115 師弟とお玉
「1ヶ月なんて早いよ…」
「帰りたくない」
「次に、ここに来れるのはいつなんだよ…」
朝、まだ薄暗い時分に離宮で1番に早く明かりがつくのは厨房である。
男たちは愚痴を言いながらも、離宮の皆の朝食の支度を手際よく進めていく。
黒パンと、マッシュポテト。マッシュルームソテーに、ベイクドビーンズ。根菜の入ったクリームシチュー、スライスしたチーズとハムは、兵士達の朝ごはんの定番だ。
日々鍛えるのが仕事の兵士達は、朝から驚くほどよく食べる。
使用人達は見た目も大事なので、それなりだが若い従僕たちの胃袋も侮れない。最近はアデライーデ様が連れてきた子供達も以前より食べるようになってきた。
王宮の繊細な料理も料理人として惹きつけられるが、この離宮での目新しい料理は心躍るものがある。なにより目の前で、美味い美味いと食べてもらえるのは料理人の矜持をくすぐられ張り合いがあった。
だが、それも今日まで…明日からまた王宮での仕事が待っている。朝食後には交代の料理人が王宮からやって来るのだ。
アルトがアデライーデたちの朝食をつくり終え、料理人達が遅い朝食の賄いを食べている時に、勝手口のドアが開いた。
「料理長!!」
「おう、みんな元気で務めているか?」
いつもの白衣と違って、普段着の料理長が帽子を取りながら厨房に入ってきた。がっちりとした上背のある40を過ぎたばかりの料理長は入ってくるなり、離宮の調理場の掃除や鍋の手入れの具合を見始めた。
「掃除はまぁまぁだな」
そう言うとアルトの肩をぽんぽんと叩き、にやりと笑った。
「聞いたぞ。珍しいメニューがあるらしいな」
「は…はい!あの…今日はどうして…料理長が」
「今日は交代の料理人を連れてきた。ついでにお前にそのメニューを教わろうと思ってな」
「自分が料理長に…ですか?」
バルク1の腕を持つ料理長に、自分が何を教えるんだとアルトは背中に冷や汗をかきながらそう言うと、料理長は「何言ってるんだ」と言った。
「お前も料理長だろ?この離宮の」
「え?…ええ??」
確かに料理長から、お前が皆をまとめるんだと言われてここに来た。自分はこの離宮の料理人をまとめているが、それはあくまでも暫定で料理長では…
「俺が力量のない奴に、正妃様の口に入るものを任せる訳ないだろ」
料理長は、ゴミ箱のフタを開け食材を無駄なく使っているか確認しながら、やれやれといった風情でアルトに言った。
「教えた通り、無駄なくやってるな」
「りょ…料理長…」
「さぁ、アデライーデ様直伝のメニューを教えてくれるかな? 離宮の料理長殿」
アルトは男泣きに泣いた。
剣の才能も算術の才能もなく、騎士にも文官にもなれなかった貧乏男爵の5男坊は口減らしのように王宮の料理人になった。食いっぱぐれない職はそれしかなかったからだ。
料理長の元で追い回しから厳しく仕込まれて10数年。気がつけばその料理長に離宮の料理長と呼ばれるまでになっていた。
アルトはゴシゴシと涙を拭うと、料理長と鍋の前に並び立った。後ろでは料理長につれられてきた新しい料理人達が皆に付いて昼食の準備を始めていた。
「父さん、ちょっと見て」
試作のスライサーを手に持って、マニーが厚めの銅板から四角いフライパンを作っていたマデルに声をかけた。
「んぁ? 出来たのか」
作りかけのフライパンを作業台に置くと、息子が持ってきた試作のピーラーを手にとった。
「デカイが、そっくりだな」
アデライーデから渡された絵と見比べて試作をひっくり返しながらそう言うとマニーは肩をすくめてピーラーを受け取った。
「まだ小さくはできないよ。見てよ」
マニーは手にとった人参にピーラーを当ててピーラーを滑らせようとすると、刃が人参に食い込んで動かなくなるのだ。
「角度だな」
マニーは小型のやっとこで角度を少し調整する。
「ここの辺か…」
バギっ…
調整していた折返しが折れてしまった。
「くそっ、もっと靭やかな奴じゃないと難しいな」
「だよね。包丁と同じじゃ無理か」
「…ちょっと待て…こっちの素材を使ってみろ」
マニーとマデルはそんな事を言い合いながら、試作を重ねていった。アデライーデの絵の通りの形はすぐできるが「皮をむく」と言うのがどうしても難しい。
マニーは、刃の部分を取り外せるようにして何度も作り直す。その間にマデルはフライヤーの試作を作り始めた。その後、村の鍛冶屋から昼も夜も金槌を叩く音が途切れることはなかった…が。
フライヤーとピーラーが出来上がるまでの間、鍛冶屋の食卓にはじゃがいもと人参を使った料理が途切れることなく出され、奥さんから「いいから、早く作っちまいな。あたしは他の料理も作りたいんだ!でも、仕上がりに手を抜くんじゃないよ!」と、お玉を振りまわされながら文句を言われる事となる。
その後、フライヤーとピーラーの納品が、思いの外早かったわねとアデライーデに褒められた時に、アデル達は「お玉でぶん殴られたくなかったんです」と本当の理由を言う事はできなかった。