100 うたた寝と矜持
アルヘルムは、久しぶりに思い切りオリスを走らせていた。
王位についてから政務に明け暮れこうやって馬を駆けるのは、帝国の討伐依頼に軍を率いた時以来である。
あっという間に、離宮の領地に入ると警備の兵の騎馬二騎が後ろからついてきた。
兵たちはアルヘルムとわかったのだろう。一騎は途中から鍛錬場の方へ駆けていく。
離宮につくと、直ぐにレナードが出迎えに出て来た。
「陛下、ようこそおいでを。これはまた突然ですな」
「気が向いたのでな」
レナードにそう答えてオリスを兵に預けると、アルヘルムはアデライーデはどこかとレナードに尋ねた。
今でしたら庭園の四阿でございますとのレナードの返答に、案内は要らぬと1人で庭園の四阿に行くとアデライーデの侍女が驚いて立ち上がり淑女の挨拶をしそっと席を外した。
薄い日除けを開けて四阿に入ると、テーブルの上には書類が置かれ飲みかけのグラスには琥珀色の飲み物が入っていた。アデライーデは靴を脱いで足をソファに投げ出し本を抱えて寝入っている。
およそ正妃らしくなく…いや、貴族令嬢としてもスキの有りすぎる姿だ。
最近はパニエも外してシンプルなお忍び用のワンピースを愛用しているアデライーデを見て、アルヘルムは枕元に腰を下ろすとアデライーデの寝顔を見つめた。
長い睫毛に、薔薇色の頬。形の良い唇は微かな寝息を立てている。
--起こすのは忍びないな。
そう思いつつもアルヘルムはアデライーデの髪を撫で、その頬にキスをするのを止められなかった。
「ふぁ…」
うたた寝から目を覚ますと、アルヘルムの顔が間近にあった。
「アアア、アルヘルム様?!」
急いで体を起こして靴を履くと、アルヘルムは「おはよう、お姫様」とアデライーデの髪を一房取りキスをしながら笑いかける。
--なぜここにアルヘルム様がいるの?今日来るって聞いてないわ!寝顔を見られていたなんて!迂闊だったわ。ヨダレ垂らしてないわよね??
思わず笑うフリをしてそっと口元を確認した。
大丈夫…たらしてはないようだ。
「どうしてここに?」
「時間ができたんだ。会いたくなってね」
「あの……いつから」
「どのくらいかな?」
「起こしてくだされば良かったのに……」
「貴女の寝顔に見惚れていたんだ」
さらりとアルヘルムは甘い言葉を吐くが、陽子さんはその言葉を聞き流し、アルヘルムに孤児院の相談を始めた。
「ちょうど良かったですわ。早くアルヘルム様にご相談したい事があるんです」
「あ?あぁ、レナードから報告があったよ。これかい?相談したい事って?」
アルヘルムは聞き流された事を突っ込めず机の上に置いていた試算書を手に取って、じっと試算書を見ていた。
「………良くできているし、わかりやすいね」
「ありがとうございます!」
--やったわ!1番の難関の予算を取ったわ 掴みはOKね!
持参金から出すなら予算も何もないのだろうが、現実に則した計画であることは理解してもらえたと陽子さんは心の中でガッツポーズをしていた。
「あの…レナードから聞いているかもしれませんが…メーアブルクで子供たちに会って、それで子供たちが自立できるまで孤児院をしたいと思っているんです。今のままでは基本的な生活習慣もつかず文字も読めないし計算もできないままです。まともな仕事にもつけるようにそれを教えて、そして自立できるようになれば、きっとどこかに就職出来てちゃんと生活ができるようになると思います」
アデライーデは熱心にアルヘルムに孤児院のことを話した。
「孤児院、やりたいのかい?」
「はい。あの子達を放っておけなくて…」
「……」
「あの…あの子達が離宮か村に住むことに許可を頂けたら…国庫にはなるべく負担をかけないように持参金で運営しようと思っているんです」
「なぜ、もっと私を頼ってくれないのかい」
アルヘルムは試算書をテーブルに置くとアデライーデに向かって座り直した。
「はい?」
「もっと私に頼ってああして欲しいこうして欲しいと言ってくれても良いのに。孤児院を持つことは反対しないよ。でも村の事もそうだけど私に頼ることなく、最初から全て持参金でやろうとしているよね?私はそんなに頼りないかい?」
「?? そんな事は無いですわ。私の我儘を聞いてこんな素敵な離宮での暮らしを認めてくださっているのに、これ以上の我儘を言うのは…」
「我儘かい?私はそうは思わないよ。貴女は何も私に求めないよね?」
そう言って、アデライーデを少し悲しげに見つめて髪を撫で始めた。
アルヘルムはその立場ゆえ、物心ついてから女性には寵愛を求めれられ続けていた。わずかでも機会があれば女性は王であるアルヘルムの機嫌を覗う。
なのにアデライーデは、アルヘルムに一切何も求めない。
正妃としての立場や体面はおろか、アルヘルムとの子もいらぬと言い唯一欲しがったのは「距離」だった。
政略結婚ゆえ嫌われているのかとも思ったが、会えば楽しそうに話をするし甘い言葉を囁けば頬を染める。でも、それだけだ。アデライーデからは他の女性のような熱を感じない。
皇女という身分なので他の令嬢達と違う教育を受けたのか、まだ会ってからそう時間も経っていないからかと考えていた。
望んで離宮に行っても暮らし始めれば寂しさからなにか連絡があるかもと思えば、レナードからの報告書からはアデライーデが離宮の生活を満喫している様子しか伺えない。
レナードからの報告書を楽しみにしている反面、自分がいなくても毎日楽しそうに過ごすアデライーデの報告書を読むたびに引っかかる何かがあった。
そして初めてのおねだりが、離宮で孤児院をやっても良いかと言う「許可」だった。
まるで業務連絡のような内容でも、初めてアデライーデが自分に頼ってくれたと思えば直ぐに会って話がしたい気持ちを抑えられなかった。
それなのに城を抜け出して会いに来てみれば、会いたかったの一言もなく口にした甘い言葉も流されアデライーデは孤児院の話を嬉々として話しだした。
ここで大人の男性として年上として何かアドバイスができるかと孤児院運営の試算書を見てみれば、こちらが参考にしたいくらいちゃんとしたものが出来ている。項目を見てみれば予備費に積立費まで入った堅実な項目分けができていた。
予算が足りないと陳情してくる各地の領地代行達に見せてやりたいくらいだ。
しかも、資金の提供は持参金をと先手を打たれている。
彼女の持参金は目録に記載されているものだけでも莫大なもので、規模にもよるが孤児院運営だけならアデライーデが死ぬまで心配しなくても良いくらいある。
手出しも教えもしなくても、アデライーデの力(財力含む)だけでやれるのだ。
アデライーデがアルヘルムに求めるのは許可だけ…
女性は皆、アルヘルムに頼り甘えてくるのにアデライーデはそれをしない。求められるのが当たり前で、受け入れるか拒絶するかの選択肢を持っているのはアルヘルムだったのに……。
大げさに言えばアルヘルムは人生で初めて、やんわり拒絶されているような感覚を味わっているのだ。
もっと頼ってほしい。
必要とされたい。
最初は、子供相手なのだから適当にあしらって満足させれば良いかと思っていたアルヘルムはもういない。
自分の正妃なのにするりと逃げられそうなアデライーデに、恋というか執着と言うかわからない感情が、芽生え始めているのにまだアルヘルムは気がついていない。
記念すべき100話です。
ココまで書けたのは読者の皆様のおかげです。
ありがとうございます!
今回はちょっと切ないアルヘルムが主役です。