11 地図とマルク
その日からアデライーデは、毎日王宮大書庫に通い詰める。
歴史、地理、風土記からはては料理本まで種類は問わず読み漁っていた。
そう、「教えてくれないんなら、自分で調べますから」とばかりにバルク国に隣接する帝国内の情報を、調べまくっていたのである。
国は違えど、隣接する領地であれば気候が推測される。料理からはその地で取れる作物がわかるのだ。そしてわずかだが、隣の国では…とか近隣諸国では…の記述でバルク国との比較が載っていたりする。
そんな小さな記事をかき集めていく。
情報が載っていた本の題名、筆者、筆者の略歴、出版年をつけてメモ1枚に記事を抜粋し書き写していく作業を黙々と続けた。
王宮大書庫で書き溜めたそれを居室に持って帰り、マリアに用意してもらった文箱にまとめ夕食後にワインを呑みつつ情報を整理するのだ。
書き出した記事をまとめようとマリアにノートを1冊頼んだら、分厚い日記帳のような立派なノート(陽子さん的には決してノートではない)を渡された。立派過ぎて使うには気後れし、結局王宮大書庫からメモを持って帰るときのバインダー代わりに使っている。
そんな事を1週間ほど続けていたある日、無心に作業をしていたアデライーデの元にグリフォンがやって来た。
「お調べものに、王宮大書庫はお役に立ちましたかな?」
メモから顔を上げ「はい!とても!」と思わず笑顔で答えた。
答えたあとに慌てて立ち上がり「おはようございます。グリフォン様」と挨拶をする。
ふぉっふぉっふぉっとグリフォンは、楽しげに笑いアデライーデをお茶に誘った。王宮大書庫の前庭に出るベランダは他のそれより大きく取られガーデンテーブルセットがいくつか置かれている。
その1つにグリフォンはアデライーデを招いた。
席に座ると、文官の一人が緊張した面持ちでお茶を運んでくれた。
ティーカップをサーブされたときに「ありがとう」と文官にお礼を言いふと気がつく。
そう言えば、ここで初めて職員を見たような気がする。
今まで通った大抵の図書館では多くの職員が返却本の整理整頓や貸し出し業務をしていた。
が、ここ王宮大書庫では職員を1人も見たことがない。
時折、書棚の向こうや入口の方で人の出入りやかすかな人の話し声が聞こえるがアデライーデが陣どっている帝国の郷土料理本が並んでいるところには訪れるものが少ないのか、誰とも出くわすことはなかった。
書庫と呼ばれるくらいなので、本以外にも管理するものがあるのかもしれないし古い本の修繕等もしているのかもと最初は思っていた。
あまりにも人と会わないので職員が居ないのかと不思議に思っていたのだ。
(なんだちゃんといるじゃない、よかったわ。後で地図を借りられるかきいてみよう)
文官はちゃんと居る…。
交代勤務のはずが、本来休みのものまで出てきてアデライーデの周りにいつも以上にいるのだが、声をかけるのもかけられるのも恐れ多いので棚と化しているのだ。
アデライーデが来る前に掃除とタップダンスを済ませ、アデライーデが来るのを待っている。
そして、音も立てずにそーっと普段の作業を手早く済ませた者から棚と化しているのだ。
可愛く言えば、図書館の妖精。
ぶっちゃけて言えば、ストーカーである。
出されたお茶を味わっているとグリフォンに王宮大書庫の感想を聞かれた。
アデライーデは目を輝かせ、蔵書の豊かさ管理の良さ、分類の正確さを褒め称える。実際ここの文官は優秀なのだ。
「バルク国のことをお調べかな?」
「はい、嫁ぐ身ですので事前にわかる事があれば自分で調べておこうと思いまして」
グランドールに教えてもらえなかったとは流石に言えず、アデライーデはそう答えた。
「ふむ…どのような事を調べられたのですかな」
そう問うグリフォンに、アデライーデは地図を見てバルク国に隣接する帝国内の気候や風習を調べた事を話した。
メモをとったことを話すと、見せてほしいと言うグリフォンに走り書きで恥ずかしいのですがとメモの束を差し出すと、1枚1枚丁寧に見てにこにことよくまとめていると褒められ陽子さんは嬉しくなった。
前世で資料整理をしていた時に、まとめた資料を部長に褒められた時のことを思いだしていた。
「それであれば、この本がお役に立つかもしれませんな」
グリフォンは傍らから1冊の本を取り出した。
その本は、最近帝国内外を旅行した貴族が出した紀行本だった。
ガイドブックというより旅行の体験談をまとめた日記のようなものだが、前世と違い庶民が気軽に旅行に行くことはないこちらの世界では、違う街や
外国を知れる人気のジャンルのようだ。
王宮大書庫でも紀行本の棚は充実していた。
「この本は、最近帝国の東方を旅行した旅行好きな子爵が寄贈されましてな。好奇心旺盛な方のようで庶民の生活や食べ物等も、詳しく書いておられる。流石にバルク国王宮内のことは書かれていなかったが、何かのお役になりましょう」
そう言って渡された本は真新しく、パラパラとめくると所々に挿絵がある。
「ありがとうございます!」
アデライーデは本を、受け取るとグリフォンに微笑み感謝を告げた。
グリフォンは満足そうに頷くと、自身は仕事があるからと席をたった。
アデライーデが淑女の挨拶をしてグリフォンを見送ると、先程の文官が新しいお茶を持ってきた。
「あの…こちらの職員の方ですか?」
「はい、私はここ王宮大書庫の文官でマルク・フルガーと申します」
お茶を持ってきたマルクは、叫びだしそうな気持ちを抑え落ち着いて答える。
ちょっとおどおどしていたが…
マルクにしてみれば、掃除を済ませ皇女様のお姿を棚になって拝見しようと思っていたらグリフォンに捕まったのだ。この王宮大書庫に資料を探しに来るお客様にお茶を出すのは、まだ新人である彼の仕事でもある。
間近にお姿を拝見し、その皇女様に今声をかけられている…。
マルクはおどおどせずにはいられない。
しかし、そんなマルクの心境など知らないアデライーデは、ここで会ったが百年目とばかりに声をかけた。
この大書庫で初めて文官に会ったのだ。職員の声はすれども姿は見えないのだ。本を借りたいので必死である。
「マルクさんと仰るのね」
「! アデライーデ様。どうぞマルクとお呼びください」
マルクは慌ててアデライーデに嘆願する。
陽子さんは、年代のせいか呼び捨てはちょっと馴染めないがここでは彼の立場もあるのだろうと
「では、マルクとお呼びするわ。地図の貸し出しはできますか?」
昔見た本で、古い時代では正確な地図は軍事機密に当たると読んだことがあるので貸し出しできるか悩んでいた。
「帝国の地図でしょうか」
「ええ、詳細なものでなくていいの。東方のバルク国の辺りの地図があれば借りたいと思って」
「詳細地図は申請が必要ですが、簡単な領地の配置図でしたらお借りいただけます」
「良かったわ。その配置図を借りたいわ」
「では、お持ちしましょうか」
「もし、良ければ他にも聞きたいことがあるので案内をお願いしてもいいかしら」
「はい!喜んで」
少し上ずった声で、居酒屋の店員のような返事をしたマルクはアデライーデを地図の書架に案内し、アデライーデの思いつく質問に丁寧に答えてくれた。
その日、アデライーデは領地配置図とグリフォンから借りた紀行本を持ってほくほくと部屋に戻って行った。