117 親心と流行
「皇后陛下、お待たせいたしました」
侍女がローザリンデの長椅子の横のサイドテーブルに、琥珀色に満たされたシャンパングラスを置くと、ローザリンデは、読みさしの報告書を置いてグラスをとった。
ヨハン・ベックから受け取った手紙といっしょに送られたレシピは直ぐに料理長に渡され、出来上がりとともにエルンストとローザリンデに供され2人だけの特別な飲み物となっていた。
「また、1人で楽しんでいるのかい」
「あら、聞き捨てならないわね。貴方が来るのをちょっとだけ待てなかっただけよ」
公務を終えて、部屋に帰ってきたエルンストがローザリンデの長椅子の隣のソファに座ると、侍女がエルンストの分のグラスをサイドテーブルに置いて下がっていった。
「アデライーデは、バルクで湖畔の離宮の暮らしを楽しんでいるようね」
「あぁ、アルヘルム殿とも上手くやっているようだ」
帰国したヨハン・ベックからアルヘルムがアデライーデを大切に遇していると言う報告と共に、アデライーデからの手紙やバルク王宮や離宮の庭師として潜りこませている影からの報告書からも2人は確認していた。
2人は居間に飾られたアデライーデの婚姻記念の油絵の中で微笑むアルヘルムとアデライーデに目をやると、砕いた氷の入ったシャンパングラスのコーラに口をつけ満足そうに笑い合う。
「ティオ・ローゼンをバルクに行かせて正解だったわ。絵がついていると、まるでその場にいるような気になるわね」
ローザリンデは、テーブルに置かれているティオが描いたスケッチブックを手に取ると、パラパラとめくり始めた。
「素敵なハネムーンだったようね」
「……白い結婚なのだから正式なハネムーンではないよ。ちゃんとしたハネムーンはまだ先だ」
そう言ってエルンストが飲み干したグラスの氷がカランと音を立てると、ローザリンデはくすくすと笑いティーワゴンに置かれていたデキャンタのコーラをグラスに継ぎ足した。
父親としては、娘が婿と上手く行っているとはいえ微妙な心持ちなのであろう。
「そろそろ、炭酸水を頼まないとね」
「……どのくらい頼む気なんだい?」
「そうねぇ…冷たい飲み物が美味しい季節になったから、私達だけで独占するのもねぇ。お披露目してもいいかなと思っているわ」
「それは…人気になるだろうね」
「もちろんよ。人気になるように順を追ってお披露目するわ。それに他にも面白い事をしているようだし」
帝国の皇后が夢中になっていると言えば、我も我もと貴族が騒ぎ出すにきまっている。皇后はその国のトレンドメーカーなのだから。
「ちゃんと価格を指定してあげないと、贈り物だと言いそうね」
そう言って、ローザリンデはティーワゴンに乗ったライムジュースとミントで自分にはバルク特産の蜂蜜で甘めで、エルンストにはライムと氷多めのライムモヒートを作り、差し出した。
エルンスト達はアデライーデから炭酸水を贈られた時に、帝国内の炭酸泉の調査をさせていた。
帝国には2ヶ所採水出来る場所があり、1ヶ所は派閥の伯爵領もう1ヶ所は最近接収した化粧領だ。
すでに伯爵には話を打診し準備はさせている。
化粧領は痩せた土地で他にめぼしい産業はなにもなく、炭酸水を売り出せるなら領民に安定した職を提供できるだろう。
2人はライムモヒートを飲みながら、アデライーデに宛てる分厚い手紙を書き始めた。