114 外観と安全
「レナード様…」
コーエンを送っていった従僕が、レナードに耳打ちをするとレナードはふむ…と言って少しどうしようかと言う表情をしていた。
「どうしたの?」
「はい…今孤児院建設の為に図面をお持ちしたと、建築工房のスタンリー様がお目通りをと来ておりますが…アデライーデ様、お疲れでは無いですか?」
午後から、マデル・コーエン達と立て続けに目通りをしてきたアデライーデをレナードは気遣った。
「ありがとう。疲れてはいないけど、確かに喉は乾いたわね…。冷たいレモネードを少し甘めでお願いしたいわ。お客様には好みを聞いてお出ししてね」
アデライーデがレナードにそう言うと、レナードは従僕に目で指示を出してスタンリーを迎えた。
スタンリーは王宮の建築に関わっているだけあり、マデルのようにホールの雰囲気には飲まれなかったが、コーエンと同じく自分が引いた図面をアデライーデがどう評価するかが気がかりだった。
スタンリーは前回と同じく丁寧にアデライーデに挨拶をし、勧められてソファに座るとおもむろに丸めて紐で括った図面をテーブルに広げる。
丁寧に紐を解くと、部屋の壁を外に倒したような図面が2枚と外観2枚の図面を延ばし、アデライーデが見やすいように置いた。
「この前頂いた見取り図を、図面におこしてみました」
「ありがとう。楽しみにしていたのよ」
陽子さんはワクワクして図面を見た。
前世の不動産の見取り図に比べると随分とシンプルな図面だ。
--そっか…電気やガスの配管は無いわよね。部屋にあるのは窓とドアだけなのね。天井にも照明はないから、スイッチとかもないし。
「アデライーデ様…トイレとバスルームは外からも入れるようにするのですか?」
「ええ、遊んでいて汚れてた時は直接入れるようにしたいの。それに外で遊んでいて、急にトイレに行きたい時もあるでしょう?子供だから間に合わないときもあるし…」
「なるほど…。この管理人室の両隣は?」
「小さい子達が一緒に寝られる寝室と、病気になった時の隔離部屋よ。管理人室の細かい要望はブレンダたちの希望を聞いてくれる?」
「承知しました。調理室が孤児院の規模に比べて小さいような気がしますが…」
「食事は、基本的に離宮の調理人が作るの。孤児院では運ばれてきた食事を温めたり、簡単な料理を作ったりする予定よ」
「なるほど…」
「後ろの物置がかなり大きいのですね」
「まだ何を入れるか予定はないけど、そのうち子供が増えれば物が増えると思うし、収納は多いほうがいいわ」
アデライーデは喜々としてスタンリーと間取りの話で盛り上がった。スタンリーはアデライーデの言葉を図面にメモしていく。
「2階は4人部屋と2人部屋と…年頃になれば1人部屋も必要になってくるわよね…」
「年頃に…それでは男女はどのように分けましょうか」
「そうね…それは問題だわ……考えてなかったわ…」
「え?」
考えてなかったんかーい
それはそうだ…、陽子さんが家を建てた経験は自宅を建てた経験しかない。1階は保育園や幼稚園の施設を参考にできても兄弟ではない男女の部屋をどう分けるか頭からすっぽり抜けていたのだ。
どうしようかと迷っていたら、マリアが後ろからアデライーデにそっと助言をくれた。
「アデライーデ様、階段で分けて男女別にすればよろしいのでは?この離宮もそのような造りになっておりますわよ」
「そうね…それは良いかも」
「それでは入口近くと奥のリビングホールの所に1つずつ階段をつければ…」
スタンリーは図面に階段を付け足してブツブツと何かを考えているようだった。
「アデライーデ様、2階は非常階段と非常用すべり台を必ずつけるのであれば少しお時間を頂戴致したく思います」
「ええ、それは必ず付けて欲しいわ」
「畏まりました」
「それと…孤児院の隣には遊べる広場と遊具が欲しいの」
「遊具?ブランコでしょうか?」
「それもだけど…。こんな感じのものなの」
「はい」
その後もスタンリーは、アデライーデの要望を細かく聞いていった。その問いにアデライーデは具体的に答えてゆく。
スタンリーは、アデライーデが具体的に言う孤児院の仕様を感心しながら聞いていた。
屋敷や建物を女性が建てることはあまり無い。貴族の未亡人が小さな屋敷を建てることはあっても注文の多くは自分の部屋の内装にこだわることが多い。その他は大工にお任せで、ここまで具体的に建物内部全体に渡る指示を出された事は初めてなのだ。
しかも、こだわりは安全だと言う。アルヘルム様から聞いた外階段とすべり台が火事になった時の脱出用のものだと聞いて心底驚いた。今までそんな事を考えたことはなかったからだ。
スタンリーが驚いたのも無理はない。
この世界の防火対策は、火事は出さないように厨房を石造りにしたり、暖炉の前の床に薄い石を敷いたりする事だった。
寧ろ貴族が1番こだわる外観に関しては「お任せするわ」とあっさり言われ、それで良いのかと尋ねると「そうね…せっかくだから可愛らしい感じがいいかしら。子供が住むんだもの」と笑っていた。
スタンリーがアデライーデに、挨拶をして離宮から辞するときにはすでに日が傾きかけていた。それほど長く話をしたが、スタンリーは早く仕事場に帰り図面を引き直したくて、気がはやる自分に気がついて苦笑した。
最初は孤児院なんて、広いホールが1つあるつまらない仕事だと思っていたのにと、帰りの薄暗い馬車の中でメモをたくさん書き込んだ図面を何度も見返していた。
この日、3組の職人たちの部屋の明かりは夜も深けるまで消えることは無かった。