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それから三日後。
クロエとアルマは馬車に乗って帝都へ向かう旅に出た。
昨日マリウスが持ってきた「贈り物」と称する箱の中身は二人への服が何着も入っていた。
今、帝都で流行っている夏物の古代スタイルと言うやつを二人はまとっている。
コルセットもなければ、帽子も必要としない。
帝都から少し離れたアウシュリッツ公国の街アグレイアではバッスルスタイルという腰の部分を大きく膨らませたデザインが主流だが、帝都は違うらしい。
マリウスはゆったりと着られるエンパイアドレスをクロエに、少し年配者向けの同じようなデザインの物をアルマに贈った。
初めて見るドレスの美しさにクロエの心は躍った。
今まで服を見てときめいたことも、興味もなかったのに、実際目の前に美しい刺繍の布地を見るとそれが一気に吹き飛んだ。
二人はそれをまとって馬車に乗る。
マリウスはアグレイアまで辻馬車を手配してくれたので、二人は馬車、マリウスは馬で付いて行くという形になった。
朝日に輝く村の田園景色やモリゲンの町、途中の渓谷の山道から見える渓谷の滝と清流に深い森。渓谷を抜けると広大な緑あふれる草原が広がる。
全ての景色が初めて見る物ばかりでクロエは馬車の窓から目を凝らして何一つ見逃さないように景色を堪能した。
所々に公爵領の村か街なのだろう。遠目に集落の塊や牧場などが見える。
途中、小さな宿場町で昼休憩をとった。
その後クロエは景色を楽しむためにマリウスの愛馬ブロンテスに乗らせてもらえた。先日の乗馬時のマリウスの助平な発言のことなどすっかり忘れたように楽しんでいる。
「お嬢、その服だから横乗りにしないと皺になる」
「そっかあ。綺麗だけれど、ちょっと不便だね」と、慣れないドレスに苦笑い。
マリウスがクロエの後ろにひょいと跨る。
花々や綺麗な清流など自然あふれる大地の中央に整然と整備された石畳の街道が続く。
やがて太陽が沈む夕日の時刻。視線の先に広がる夕日に反射する巨大な白亜の大理石の城壁。
城下町アグレイアへ入る一番外にある強固な大理石造りの外門は特に巨大で、門の両横には大きな獅子の石像が口を開けて構えており、その横には城下町に入るための簡易な関所がある。
その関所では笑顔が明るい兵士達が、街に入る者たちの身分証明を検査している。関所の雰囲気が明るいのは平和の象徴だ。
関所を過ぎ、茶褐色の石畳の道と優美な石造りの城下町を抜け、道幅が狭い強固な城門をくぐると、美しくも頑強そうな白亜の壁に赤褐色の屋根の城が現れた。
左右対称での双極の城。城の左右には数多くの窓が見える。
城までの道の横は綺麗に刈られた芝が広がり、正面には何百人もの家臣や軍隊が整列できる広場になっている。
その広場中央には公爵家の象徴ライオンを腕に抱く美しい女性の噴水が水しぶきをあげている。この城の背後の丘に水が湧く泉があり、その清流が中庭などを抜け、各庭の美しい彫刻を施した噴水達の水源となっている。
クロエはマリウスと共にブロンテスからヒラリと降りると、馬車からアルマが凛とした姿勢で下りてきた。
緩やかな大理石の階段を上がり、城の中に入ると、美しいモザイクスタイルの壁や柱が広がる。高い天井に絢爛豪華なシャンデリア。そして手が込んだ調度品。
「マリウス・イングウェイ様ならびにその客人二名がご到着です」
立派な赤と黒を基調にした騎士服の若者が来客を告げている。
騎士というものは身体検査で合格しなければなることができない。
城仕えの者はある一定の身長と体重を守っていなくてはならず、その分、見栄えは良い。
普段は鮮やかで華麗な騎士服、戦となれば甲冑を身にまとうことになる。
部屋に入ってから寝るまで、その煌びやかさ、豪華さに目が回りそうなクロエ。
その日の夜は生まれて初めてどれだけ寝返り打っても落ちない大きなベッドでぐっすりと眠った。
次の日の朝、輝く光の女神を見た、とクロエは思った。
髪と目の色は違うが、どこか遠い記憶の母親を思いださせる優しい微笑み。
隣のエリスフレール王国出身だと一目でわかる美しい白金髪にアクアマリン色の瞳の美しくも威厳のある、腰のふくらみが強調された菫色のレースを使ったバッスルスタイルのドレスを召した女性が、朝食を終え旅立つ用意をしていた三人のところへやってきた。
付いてきた女官やメイドを下がらせて部屋は四人のみとなる。
アルマが恭しく頭を下げるのを習って再びクロエも宮廷作法通りにドレスの裾を持って頭を下げる。
「貴方がクロエね。マリウスから話は聞いているわ。
私は今の公爵の母、マリカ・レギン・エリスフレール・アウシュリッツと申します」
「はい、クロエ、クロエ・ツヴァイクと申します」
「この国で黒髪は珍しいから目だったでしょう?
