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時は少し遡り、クロエが外出した後のカレンデュラ王宮。
アウシュリッツ公爵イリアスに案内されたアルマ、そして公爵の護衛である公爵家の家臣が数名従い王宮内に入ると、名目上召使の一人が先導として案内した。
皇帝一族の住居となる奥宮。
奥宮は外の警備を除くと中の人間のほとんどが女官に代わる華やかな場所。
「奥宮は初めて入るが、アウシュリッツとは違い骨太な建物だねえ」
宮殿の内部には華麗な細工はほとんど無く、大きな壁画がずっと描かれているのみ。
その中で一際豪華な青と金色の布が仕切りでかかっている部屋の中に案内されると、中は客間になっていた。手の込んだ厚手の絨毯の上に何重ものクッション。
「ここが皇太子殿下の客間です。間もなくいらっしゃるはずです」
イリアスは礼を述べて女官を下がらせる。
そのタイミングを見計らったように、マリウスと同じか、もしくはそれ以上に大柄な赤茶の髪、青の瞳の若い男、すなわちこの国の皇太子が先触れもなしに気軽に入って来た。
「よう、今日は悪いな、イリアス。
イーヴとハインツ、臣下だと遠慮して後ろで立たずに、座って茶でも飲むといい」
イーヴとハインツというのは共に公爵家家臣で年齢はイリアスとほとんど変わらない。
上座に胡坐をかいて床の絨上に座った皇太子に、それを見届けた後に用意された場所に各自が座る。
「こちらが名高き才女アルマか。
あのスケベ爺さんと昨日やりあったって?」
まるでマリウスが二人いるのかと言わんばかりの口の悪さに「皇太子殿下本人なのか?」と自分の口の悪さを棚に上げてアルマは皇太子が本物か本人に聞く始末。
その度胸は称賛に値するな、とオスカーも苦笑いだ。
「ああ、悪いな。
俺は正真正銘のオスカー・エル・ファリス・カレンデュラノームだ。
母アンヌ皇后の長子だ。口が悪いのは遠征で軍隊生活をしたときの名残で申し訳ない」
と頭をかいて苦笑いをする。
イリアスとラキュリスの士官学校の師範であり、皇太子の地位でありながら武人として名高い皇太子。
「さて、長旅の疲れはとれたかな?
アウシュリッツの辺境の町だと二日かかるだろう。
わざわざ済まない」
一通り挨拶と世間話をしていると、女官達が人数分香りのいいお茶を運んできた。
「お茶菓子は俺の婚約者と母が昨日作ったものだそうだ。
あの事件以来あの二人が菓子を作ったのは初めてだな」
意味深にオスカーはそう告げ、お茶と茶菓子を置いた女官たちに人払いを命じた。
「で、早速だが、これを見てもらっていいか」
片手に握っていた生成りの小さな巾着袋。
「例の父に使われた毒だ。疑われている女が持っていた」
その言葉に皆の緊張が走る。だが、アルマは顔色一つ変えずにそのまま巾着袋を片づけた。
これで今回の訪問の目的半分に当たる。
「皇太子殿下、この話は後ろの公爵の部下に聞かれてもいいって条件で話しているんだね?」
本来なら皇太子のオスカー、イリアス、アルマ三人だけの密談だと思っていたが、他の者がいたうえでその話を切り出されたために念を押したのだ。もし、皇太子がうっかりと自分の顔を見てうっかり喋ったとしたなら、幾ら少人数であろうともそこから漏れる可能性がないとはいえないからだ。
「ああ、もちろんだ。
食えない婆さんだな。俺がうっかり言ったんじゃないかって思ってやがる」
片方の眉をあげて、にやりと笑ったオスカーに笑い返すアルマ。
まったく、両者ともに食えない二人だ、とイリアスは内心ため息をついて二人を見守る。
「じゃあ、皇帝陛下が倒れた状況を教えてもらっていいかい?」
「ああ、あの時はちょうどこの奥宮の奥にあるアウシュリッツ風の薔薇の庭で身内だけで茶会をした時だったな」
オスカーはその時を思い出しながらじっくり語りだした。
今の皇帝は、よく家族とともに奥宮で時間があると小さな茶会を開き、語り合うのが好きな皇帝として有名だった。
