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王宮から外に出て間もなく、普通の貴族の城下町ほどの広さを誇る学園都市がある。
いくつもの学校が集う中、最高峰を誇るのがアマルーテ学院。
今日は王宮の公爵の館で用意されたクリーム色の薄生地のエンパイアドレスを身にまとったクロエは、朝、女官の手で髪を結いあげられ、いつもより大人びて見えた。
昨日とは違った水色の長い衣と帯を身にまとったラキュリスと並ぶと、少しは良家の子女に見えるかもしれないと思ったがそれを口にするのはやめておいた。
片手に矛を持ったラキュリスの案内で受付の官舎で学校を守る憲兵達の前を過ぎ、校門を抜け中に入る。
憲兵というのは派遣された警官の役職なのだが、役目としては軍人と警察官の間のような職業で、各役所や要所を守るため、いざとなれば軍隊の小隊の指揮もとることができる上に、彼らには簡単な事件なら事情聴取などを行う権限も与えられている。
派遣元は警察庁で、王宮の内壁から出てすぐ、アマルーテ学院のある場所と大通り挟んで反対側にある。
もちろん学生の身を守るために、学校ごとに何人かの憲兵が警察庁から派遣されているのだが、とりわけ最高峰を誇るアマルーテ学院の憲兵は、警察庁に就職し、憲兵を希望した卒業生が勤務することが慣習となっている。
「ここは私も、イリアスもマリウスも、アルマも通った学校だ。
私達はここと並行して士官学校で武術も学んでいたな」
「士官学校?」
「兵士になる訓練を受ける学校だ。ほとんど男ばかりで、あの時の生活は余り思い出したくないな。男臭すぎて。
でもその士官学校時代の師範として今のオスカー皇太子や、マリウスとより仲良くなったから一概に悪いとも言えないが」
士官学校では例え生徒が他の学校で勉学に勤しんでいても、容赦なく厳しい訓練が数時間行われた。剣・槍・体術・馬術などの個人技、軍隊の戦法、火薬の扱いなどの他に、戦争のむなしさ、命の尊さを教えるのが士官学校だ。
「どういった方がこの学校に通うんですか?
普通の子供は通えるところではないと思います。
憲兵がいるということはそれなりの身分の方々の子女が多いということでしょう?」
「そうだなあ。でも、この学校には身分は関係なく賢い人間を育成するところとして、知識を守るという意味で憲兵が置かれているんだ。
だから、身分のある者だけが通っているとは思わない方がいい」
周りを見渡すと、クロエと同じ、もしくはそれ以上の年齢の男女が濃紺の衣を身にまとい歩いている。
あの衣がこの学生の生徒の証なのだとか。
「まず、このアマルーテは入学試験がある。王侯貴族・官僚の子供でも優秀でないと入学は許可されない。 重要なのは面接だ。人間性を重視される、と言うが、昨日、学院長の姿を見てどう思った?」
苦笑いを浮かべ、アクアマリンの瞳でクロエの顔を覗き込むラキュリス。
それにはちょっと返答に困ってしまう。はっきり答えていいものか。
「あ、あの、昨日少し拝見しただけですし、挨拶もろくにしていないので」
その時、正面の建物から大きな声で駆け寄ってくる人物がいた。
「クッロエちゃーん」
「噂をすればか」
長い顎鬚をなびかせ、頭をつやつや光らせたトリネコの杖を持った小柄な老人。
「学院長は今日もお元気な様子でなによりでございます」
宮廷風の作法でラキュリスが挨拶すると、つまらなさそうな返事。
「なんだ、王子と一緒なのか」
一歩前に出て一札したラキュリスを見上げる学院長。
「ええ。彼女が滞在中は私かアウシュリッツ公爵、もしくはマリウス准将が常に傍に控えるようにしておこうかと」
(マリウスって准将だったの?)
役人で軍人とは知っていたけれど階級までは知らなかった。
(あの年で准将と言うことはかなり腕がいいのよね)
軍隊の階級は元帥の下に大・中・小の名が付く将官、佐官、尉官がある。准将はその将官の中では少将よりも下だが、佐官の大佐よりは上になる。
士官学校を出た王侯貴族の子弟の階級は少尉で、平民だと階級を上げるのにはかなりの年数と功績を要する。
「えらい特別待遇だのう。
帝都の皇女達ですらそこまでの待遇はなかろうに」
「すでに身分が高く自分の護衛がいる者をわざわざ守っていても仕方がありません。
我々の命令のためにわざわざ出てきた力なき領民を守るのが上に立つ者の務めですからね」
「ほおっ。まあよいわ。ところでアルマの養い子というクロエちゃん、
アルマから聞いたけれどクロエちゃんは読み書きもできれば薬草に詳しいんだって?