綺麗ね」
クロエは生まれて初めて長い黒髪に称賛の微笑みを送られてびっくりする。
「あ、ありがとうございます。
でも、公爵夫人の髪の方が太陽の光のように美しいと思います」
「あらあら、ありがとう。
これから向かう帝都は、きっと若いあなたにとって良くも悪くもいい刺激となるでしょう」
言葉にただただ、頭を下げるクロエ。
「これは、これはマリカ様。お久しぶりでございます」
やはりそうだった、とアルマは思った。マリウスから公爵の城に泊まると聞いた時に浮かんだ顔は間違いでなかったようだ。
「頭をあげてくださいな。
アルマ先生もお変わりないようで。わたくしが帝都で教養科目の薬草学を教えていただいた以来ですね」
鈴を転がしたような笑い声。
マリウスもさすがにその話は初耳だったようで、クロエと同じく目を見開いてアルマを見下ろしている。
「あたしが帝都の学校でお礼奉公の十年間教えていた時に、この方はエリスフレールから留学していらっしゃったんだよ」
ふん、と鼻を鳴らす顔がどこか赤いのは、過去に触れられて恥ずかしいからだろうか。
アルマは昔からあまり帝都での自分のことを話したがらない。とにかく帝都で嫌なことがあった、とだけクロエも知っている。
「二十年以上も前の話ですね。そこでわたくしは、今は亡き主人に出会ったのですけれど」
屈託なく微笑む笑顔はまるで少女のようだ。
「昨日イリアスが帝都に出て行ってしまって、本来なら当主のあの子が出迎えて挨拶すべきでしょうが、わたくしのあいさつで申し訳ありません。
先生は帝都で、薬師の免状を取る学生を増やすための助言をなさると伺いました。帝都への道中、お気をつけて。
マリウス殿、いつもお役目御苦労さま」
マリウスは恭しく膝を屈めて貴婦人に対する最上級の礼をする。
だが、マリウスは「先代公爵夫人」であるマリカに対しても口調だけは変わらなかった。
「まあ、今回はあいつが居ても居なくてもどうってことはないんだけど、マリカ母さん。
ちょっと今の帝都は物騒だからなあいつ、兵隊と一緒に行ったのかな?」
「エリスフレール王国とカレンデュラ帝国の合流する大街道で、ラキュリスと合流して行くから直近の部下だけで行ったわ。あの二人が一緒なら大丈夫」
「ラキュリスとですかい?
こりゃまた、今日は帝都は失神した女どもの山だろうな」
「ラキュリス?」
聞き慣れない名前に首をかしげるクロエ。ラキュリスと言えばエリスフレール王国の王子と同じ名前だ。
「ああ、ラキュリスってのは、このマリカ母さんの実家、エリスフレール王室の第一王子。
ラキュリス・ジン・エリスフレールっていう名前さ。
マリカ母さんの兄さんの息子」
マリカ母さんと呼ばれても、顔色一つ変えない。
どうやらどこに行ってもこの男はこの態度が許されてしまう稀有な人材らしく、マリカは穏やかな笑顔のまま。
「マリカ様にそっくりなら、すごく綺麗な王子さまね」
似顔絵の肖像画はおそらくある階級以上の娘達のところに出回っているだろうが、クロエの住む世界にはない。正直に思ったままを口にする。
「ありがとう。遠まわしにわたくしを褒めていただいて、いい子ね」
夫人に微笑まれてクロエは赤面した。
「髪と目の色はマリカ母さんと同じで、顔は公爵と従兄弟同士だから瓜二つ。
俺の次に色男だと思っとけ」
ポンポンとクロエの頭に手を置くマリウス。
「お前のその自信はどこから来るんだか。
一度聞こうと思ったが一体お前は公爵様やラキュリス王子とどういう関係なんだ?」
「あれ? 俺言ってなかったっけ?