その日、皇帝一家と皇帝の弟と内務大臣のダリルと皇太子殿下の婚約者のヘルネ姫が同席した。
いつものように皇后かヘルネが焼いた皇帝の好きなパウンドケーキを食べ、女官が運んだお茶を飲み、会話を楽しんでいた時に、急に皇帝は眩暈と痙攣をおこし倒れた。
はたから見れば、それは心臓か、もしくは頭の病で倒れる病人の症状に見え、すぐさま医師が呼ばれ手当てが施された。医師も始めは心臓か頭の病の可能性を考えたが、明らかに投薬をしても症状が変わらない。
そこに一匹の宮廷にいる犬がお茶を舐めたとたんに倒れて同じ症状を起こしたことで毒薬だということが判明した。
「犬には可哀想だが、それがなかったら、きっと毒だとは気が付かなかっただろう」
王宮に迷い込みそのまま誰かに飼われる、という訳でないが、中で皆から餌を与えられながら育つ犬が王宮の中には何匹かいる。
「そうでしたか。それでその後調査を?」
「ああ、すぐさま茶を運んだ女官だけでなく宮廷の使用人はすべて一人残らず調べさせた。
その中で一人、この袋を持っていたのが、叔父、王弟の口利きで王宮に入った女官だったという訳だ。
だが、叔父は関係を否定したし、確たる証拠がなかった。
それに俺が知るあの性格では、どうも疑問が残る。
女官が持っていた証拠の毒が見つかる前に、残った証拠で毒を調べてもらったんだが、科学分野の毒ではなかったようで、急ぎ薬草学の方で成分を調べよう、という話になったんだ。そうしたら成分を調べる前に、アマルーテ学院卒業の薬師が次々と死んでいて、帝都にいないということが判明したんだ。
これまた、この事件が起きるまで誰も関連性に気が付かなかったというから困ったものだ。
まあ、この薬師の件は別件だろうから警察庁はそれはそれで調査すると先日報告書とこれからの捜査についての報告が上がってきた。
やがて、女官から毒が発見され、その成分の大まかなことは分かったんだが、詳細がつかめない。
まあ、とりあえず、父の事件の解明について協力願いたいわけだ。
何としても、犯人は捕まえなくてはならない」
「なるほど。
では、このアルマがご協力いたしましょう。
あの手紙に同封されたものと同じかね? だったら何とかなるだろうよ」
あの手紙とは、オスカーが送った手紙に入っていた小さな筒に入った粉末だ。
何とかなるだろうよ、という返事で一同が緊張の糸をほぐれた。
「じゃあ、茶でも飲むか。例の物も来たことだし」
出されたお茶を銀のスプーンでかきまぜた後、一口飲んだ。
銀が反応しないとなれば大抵は無毒なのが常識だが、舌にピリッと微弱な違和感を覚え、アルマは勢い良くカップを投げ捨てた。
「・・・・・・み、水を大量にッ」
なりふり構わず口に残った茶を穿きだしたアルマはそのまま皇太子おスカーと公爵イリアスのカップを払い落した。
瞬時の出来事。
一口飲んだオスカーと、イリアス、アルマが屈みこむように前に倒れ、浅い息をついて真っ青になっている。そして手先がぴくぴくと痙攣を始めた。
辛うじて知識のあるアルマが自分の喉に指を突っ込んで吐こうと努力している。
「皇太子殿下! 公爵殿! アルマ殿まで。
誰か、誰かあるか? 衛兵、宮殿から誰も出すな!
暗殺を企てた物がいるぞ」
まだ口を付けていなかった公爵家家臣のイーヴとハインツがすぐさま大声で叫び、恐怖に足をすくめる女官達に「水を持て」と叫んだ。
走りこんで水を持ってきた女官たちの水を中庭の池に少し垂らして、水中を泳ぐ魚が死なないことを確認すると、緊急事態ですので失礼を、と頭を下げてすぐさま三人の口に水を大量に流し込み、喉に指を突っ込んで吐かせた。
「何事だ?」
騒ぎを聞いて駆け付けた王宮の官吏達が状況を見て顔色を変えた。
――先月に引き続き、今日こんなことが。
皇太子の腹心の内務大臣が顔色を変えて駆けつけ、すぐさま王宮内は厳戒態勢となった。