118 依頼書と妻との約束
「舅様から手紙が来てるぞ」
差し出された上等な紙の手紙には、赤い封蝋に帝国の紋章が押されていた。
タクシスから手紙を受け取ると、アルヘルムはペーパーナイフで丁寧に封を切る。
手紙には時候のあいさつと体調への気遣い、アデライーデを丁重に扱っている礼とともにアデライーデに炭酸水を送るように頼んだのでよろしくという文で締めくくられていた。
「なんだって?」
「炭酸水を送って欲しいそうだ」
「それだけか?」
「あぁ、アデライーデに頼んだそうだ。以前彼女が炭酸水を陛下達に贈ったと言っていたから、気に入ったのかもな」
--父上が聞けば、喜んだだろうな。
生前、アルヘルムの父王は炭酸水を世に広めようとしていたが日の目を見ずに終わってしまっていた。
帝国から送って欲しいと請われたと聞けば、目を細めて喜んだはずだ。
エルンストからの手紙を引き出しにしまうとアルヘルムは書類を見ているタクシスに声をかけた。
「今度はお前も離宮に行かないか?」
「そして、惚気けられるのか?御免だな」
タクシスは書類から目を離さずに手をひらひらさせて離宮行きを断った。
「いや、どうももうすぐ孤児院ができるらしいんだ」
「孤児院って、この前スタンリーが言っていた?1月くらい前の話じゃなかったか」
「あぁ、そのくらいだ」
「そんなに小さい孤児院だったか?」
「いや…それなりに規模があるはずなんだが」
「貴族の邸宅じゃないから気を使わないといえばそうだが、それにしても早いな」
「だろう?それにそろばんと言う計算機も、試作ができてきたらしいぞ」
「ふん、それはどうやって使うんだ」
「それは、まだわからん。今度行ったら見せてもらう予定なんだ。お前の仕事の役に立つかも知れないぞ。それに離宮の食事はうまいぞ」
アルヘルムはニコニコ笑ってタクシスを誘う。
見たこともないものが、役に立つかどうかなんてわかるはずもないのに…コイツ大分惚気てるなとタクシスはため息をついた。
「まぁ、考えとくよ」
そう言った時に、ナッサウが昼食の用意ができたと呼びに来た。席に付きコンソメスープ、グリーンサラダと進みメインには刻んだキャベツと見慣れない茶色の塊が皿に乗せられて出てきた。給仕がデミグラスソースと粒マスタードを添えている時にタクシスは給仕に尋ねた。
「これは…」
「ポークカツレツでございます。パンを粉にしたものをつけた豚肉を油で揚げた料理で、付け合せに刻んだキャベツを必ず添えるものだそうです。アデライーデ様はトンカツと言う愛称で呼ばれているそうですが」
給仕がそう説明し下がっていく。見るとアルヘルムはすでに見知ったものらしく、喜々として食べ始めていた。
タクシスはその茶色の塊にナイフを入れ一口食べると「これは…美味いな」と舌鼓を打った。
ムニエルの様にたっぷりのバターであげ焼きにする料理もあるが魚に比べ肉は固くなりやすい。豚は中までしっかり火を通す料理なので焼いたものは固いがこれはそれほど固くなくジューシーだ。
カリカリとした衣も食感も楽しい。
「美味いだろ?料理長に離宮で教わってきてもらったんだ。今度これを晩餐会で出そうと思う」
「悪くないな」
そう答えたが、これは人気が出るだろうなとタクシスは思いながら食べ進めていく。油で揚げるという料理方法を初めて聞いたが、これは新しもの好きの貴族たちの間で流行るはずだ。
なにより、アデライーデから伝わった料理と聞けば皆が飛びつかないわけがない。
「これをサンドイッチにしても美味いんだ。今晩夜食に作ってもらうか?」
「陛下。大変魅力的なお話でございますな。しかし、夜食が必要なほどの残業はしないぞ。今夜は妻と食事をする約束があるんだ」
そんな軽口を叩きながら食事を済ませ執務室に戻ると、新しい書類がタクシスの机の上に増えていて、タクシスは午後から少し頑張らないと、本当にここでサンドイッチを食べる羽目になるとうんざりしながら書類の山を崩しにかかった。
帝国からの使者が来たとのレナードからの呼び出しに、アデライーデがマリアを伴い玄関の広間に降りていくと、帝国の官僚の服を着た使者がいた。
使者はアデライーデに恭しく挨拶をすると、レナードが差し出した銀のトレイに懐から取り出した2通の手紙を載せる。
レナードはトレイにペーパーナイフを添えて、アデライーデに差し出した。
一通はエルンストからの簡素だが体調を気遣う手紙。もう一通は分厚いローザリンデからの手紙だった。
両方を読み終わると、アデライーデは使者に礼を言い長旅をねぎらって返事を書くまでの間村の宿屋に泊まれるようにレナードに頼んだ。
使者が挨拶をして、離宮を出ていくとアデライーデはレナードに相談があると切り出した。
「皇后様から炭酸水を送ってほしいと言われているんだけど、ボトルの色って選べるかしら」
「ボトルの色でございますか?」
「ええ」
「一般的には水のボトルは透明なものを使いますが、青、緑、茶と色がございます」
「ボトルにラベルを作って炭酸水を詰めて出すのに、どのくらい時間がかかるかしら」
「ボトルの数にもよりますが、どのくらいの数がご入用でしょうか?」
「500本よ。無理なら先に100本程送ってほしいらしいの」
「500…。それはまた…」
「皇后様が炭酸水を気に入ったから、お茶会でコーラやライムモヒートをお出ししたいらしいの。これから暑い季節になるから冷たい飲み物でおもてなししたいらしいわ。お茶会で炭酸水を紹介するからそれなりに見栄えのするボトルとラベルをつけてねって、手紙に書いてあるの」
「それであれば、工房に依頼をかけた方がよろしいかと」
「村の炭酸水を出荷するときにはどんな瓶に詰めているの?」
「……残念ながら、村から外に炭酸水を出した事はございません」
「え?1度も?」
「はい、先代様は炭酸水をこの離宮に来たお客様に振る舞うことはございましたが…。今は村の食堂と兵士達が定期的に頼んでいるようですが、ボトルは透明なものにラベルなしだと思います」
「そう。だったらボトルを注文してラベルを依頼しましょう。正式なご依頼だから」
「正式な?」
「ええ、依頼書が入っていたわ。その依頼書に価格も書いてあったんだけど、この価格ってワイン並みよね?」
陽子さんの知る炭酸水の価格は、前世の日本のスーパーの価格だ。ローザリンデからの依頼書にはそれなりに良い値段の価格が書かれ、手紙にはそれ以下の値段で国外には出さないようにと釘を刺されていた。
「確かにワイン並みのお値段ですな。……アルヘルム様にご相談を。私には判断できません」
依頼書を確認すると、レナードは依頼書をアデライーデに手渡した。
「アルヘルム様にお時間が出来たら来ていただくように報告をしておきましょう」
「そうね。ありがとう、お願いするわ」
レナードは早速アルヘルムに手紙を書き、警備隊にアルヘルムに手紙を届けるように依頼をした。
手紙を受け取ったアルヘルムは、早速その晩離宮に向かうべくタクシスに同行を求めたが「妻に実家に帰られたらどう責任をとってくれるんだ!」と激しい抗議にあい、アルヘルムは騎士達とともに夕闇に紛れて離宮に向かった。