良かったら学校の中庭に植えてある植物で使えそうな物を教えてもらえないかな?」
勝手に願い事を押し付け、ほぼ強制的に手を引っ張って芝生が続く道を連れて行かれ、正門からまっすぐ
入ったところにある正面校舎の前の片隅にあるほぼ葉っぱばかりの花壇を指差された。
どうやらこれを見てほしいらしい。
「レモングラスにパセリにミント。ラベンダー。
これは学院長様が植えたのですか?」
「オラセフ。
学院長じゃなくてオラセフって呼んでくれていいんだよ、クロエちゃん」
にっと笑って花壇にかがみながら葉を覗き込んでいるクロエの背後に忍び寄るオラセフこと学院長。
その姿は若い娘に理性のかけらもなく手を出す好色男の代表だ。
「禿げ爺」
(毎回毎回懲りもせずに気になる婦女子に触りたがるこの変態が!)
綺麗な顔から想像できない言葉を紡ぎ出したラキュリスが、ざっとクロエのしゃがむ後ろに進み出て、学院長の足元に矛の先を向けて転ばせた。
「全く、油断も隙もない」
「ラ、ラキュリス王子?
学院長でしょう?」
自分の背後で何が起こったか分からないクロエの手を取って、芝生にコロンと転がった学院長に目もくれず、クロエの手を取り急ぎ足で校舎の中へ向かう。
「いいんだ。あのドスケベ爺にはあれくらいでちょうどいい」
どうなっているの? と聞く前にラキュリスが話し始めた先ほどの自分の背後の状況を聞いて青くなるクロエ。
まさか、自分のお尻を触られようとしていただなんて!
クロエは今まで好きになった男の子は居ない。
それは小さい頃自分の髪の色でからかわれたことが若干トラウマになっているからだ。
性の知識はある程度あるし、村の公園の片隅で恋人達の抱擁を見たり、女好きな下世話な男の人が村で買い物しているときにわざとそう言う話をする人もいた。
会話に閉口する時も何回かあったけど、直接何かあることはなかった。
「お婆ちゃんが言った通りだ。
この都は人を信用しちゃいけないんだね。怖いところだ」
どうやら、怖いというのにも幾つか種類があるらしい。
「確かに怖いところだ。
けれど、この帝都にいる間は我々が付いているから大丈夫」
ラキュリスは掴んでいたクロエの手を再び握りなおして、クロエに微笑んだ。
「昨日マリウスが言ったと思うが、私とイリアスは信用してほしい」
アクアマリン色の綺麗な瞳で見つめられて、ぼうっと見とれるクロエ。
(こんな綺麗な瞳に見つめられたらドキドキしちゃう)
今まで感じたことがないような甘い感覚とともに心臓のあたりが熱くなってドキドキ動悸が激しくなる。
「はい」
ラキュリスは真っ直ぐに見つめ返してくる瞳を見つめながら、小動物を守らなくてはならない、というような保護本能をくすぐられていた。
おそらく彼の想像の産物だった出会う前のクロエ像と今のクロエ像の違いだからだろうか、それとも、妹と同じ年の娘だからだろうか、どうも、悪いやつに騙されないようにしてやらねば、と思ってしまう。
「確かに田舎とは全然違ってとまどうことは多いかもしれない。特に、今回この都に呼ばれた理由が物騒だからな。
でも、この都は大陸中の文化や知識が集まった場所でもあるぞ」
帝都をただの悪い怖い街だという印象を与えたくなくてラキュリスがフォローする。
「私の故郷エリスフレールもここと変わらない規模の王都だ。
だが、エリスフレールの王都はカレンデュラほど繁栄していないし、文化も人材も劣る。
だから私はアマルーテ学院が、いや、カレンデュラがなぜ大陸一なのか知りたくてこの学院に十五の時に留学してやってきた。
叔母上がアウシュリッツ公爵家に嫁いでいたお陰で、この帝都にも足を運ぶことが多かったが、実際留学してみて暮らしてみて、よく分かったよ」
「帝都が一番な理由が?」