俺はオスカー皇太子殿下の乳兄弟で同じ年。
母親に連れられて身分関係なくガキの頃から王宮で皇太子と一緒に遊ぶ仲だったんだ。
だから、よく王宮に来ていた先代の公爵やマリカ母さんやイリアスとかラキュリスも生まれたころから知ってるぜ」
その返答は予測不可能だったようで、アルマもびっくりしている。
「で、俺達の方が六歳ばかし上だからイリアス達はまあ、弟みたいなもんだ。
あ、しまった、歳ばらしちまったな。まあいいや。
士官学校ではイリアス達に教えたこともあるし、士官学校の野営の授業で一緒にやったことも何度かある」
そこに、使用人が馬車に荷物が積み終わったと伝えにやってきた。
「さて、マリカ様、なるべくお役目が果たせますように頑張ってまいります」
「ええ。そろそろ出発しないと帝都に着くのが遅くなってしまうわね。
くれぐれもお気をつけて」
「大丈夫ですよ。
夕刻には婆さんもクロエも帝都に届けてあのアマルーテの学院長と茶でも飲んでいるでしょう」
マリカ夫人は丁寧にも出発する馬車まで見送るといい、和やかな笑い声と共に別れの挨拶の後、一行は帝都に向かった。
広大な草原や林のアウシュリッツの領土を南に抜けていくと、カレンデュラ帝国とエリスフレール王国の二つの街道がぶつかる大きな通りとなる。
そしてその大きな街道を進むとマリウスの背丈三倍ほどの一面の防波堤が見えた。
「あれはカレンデュラ帝国が平地の国境に敷いた石でできた壁で上は馬車が走れる道になっている。
あの壁ははるか昔、帝国が隣国から攻め込まれた時の歴史の名残だ
あれをくぐってすぐにアグレイアなど足元にも及ばない街の景色が始まる」
今日は馬車の中で大人しく景色を見ているクロエにアルマが説明した。
数人の馬に乗った兵士が速度を緩めた馬車を覗き込む程度で、国境の壁の門を何事もなかったかのように通過していく。
「二十年ぶりかねえ、帝都は。
外はどこも他と変わらないね。小さな集落があって、街医者や寺院があって、畑や放牧場がある。
ああ、でも、カレンデュラの軍隊の巨大な練習場と施設、あとはいくつかの学校と病院が外にあるはずだ。あたしの書物にも書いてなかったかな?」
「確か国境の壁と帝都に入る中壁との間に軍の練習場があるって書いてあったよ。
中壁と王宮のある内壁の間に商店街や宿場町とか活気がある城下町と、学校、王宮に仕える兵士や学生の家あって、内壁の中には貴族の館と王宮があるって書いてあった」
本で予備知識入れてあっても実物は初めてのクロエは熱心に景色を見入った。
「あたしらが行くのは内壁の中、つまり王宮、妖怪の巣窟だ。
下手に気を許しちゃいけないよ。
あの灰色頭はまだいいと思うが、それ以外の人間は妖怪か悪魔だと思っておくことだ。
今まで育った村とは違う場所さ。
人の命など、なんとも思っちゃいないところだからね」
「お婆ちゃん・・・・・・」
今まで見たことがない厳しく容赦ない口調。
「あたしらはアマルーテ学院への助言のため、学院長の客人として招待とあるが、大方の今のお大臣の年寄り達はそれ以上に何か起きないか心配している。
お前には一応今回の本当の目的を話したが、そういうことが行われる場所ってことを忘れてはいけない」
マリウスが来た日、彼が帰った後アルマから皇帝陛下暗殺未遂の話を聞いたクロエはびっくりして帝都行きを反対した。
万が一何かに巻き込まれたら、今では唯一の身内と思えるアルマを失ったら怖いと思ったからだ。
だがアルマは薬師を目指すということは将来そういう事件に関わることも多いということであり、毒物も触る覚悟がいるのだと薬師の心得を説いた。
「知識があるということは、下手すればその知識によって濡れ衣を被せられたり、利用されるとも限らない。
権力の周りに陰謀はつきものだからな。
くれぐれも相手が綺麗な顔で綺麗な格好をしていても、必要以上に人を信用するな。
自分の知識を磨くことだけに専念しろ。
分かったな?」
「はい」
(お婆ちゃんがここまで言うってことは、昔帝都で何かあったんだろうか。だから帝都からアウシュリッツ公爵領に隠居したのかな)
クロエはまだ見ぬ王宮に不安を抱きながら、アルマの期待にこたえられる薬師になれるように祈った。
読んでくださってありがとうございます。