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妹とカナちゃん

 目の前にある試着室の中で、ごそごそと物音がしている。薄いカーテン一枚で仕切られたその箱の向こうで、カナちゃんが下着姿になっていると思うと、少しだけドキドキした。


 カナちゃんの着替えを待っている間、僕は色々と考えを巡らせてみる。


 前にも少し話した通り、新井和馬という人間には、妹がいたらしい。妹は僕と一緒に例の事故に巻き込まれ、助からなかったわけだけど、……記憶があればきっと、僕だってものすごく悲しんだに違いない。


 カナちゃんに親近感を覚え、一緒にいると懐かしい気持ちになるのは、そんな過去の記憶がどこかに眠っていて、わずかに引き出されているせいなんじゃないだろうか。思えば確かに、僕の隣にはかつて、笑顔の素敵な女の子がいつもいたような気がしていた。


 僕の中にしかないおぼろげな記憶だから、それが本当のことなのか夢なのか、はたまた単なる妄想なのかはわからない。でも、妹がいたことは事実なんだし、時折感じる懐かしい気持ちというのが、妹に由来している可能性は高いと思う。


 それにしても。記憶が無いせいで、何でもかんでもドライに考えてしまう自分が恐い。妹が死んでいるのに、この冷静さは何なんだ? 普通なら、絶対にもっと取り乱しているだろ。


「おまたせ! どうかな、似合う?」


 シャッとカーテンが開いて、着替えを終えたカナちゃんが出てきた。


 例のワンピースに身を包んだ彼女を見たその瞬間、僕の頭に謎の衝撃が走る。


「……和馬……さん?」


 デジャヴっていうんだっけ、これ。白と青のチェックが入ったワンピースを着ている女性が、試着室から出てくるこの瞬間を……絶対、かつて見た気がするんだ。


 僕は、首を少しだけかしげて立つ彼女を、改めてよく見直した。


 見直して、目をこすった。何度も、何度も。


 カナちゃんがいたはずの場所に立っていたのは、小学校低学年くらいの面持ちをした、幼い少女。……なんだこれ、わけがわからない。僕は何を見ているんだ? ここは……どこだ? 今日はいつだ? 頭の中に渦巻いた数々の疑念が、僕を際限なくパニックへ陥れていく。


「……和馬さん!? 大丈夫ですか!?」


 カナちゃんに声をかけられて、僕はようやく我に返った。目の前にいたのは、さっきまで僕と一緒にいた、「大人の」カナちゃん。


「ごめん、ちょっとめまいがして……。もう大丈夫。それよりも、すごく似合ってるよ、その服。驚いたな」


 さっきのは一体、なんだったんだろう。僕の中の「記憶」が見せた、幻想だったのだろうか。それとも、さっき見ていたのは「幼いカナちゃん」ではなく、「妹」の姿だったのだろうか。


 カナちゃんという人間がトリガーとなって、「僕の過去」があぶり出されてしまう気がした。だけどそれは、僕にとって幸せなことじゃない。この世にいない妹のことを思い出しても、ただただ辛いだけだ。


 妹のことなんて思い出さずに、僕の人生の「これから」を築いていった方が、いいに決まっている。……でも本当に、それでいいんだろうか。兄として、妹のことを忘れたままでいいのだろうか。


「……和馬さん、さっきから様子が変です。上の空というか……」

「えっ、あ、ご……ごめん! 何でもないから、気にしないで! さて、あと何着か買わないとね! パジャマとかもいるだろうし……」


 とりあえず、今はそんなことを考えている場合じゃないか。カナちゃんとの生活を、第一に考えないと。思い出せないことはしょうがないんだし、あれこれ悩むのは止めよう。


 カナちゃんも僕も、お互いに何も思い出さない方が、絶対に幸せなんだから。


 その後、日用品や食料をひとしきり買った僕たちは、バーゲンにでも参加したのかと言わんばかりの大量の荷物を抱えながら、帰路についた。ちなみに、下着や生理用品については、カナちゃんが一人で買い揃えた。


「……本当に今日から、一緒に暮らすんですね、私たち」


 帰りの電車に揺られながら、カナちゃんがしみじみと呟いた。すっかり日も暮れてしまい、向かいの窓には自分たちの姿が反射して映っているせいで、外の景色はほとんど見えない。


「うん、僕もまだちょっと……信じられないんだけど……。カナちゃんは本当に、良かったの?」

「……はい、良かったからついて来てるんです」

「それはそうなのかもしれないけど……」

「私……頑張りますね、家事とか。なるべく早く記憶も取り戻して、和馬さんに迷惑かけないように……」

「いいよ」


 張り切った様子でそう続けるカナちゃんのセリフを、僕は途中で遮った。


「何も思い出さなくていいよ。家事も、無理しなくていい。ただそばにいてくれるだけで、僕は嬉しいから」


 そんな僕の言葉を聞いて、明らかに戸惑った表情になるカナちゃん。


「そんなこと言われても……。家事には自信あるんです、私。料理だって上手いんですよ? きっと、記憶が無くなる前の私は、したたかに家事をしていたんだと思います。この手に……染みついてますから」

「そっか、それなら……」


 したたかに家事……か。


 その言葉が頭でこだました僕は、彼女について考える。一人暮らしだったのか、実家暮らしだったのか、それとも……。


 心に決めた誰かと、一緒に暮らしていたのか……。


 そう思うと、胸が苦しかった。顔も知らない、いるかどうかも分からない誰かに嫉妬している自分にも、嫌気がさす。


「……カナちゃんがやりたいことなら、やってもらっていいんだけど。……記憶は、取り戻そうとしなくていいから。カナちゃんも最初に言ってたろ? このまま何も思い出したくない……って。僕も、思い出さない方がいいと思う。だってカナちゃんは、記憶喪失になる前に……」


 ……自殺しようとしたんだから。そう続けようとして、続かなかった。


 記憶を失う前に、誰と、どんな生活をしていたのかは知らない。でも、結果的に彼女を自殺へと追い込んだ記憶を、取り返す意義なんてないだろう。自殺前の記憶は、彼女にとって有害なもの。だから、忘れた。


 僕は、そう結論づけた。この結論を変えるつもりはない。


「……やっぱり、何かあったんですよね、今日。記憶がなくなるなんて、よっぽど……」

「いいんだ、何も考えなくていい! 忘れたいことだから、忘れたんだ! それをわざわざ掘り起こしたって、なんのメリットもないだろ!?」


 ムキになる僕に対して、カナちゃんはそれ以上、何も言わなかった。ただただ寂しそうな顔をしながら、窓に映る自分の姿を、じっと見つめ続けていた。

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