「ああ。まずは、この街は良くも悪くもパワーがある。それが人を引き付けるんだ」
「パワー?」
「そう、夢をかなえたいって言う人の心の力、つまり意志だな。
この都には自分の夢をかなえようという人間が集まってくる。それが類は友を呼ぶようにどんどん連鎖して広がって、自分の力を試したいという人間がやってくる。
自然とそれが優秀な人間を集める結果に結びつく。
私はエリスフレールの民のため、もっと豊かな国にしたい。それを実現したい。
クロエの夢は何だ?」
アクアマリン色の瞳にまっすぐ見つめられてクロエは少し困った。
「あ、あの。王子より全然大したことないですけど。
あたしの夢はお婆ちゃんみたいな薬師になることです。なれたらいいなって」
そう言ったとたん、顔が熱くなった。
(あたし、初めて薬師になりたいってことをお婆ちゃんとマリウス以外の人に喋ったかもしれない)
今まで薬師の見習いとしてアルマの傍でやってきたが、村でもはっきりと「薬師になる」と口にしたことがなかった。
アルマの許で育てられているが、養われている立場から自分に自信がなくて口にするのがはばかられていた。
(どうして言えたんだろう)
「なれたらいい、じゃなくて「なる」だろう?」
それを聞いて自信満々に断定するラキュリス。
「え?」
「夢は見るのは簡単だが叶えるのは難しい。
だが、君には今、それを叶えられるチャンスがある。
アルマの許で育ったのも幸運だし、今回こうやってここにいるのも幸運だろう?
さて、私がいればどこでも出入りが自由だ。
いくぞ」
生徒が学ぶ教室を横目で見学し、大人数で講義が行われるときに使うという大講堂を眺め、科学実験室、体育館、音楽室、屋内で全校生徒を集める時に使う大広間に食堂、カフェテリア、そして図書館と怒涛のように歩いた。
それだけ見て回るのに約二時間はかかっている。
「凄いねえ。どこもかしこも立派」
感嘆しながらも、あまりの広さを歩いて少し疲れ気味だ。
「どの建物も平屋だから歩き疲れたろう。
そこの中庭のベンチに座ろうか」
蔓バラが咲き誇る庭のベンチに座ろうか、とした時、ラキュリスの許に一羽の白い鷹が舞い降りた。
ラキュリスは見覚えがあるらしく、鷹がとまれるように矛を傾ける。
「何だ?」
寄って来た鷹の頭を撫でて、鷹の脚に結ってある紙を解いて広げたラキュリス。
鷹はマリウスの家に飼われているのだとか。
そうやって鷹の話をしながら紙の中身を読む顔がみるみる険しくなる。
「どうしたの?」
今までとは違った厳しいラキュリスの表情で、胸の中で警鐘が鳴る。
彼はクロエの問いに無言のまま、鷹の顔の傍で小さく何かつぶやいた。
バサバサっと勢い良い羽音と共に鷹は、一回ラキュリスの頭の上で一回旋回したあと恐ろしい勢いで去って行った。
「クロエ、今すぐ王宮に行くぞ!
誰か、馬を持て」
その声に校舎の建物の中から返事が聞こえる。
「殿下、すぐさま用意いたしますので校舎の正面でお待ちを」
「今の声、誰?」
誰もいないと思っていた場所だと思っていた場所から声が聞こえて、鳩が豆鉄砲食らったような顔をするクロエにラキュリスはニヤリと笑った
「王子となれば出かける先には必ず護衛の誰かがひっそり付いてくるものだ。
王侯貴族とはそういうものだと覚えておくといい。
それよりも、王宮で一大事だ」
ラキュリスは下手に誰かに聞こえる心配を考慮してかクロエの耳元で囁いた。
「う、うそっ」
「声を出すな。誰が聞いているか分からないんだからな。
行くぞ」
クロエの口を片手でふさぎ、ショックで倒れられては面倒だと言わんばかりにクロエを肩に担ぎあげて廊下を走った。
(王宮にてアウシュリッツ公爵ならびに客人アルマ・ツヴァイク、皇太子とともに毒で倒れる)
読んでいただいてありがとうございます。