116 蟻と乙女心
立て続けの目通りから半月。
「まるで、砂糖に蟻が群がっているようだわ…」
スタンリーは数日離宮に通い詰めて、図面を完成させると早々に孤児院の着工に手を付けた。図面の打ち合わせの間にも地面の地ならしに職人が来ていたと聞いていたが、気がついた時には孤児院の敷地は整備されていた。
着工初日には大地の女神に振る舞うとされるワインがスタンリーの手で敷地に注がれ、工事中の安全を祈る祈りが捧げられたあとは、怒涛の工事が始まったのだ。
陽子さんが雅人さんと家を建てたときに神職が招かれ施主として神事を行ったように、どの世界でも建物を建てる時には安全祈願をするようだ。
バルクではそれを棟梁がするらしい。
数日経って敷地を覗くと、土台ができあっという間に孤児院の形ができていく。重機のないこの世界では全て人力で建てられていくが、その人夫の数が半端ないのだ。
次々と運び込まれる材料は、荷車から直接孤児院の土台に組み込まれていく。
「これって、あれよね。秀吉の一夜城みたいだわ」
「ヒデヨシノイチヤジョウ? それは何でございますか?」
アデライーデの隣で日傘を傾けるマリアが、首を傾げて聞いてきた。
「……遠い外国の話で、工夫と人海戦術で一晩で城を建てたと言う話なのよ」
「まぁ…」
「建物を建てる時って、いつもこんな風なの?」
「いえ、普通は数カ月かかると思いますわ。こんな人数で建てているところなど見たことがありませんわ」
アデライーデとマリアが、まるで蟻が砂糖に群がっているような現場を見ていると、2人に気がついたスタンリーが笑顔で挨拶にやってきた。
「こんにちは、すごいわね。もう一階が出来上がっているの?」
「この人数でございますから、普通の工期よりかなり早く進んでいます」
かなり早くと言っても進み過ぎだろうと思ったが、スタンリー曰く、石とレンガで組み立てる部分は人夫数がものを言うらしい。アルヘルムからできるだけ早くと言われているので王都の工房に声をかけ手の空いた大工を呼び寄せたと言う。
「私も長く建築に携わっておりますが、こんなに早く進むとは思ってませんでした」
そう言うスタンリーはどこか楽しそうだった。
この様子だと1月後には完成ですと言い残し、指示を仰ぎにきた大工と共に去っていくスタンリーを見送るとアデライーデは、子供たちに囲まれた。
「アリシア様〜」
少し前にブレンダたちの家のすぐそばの空き地に大勢の大人がやってきた。
草を抜いたり地面を叩いたりロープで何かをしている様子を見て、急いでハンスに知らせに行くとハンスからここに孤児院が建つのだと教えられた。
「孤児院って?」
「お前たちの家だよ」
「え?オレたち家あるよ」
干し草小屋を指差すエデルの頭をなでながら、ハンスは優しく言った。
「あれは、仮の家なんだよ。本当の家はこれから建つんだ」
「本当の家?」
「あぁ、アルヘルム様とアデライーデ様がお前たちの為に建てて下さるんだ。お会いしたらちゃんとお礼を言うんだよ」
「その家にハンスおじちゃん達も一緒に住むの?」
アンジーが、そうハンスに聞くとハンスはあぁと頷いた。
「やったぁ!みんな一緒に住めるんだ」
「ねぇ、いつ?いつ一緒に住めるの?」
「孤児院が完成したらだ」
「いつ完成するの?」
「さぁなぁ…まぁ普通は2、3ヶ月くらいかな」
「2、3ヶ月ってどのくらい先?」
「涼しくなる頃か…」
「えーーー!そんなに先なの?これから暑くなるんだよ?」
「何かが少しずつできるのを見るのも良いもんだぞ」
子供たちからのブーイングは大きかったが、ハンスは笑ってエデルの頭をぐりぐり撫でると仕事に戻って行った。
次の日から子供たちは、孤児院の柵の周りにくっついて大工達の仕事ぶりを眺めるのが日課となった。まるで魚市場の中のような人の多さにもびっくりしたが、毎日どんどん作られていく孤児院を見るのは面白くて仕方ない。
夕食の時にブレンダたちに話すと、ブレンダからあっという間に離宮内にその話が広がり毎日入れ代わり立ち代わり誰が見に来ていた。
そして、今日アデライーデがやってきたのだ。
子供たちは我先にと駆けてくると、皆アデライーデに飛びついた。
「みんな、久しぶりね。元気にしていた?」
2週間ぶりだろうか、久しぶりに会う子供たちは最初の頃のガリガリに痩せた面影はなく、大分肉付きも良くなった。髪も大分伸び、男の子達はもう帽子をかぶらずにいてもおかしくない。
明るい茶の髪はゆるいウェーブがかかっているのだろう。つんつんしてなくて頭に巻き付くようで可愛らしかった。
アンジーは1人帽子を被り少し暑そうだ。
「アンジーも髪が伸びた?」
「うん」
「帽子暑いでしょう?とってもいいのよ」
「ううん、短いからおかしいよ」
「短い髪のアンジーもかわいいわよ。じゃ、夏の間はこれにする?少しは涼しいわよ」
アンジーは離宮に来て、自分は女の子だと自覚が出てきだした。この世界では女性が髪を短く切ることはなく肩の下辺りから腰のあたりまで伸ばしている。
いくら髪の伸びるのが早い子供でも、肩下まで伸びるのに1年はかかるだろう。
アデライーデがマリアに目配せすると、マリアが手に持ってきたカゴの中から、キッチンメイドが使うヘッドキャップを取り出した。
後ろには小さな赤いリボンが付いているヘッドキャップを、アデライーデがアンジーに見せると、アンジーは目を輝かせて見ている。
アンジーの厚めの生地の帽子を取ると、伸びかけの黒髪が見えた。白い生地のヘッドキャップをアンジーの頭に被せるとアンジーは喜んでアデライーデに抱きついた。
「アリシア様、ありがとう」
「とってもよく似合っているわよ。かわいいわ」
「本当?」
「ええ、とってもかわいいわよ」
「ありがとう!ブレンダおばちゃんに見せてくる!」
そう言うと、ブレンダを探しにアンジーは洗濯小屋の方に駆けていった。
子供たちは離宮に来てから、まずは体力づくりの為に干し草小屋の周りで遊ばせているが、アンジーはブレンダについて洗濯小屋にいる事も多い。
暑くなってきはじめた頃、帽子を脱いで洗濯小屋で遊んでいた時に若い従僕に「坊主がスカートを履いてる」とからかわれてから、暑くても帽子を手放さなくなったとブレンダから聞いていた。
小さくとも女の子は女の子。乙女心を傷つけられたのだとアデライーデは薄い生地のヘッドキャップを用意させたのだ。
「奴には、これで教えておきましたから。2度と言わせませんよ」と、ブレンダは握りこぶしをふって憤慨していたので、従僕はブレンダから鉄拳制裁を受けたのだろう。
乙女心を傷つけた罪は大きいのだ。
「アンジーばっかり、ずるいよー。オレには?」
ルーディがアデライーデのスカートにしがみついて甘えてくる。
「みんなにはおやつを持ってきたわよ。アンジーを迎えに行ってちょうだい。手を洗ってからおやつにしましょう」
「やったぁ!おやつはなに?」
「今日は、アーモンドクッキーよ」
子供たちに手を引かれ、アデライーデとマリアは干し草小屋の前のテーブルに向かっていった。