち後継者候補の皇子皇女も調査対象である。外戚の権威を強め治世に悪影響を与えそうな動向が無いかをだ。
アデライーデの調査報告書を読み終えると、グランドールは侍従に問いかける。
「本当にこれだけなのか… 以前のものと変わりないが」
「はい、調査の命を受け再度念入りに調査をいたしましたが…その…アデライーデ様でしたので今までお調べした内容以上のものは出てきませんでした。また診察した典医に確認を取りましたが、間違いなくご本人だとの事です。ただ…」
「ただ?」
「お輿入れが決まった時からお輿入れ先のバルク国の事をお調べに王宮大書庫通いをされているのとその…夜眠れなくなっていらっしゃるのかワインを少々飲まれるようになったとの事です」
「ワインを?」
「はい、アデライーデ様のお母君であられるベアトリーチェ様が好んで飲んでいたワインとの事でございます。量も普通の方くらいの量のようですのでご心配はいらないかと思いますが」
「そうか…わかった。ご苦労」
グランドールがそう告げると侍従は退出していった。
侍従が退出したのを確かめるとグランドールは小さなため息を漏らした。
「あれは本当に忘れられた皇女なのだな」
グランドールはもしかしたらアデライーデに入れ替わった別人ではないかと疑っていた。影に調べさせ本人と報告を受けてなお、自身が感じた違和感を拭いされなかった。
アデライーデ以外の王族の調査書は分厚く十数冊に及ぶ場合がある。
面会人や外出の記録。献上品のリスト。場合によれば会話の内容も全て記録される。
流石に皇后はないが、妃たちや年頃の皇子達の中にはこっそりロマンスを楽しもうとする者もいるので自然と報告書は厚くなる。
妃たちは陛下に召されたあと、身籠れば王宮内の部屋から離宮を与えられ里帰りは出産後にしか許されない。死産による取り換えや生まれた女子を男子に取り替えられない為だ。
その離宮で典医や産婆によって見守られながら出産し、陛下の初見を済ませてからの祖父母との対面となる。成長中も入れ替わりを防ぐために宰相配下の典医により、本人も気が付かないような身体の特徴やほくろやあざの有無も記録されている。
ところがアデライーデの場合は、4才の時には祖父母を始め殆どの縁者が名誉の戦死や病気で相次いで亡くなっている。
その為面会人の記録はベアトリーチェの父を最後にこの10年1件もない。そしてアデライーデが生まれた前後から周辺国との戦が相次ぎ陛下のお渡りも極端に減っていた。
何度かあった短い休戦期も、実家の権威を使う熾烈な女の戦いに陛下の妃の中では身分の低い伯爵令嬢で実家という後ろ盾もなくなったベアトリーチェは段々と公の場に出ることもなくなっていった。
ベアトリーチェはどうしても出なければいけない公式行事以外全く姿を現さず、出席した行事でも目立つこともなくその後のパーティや茶会は欠席していた。
ベアトリーチェがそうなのだから、未成年のアデライーデは公式行事にはおろか一度も他の皇子皇女達との交流に招かれたこともない。
利に聡い貴族達は、陛下のお渡りもなく後ろ盾のない妃が産んだ皇女に興味はないのだ。
そしてそれは貴族たちだけでなく、宮中の使用人達も変わらなかった。
仕える主の宮中内の序列で自分達の序列も決まる彼らにとって、ベアトリーチェやアデライーデは仕えるに足らない主であった。そしてパーティや茶会にも出ないベアトリーチェやアデライーデは段々と使用人の口にも登らなくなる。
ただ儀礼のプロトコールに名前だけが第7皇女アデライーデとだけある。その時だけ思い出したかのように噂になるのだ。あの皇女様は今頃どうしているのかと。
アデライーデが忘れられた皇女と呼ばれる由来はここから来ている。
王宮の使用人たちからも忘れられているとはいえ、グランドールの部下達の調査対象から外れるわけではない。外れるわけではないが、人の出入りが全くないベアトリーチェ達に付けられたのは影になったばかりの新人達だった。
数人の使用人で王宮の端の小さな離宮住まい。王宮外からの訪問者もなければ手紙もない、訪れるのはグランドールから派遣されるアデライーデの教師や典医のみとあれば自然と警戒の緊張度は薄れてくる。
図らずもベアトリーチェとアデライーデの離宮は影の者たちの新人教育の場になっていた。四季折々の庭園の草木の植え替え、離宮内の定期な大掃除や修繕の名目で出入りする。
貴族の出入りは全くないが臨時の使用人は他の離宮では考えられないほどの出入りだった。故に影たちの間でアデライーデを知らない者はいない。
そして、宮中の使用人達と違い、影の者たちにはベアトリーチェとアデライーデの人気は絶大であった。
アデライーデ達の離宮で諜報のいろはを学んだ後、各妃たちや皇子皇女の担当についてウンザリするほどの貴族の汚さを見聞きするからだ。豪華なドレスに身を包みきらびやかな宝飾品をつけてするにこやかな会話は他の妃をどう出し抜くかどう蹴落とすか陥れるかと言う腹黒い内容ばかり。上品な口ぶりとは真逆なえげつなさに心が荒む頃に思い出すのは、新人教育で過ごしたアデライーデ達の離宮だった。
研修時代は、正直何もなくてつまらなくて退屈だと思っていた。
ベアトリーチェも穏やかな性格で、使用人達との一線はあるが他のどの妃たちより使用人達を大事に扱っていた。陰で親子で境遇の不満や愚痴でも言っているのかとみな一度は思って監視してみるが誰も聞いたことはなかった。
寧ろベアトリーチェは常日頃アデライーデに、支えてくれるものがいるから王族や貴族はこのような暮らしができるのだと、皇女の貴女はいずれ民の為国の為に結婚をするでしょう。立派に嫁ぐのですよと諭していた。
貴族は民のためにあるのですからと。
アデライーデだけでなく、影たちも一度はベアトリーチェのこの教えを聞いている。
アデライーデも幼少の頃は、庭を駆け回ったりと元気な娘ではあったが段々と淑やかになりベアトリーチェに生き写しのような穏やかで優しい娘になった。年越しや臨時の使用人の仕事終わり等の節目のときは感謝を込めて刺繍したハンカチなど手渡すのが常であった。
新人たちの手で何度も調べられたアデライーデの報告書は典医のつけた身体特徴書と既往歴、家庭教師たちの付けた成績書と評価書を付けても10枚に満たない。今回グランドールからの再調査の命を受けベテランの影が念入りに調査をしたが一枚も増えなかったのだ。




